見出し画像

平和への祈り

夏、暑い夏。
今年はなんだか異常な暑さを感じるけれど。
あの日の熱さには並ぶこともないことを知っている。
戦争を知らない代なので、ちゃんと知るべきだと子供ながらに思った私は当時、はだしのゲンの漫画を何度も何度も読んでいた。
断片的にも様々なシーンが今でもフラッシュバックする。

そこで、【むごい】という言葉を知った。
辞書を開けば

むご‐い
【惨い・酷い】
《形》
1.
残酷だ。無慈悲だ。
 「―仕打ちだ」
2.
悲惨だ。いたましい。
 「現場は実に―ありさまだ」
戦争の経験がない私は、この言葉の重さを履き違えたまま大人になって行った。

気づけば世の中の表面からいなくなってしまった、はだしのゲン。
また、読み返したいとおもう。

1年前の春、初めて広島を訪問した。
ライブに行くのが目的で足を運んだが、
やはり来たからには、と。
路面電車に飛び乗った。
路面電車も初めてでワクワクした。
街中の建物や風景に
あの日の焼け野原など全く想像もつかなかったのである。

段々と電車が原爆ドームに近づくにつれて、
とてつもない胸騒ぎに内心焦る自分がいた。
気づいたら涙がこぼれていた。

薄い雲と青い空の下、あの日のままの原爆ドームを
目の前にした私は、声帯も震えないような
微かな声で、あぁ、と。
しばらく立ちすくんでしまった。

涙ながらに撮った原爆ドーム


きっとなにかの魂が私に訴えてきてるんだなと思ったのと同時に、観光のついで〜なんて気持ちで来るところじゃないな、と思った。
ただ、この場所に来るには覚悟が足りなかったな、と今でも思う。

少し落ち着いてから、
楽しそうな声が聞こえる方へ向かう。
お花見をする人や
ダンスや歌のステージがあったりと、
思っていたよりも賑やかだった。

いつもとは違う面持ちで、お花見が出来ました。
広島の桜、とても凛々しくて綺麗だった。


ゆっくりと公園をさんぽしながら
平和記念資料館へ向かいました。

まずは、見たまんまを。
そのままを受け止めようと、解説無しを選びました。
足取りはもちろん重く、
ひとつひとつに立ち止まり受け止めてきました。仕事が建築関係なので、色々ある資料の中から
鉄骨の資料を見た時に初めて
【むごさ】を痛感しました。

カラー写真の時代に生きている私には、
悲惨さや、痛さなどは赤い血、とか赤い炎とか
色有りきでやっと伝わるものだと思っていたけど、
白黒の世界で、こんなに痛みや苦しみ辛さが伝わる事に衝撃を受けました。

そもそもなぜこの話を始めたかというと
今年の11月に高校時代の友人との広島旅行が決まったからです。
前回時間の都合で行けなかった厳島神社も今回は行けそうなのでとても楽しみです。

どうしてもリベンジというか、また近いうちに資料館に解説付きで行きたいと思っていて。
というのも、前回は最後のブースに入った瞬間、涙が止まらなくて、俯いて足早にその場を後にしてしまったのです。
お恥ずかしい話ですが、最後までちゃんとみれませんでした。
沈んだ気持ちでライブに行ったのを覚えています……(т-т)

最後まで時間をかけてでも、泣きながらでもちゃんと受け止めたいという気持ちが強いです。


たまたまさっき、SNSで資料館に足を運んだ外国人観光客の感想を見て涙が止まらなくて落ち着かせるために一心不乱に書いてます。
以前、こんなツイートをした事があるのですが、やはり、イメージがだいぶ違うようで、驚きました。
それでも現地に足を運んで観光してくれる観光客の方には感謝ですね。

高校の修学旅行は沖縄で、そこでも戦争についての学習をしました。
代表で花を手向けるために、防空壕を間近で感じた。
涙ぐんで当時の経験を話してくださるひめゆり学徒隊の目。忘れられません。
そのお話が聞けるのも私たちが最後の代だったようで。
後世にも知って欲しい、絶対に紡いでいかないといけないって思います。

漫画では伝わりきらない惨さを知れた日。
小学生の時の自分から少しは成長出来たでしょうか?

願わくば、この先ずっと平和でいて欲しい。

生きたくても、生きれなかったひとへ
私は恥じないように
明日も素晴らしいと思える日々を生き抜いていきたいと思いました。

平和への祈り

文字を並べながら涙して、ちょっと落ち着いて来ました。そろそろ寝ないとなので!

ここまで読んで頂きありがとうございました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?