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湯船に浸かって肩ちゃぽん

 「ふろなんか はいるもんかと ふけつまん」。これは志賀家にあったアンパンマンカルタの「ふ」の読み札である。マイ・ファーザーは「ふろなんか はいるもんかと じゅうごくん」ともじっていた(しかしふけつまんとは、なかなかストレートでひどいネーミングだ)。私のお気に入りは「かざんから ひのたまこぞうが とびだした」だった。読み札が読まれる前に私がこっそり取るので、「か」の絵札はよく行方不明になっていた。カルタのルールを理解する以前の話である。

 さて、現実の私は大変な風呂好きとして名を馳せている。スーパー銭湯にもよく行くし、温泉旅行も好む。大学以降、部活の先輩にも後輩にも温泉好きがいたため、彼らとよく湯船で肩を並べた。ちなみにこの後輩は、ポムの樹でともにオムライスを喰らった者である(下記参照)。

 ダブルスを組んでいた一つ上のK先輩は特に温泉好きでらっしゃった。湯に浸かっているときにその原因を思い返してみると、たいていこの人が発端であった。先輩の引退試合の前日も、英気を養うため温泉へ行った(「英気を養う」とは「サボる」とか「エンジョイする」とかと同義である)。「ああ、先輩と温泉へ来るのもこれが最後か」となんだかしんみりしてしまった。しかし、いつの間にか大学を出てからのほうが付き合いが長くなり、結婚式で友人代表のスピーチまでさせていただいた。あのしんみりはなんだったんだろう、お湯といっしょに流れてしまったのだろうか。

 マイ・ホームの習わしとして、最後に三十数えてから湯船からあがるというのがあった。まず最初の十秒は「いち、に、さん…」と漢語で数え、次に「ひとつ、ふたつ、みっつ…」と和語で、最後の十秒は「ワン、ツー、スリー…」と英語で数える。三つ子の魂百までというか三十までというか、今でも風呂からあがるときは無意識にカウントしている。

 ところで、うちでシャンプーは『頭皮中心主義』という固形石鹼を使っている。固形石鹼で頭を洗うという発想は永らくなかったのだけれど、かれこれもう五年以上愛用していて、コスパもいいのでまとめ買いしてある。短髪だもんで、髪そのものより頭皮の衛生状態に重点を置いた方がよろしい。とはいえ、頭の脂という脂がすっかり持っていかれてしまうので、コンディショナーやヘアオイルによるケアが必要だ。

 風呂と散髪は面倒だと思っていても、終わってから「ああめんどくさかった」となることはない。風呂はさっさと入るべきだし、髪もとっとと切るべきなのだ。

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