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「知識がありすぎると色々なことに不満を持ってしまうのではないか?」に対する社築の解答——私がにじさんじを好きになった理由

 個人的にめちゃくちゃ共感できた社氏の話について語ります。まずは当該部分の書き起こしから。

「俺たち架空のダメ映画レビュアーズ&サイコロヒロイン再登場編【社築のあの日に青春置いてきたラジオ。#7】」18:56〜


〜〜〜以下、書き起こし〜〜〜

 えー、オフィスネーム・たまさん。

「社さん、こんばんは。いつも配信楽しく拝見させていただいています。
 本題なのですが、私には悩んでいることがあります。それは、知識があれば世界が広がるが、知識がありすぎると色々なことに不満を持ってしまうのではないか、ということです。
 たとえばサッカーの基本的な知識があれば野球の試合やアニメを楽しめるようになるが、知識がありすぎると選手のプレーやアニメの作画に『そこは違うだろ』と不満を持ってしまうのではないかということです」

 ……サッカーの基本知識があればサッカーの試合、かな。野球とサッカーが混ざってるな。

「ネットでは弓道警察などが有名ですね。社さんは、色々な知識が豊富だと思うので、社さんのスタンスなどをお聞きしたいです」

 あー、なるほどね。いや、別にさあ。これあれじゃない? んー、なんか細かいところはどうでもよいって思っ……何だろうね。ちょっと難しいよね。でも確かにそういうのあるかもしんない。なんか今テニプリをたとえに出そうとしたけど、テニプリ……テニプリはもう、テニスのあれを越えているからなあ。枠組みをね。うーん。
 いや難しいよねこれ。何だろうなあ……なんかその道、なんかでもこれ多分こういうのって、えーーーっと……まあその業界とかに所属してる人がなんかその業界を舞台にしたドラマとか、アニメとか見て、「いやそんな緩くねえから」みたいな。うん。「そんなこの業界甘くないよ」みたいなシンデレラストーリーとか見ちゃうと、うーんってなるのかもしれないからこれマジで難しいよね。

 まあでも、それ……でもそれを理由に、なんかその知識を吸収しなくなるっていうのはねえ、愚かだと思うけどねえ。いや別にその、何だろうね、知らないから体験、何だろうね……個人的な考えだけど、知らないから体験できることよりも、知識があるから体験できることの範囲の方が広いと思うんだよね
 知識があるから、なんか……まあたとえばなんだけど……たとえば引っ越した先で美味い店とかを探しまくるわけじゃん? まあこれ知識が要るっていう行為で、で、その知識を得て美味い飯屋に行って、新体験、新しい体験ができる。新鮮な「あーやっぱここうめえ。こんな料理出すんだあ」とかって。いやなんかその、調べようとしないとか、知らないとかだと、その体験をできなくなるわけじゃん。その店を知らないからさ。
 だから人に偶然連れて行ってもらって感動することはあるだろうけど、まあたとえば、近所で自分で探して美味い店を知ってしまった。で、誰かに誘われて料理屋行ったら、「いや、うちが自分で探した店の方が美味かったなあ」みたいなガッカリみたいな体験はあるかもしんないけど……いやでもそれにしたって、でもそれにしたって、その経験は受動的なわけであって。
 まあたとえば、テニスに限らず、まあ弓道警察? このたとえに出てる。弓道の知識があることによって、得られる体験の方が多くなるわけであって、弓道の試合見てて、まあなんか弓道ものの漫画とか見てて、「いやーそこはこういう構えじゃねえだろー」とかってガッカリすることよりも、弓道をやっていたことで得るものの方が圧倒的に多いと思うけどね。
 だから何事もガツガツと知識はね、広げていった方がいいんじゃないかと思いますけどねえ。なんかその、突っ込みどころが見えないようにするために、あんま知識得ないようにするって人生を追ってたら、マジで損だと思うけどねえ。だって限られてるからね人生は。うーん。みたいなことを思いましたねえ。

〜〜〜以上〜〜〜

「知識がありすぎると色々なことに不満を持ってしまうのではないか」というリスナーからのお悩み相談に対し、社氏は「確かにガッカリすることはあるかもしれない。しかし、知識があるからこそ体験できることの方が多いから、知識は貪欲に身に付けた方がいいと思う」と解答した。というのが要旨だ。
 アニメ、スポーツ、芸術、学問——色々な分野に敷衍できる話ではあるが、ここではにじさんじ内のコンテンツに限って語ろうと思う。

