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きゅうり

ジャンル問わず、ツイッターで趣味専用アカウント(オタ垢)まで持っている人って、世間に出れば相当に末端に偏った人なんだろうな、と思う。

そのアカウントを通して見ている世界では自分なんてほんのニワカの、世界のごく一部しか知らない人だと確信する。

その世界で出会う中には色々な温度感の人がいて、違う観点で好き嫌いを語る人がいて。多様性に満ちている。



一歩引いて見ればそもそもその世界に足を突っ込んでいるという時点で、それ自体が大きな個性になる。

逆に、その世界の中での差異なんて些細なもの。

その世界の中での共通認識が外の世界でのそれとは違うと、気を抜けば忘れてしまう。

というか、努めて思い出そうとしなければ認識出来ない。



私が好きなものがある。

好きなものについて語る共通の言葉を話す人たちがいる。

私たちが立っている地点はそれぞれ違う。

末端が何なのかわからないけれども、1番端っこの部分からの距離が違う。


でも多分、一歩外に出て世の中全体の人を横並びにしてみたら、私たちが立っている場所はほぼ同じになるはずだ。

そして、横並びの塊を端からごく薄く切りわけていってみる。

きゅうりを輪切りにしていくみたいに。

私とあの人はこんなに違うのに、二人とも同じ、最後に切れ残った塊の中にいる。

捨てられてしまうヘタの部分の中に暮らしている。


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