 こちらは「キャプテン翼 RISE OF NEW CHAMPIONS」実況の切り抜き動画だ。同ゲームではタックルで相手を吹き飛ばすなど、現実のサッカーであれば即レッドカードになるようなラフプレーが平然と行われる。そんな中で、さも当然のようにオフサイドでフリーキックが行われたことから、「オフサイドあるのか!?」「ローカルルールだろ」とコメント欄が沸いたのである(8:06〜)
 この実況シリーズでは、社氏やコメント欄が「これ現実のサッカーだとダメだろwww」とツッコミをする場面が多々ある。これはまさに、お便りにあったように、弓道警察が「そこは違うだろ」と指摘していることと似ている。しかし、現実のサッカーとの差異に気づいたり、逆に「でもオフサイドはあるんかい!」と驚いたり、ゲラゲラ笑ったりする感覚。これはサッカーの知識があるからこそ得られるものだ。知識がなければ、そもそもその面白さに気づくことができないのだ。
 かくいう私も、本記事をきっかけにオフサイドを調べて、何となく理解できた。「もっとこう……(あからさまな違反が)あるだろう!!」と無学者ながら笑った。これも知識を得ようとしたからこその体験だ。

 思えば、にじさんじというコンテンツも、私は知識を深めることで好きになっていった。たとえば、私が月ノ美兎を知ったのは「10分で分かる月ノ美兎」という動画だった。

 この頃は、何も知らないからこその新鮮さがあった。「なんやこいつwww」くらいの感覚だったと思う。しかし、巷で言われているような「にじさんじはやべーやつの集団」という表面的・記号的な面白さしかなかったら、私がここまでにじさんじを好きになることはなかった。

 月ノ美兎の過去エピソードに、こんなものがある。

かつて通っていた絵画教室で「吹き戻し」が課題となった際に受け狙いでふざけて描いた絵が先輩や教師から思わぬ好評を受けた。そのことがきっかけで価値観が変わり、自分でも邪道だと思っていた「おもしろさ」を「正義なのかもしてない」「それでよい」と思うようになった。「定義は簡単に揺らぐもの」とも述べている。
引用元:にじさんじ非公式wiki 月ノ美兎/エピソード(2021/1/3現在)

 私はこのエピソードが大好きだ。型にはまったものだけではない、個性が尊重されて面白いものが素直に好評された。そこに輝きを見出した少女は自分の信じる道を貫き、やがてにじさんじという箱のトップになった。絵画教室でのこの出来事がなかったら、今の月ノ美兎という存在はいなかったかもしれないのだ。

 このように、私は本配信や非公式wikiなどを通して、各ライバーの人間性やドラマを知り、それらが合わさった多様性に惹かれた。知識が増えたからこそ、私はにじさんじの面白さを実感することができたのだ
 一方で、知識を深めることでガッカリした経験も確かにあった。「最初は新鮮に感じたけど、あんまり面白くないな」「その言動はちょっとどうなの?」と見なくなったライバーがいる。数々の炎上騒動を見て「このライバーが出てるコラボは見たくない」と敬遠することもあった。
 しかし、それ以上に、知識を深めたことで体験できる面白さの方が圧倒的に多いと私は断言できる。

 明日1/4は桃鉄大会だ。さくゆいが出場する。運がない笹木咲、運がある椎名唯華がどう張り合うか楽しみだ。夜見れなが出場する。桃鉄100年配信をやり遂げた彼女の実力に期待がかかる。黛灰が出場する。ゆびをふる大会で指を折られる不運に見舞われた彼は、今大会ではどうなるのだろうか。イブラヒムと三枝明那が出場する。この二人はシェキナベイ部で桃鉄コラボしてたな。クロノワが出場する。確かなゲームセンスを持った葛葉と叶がどこまで食らいつくか楽しみだ。
 各ライバーにどんな個性があるのか、今までどんな配信をしてきたのか、知識があるからこそワクワクが止まらない。そして来月末はにじフェスもあって……(以下略)

 確かに、知識があるからこそ不満を持ってしまったり、ガッカリする経験はある。たまさんが抱える悩みには共感できる。しかし、そんな時は「知識があるからこそ体験できることの方が多い」という社氏の言葉で、知識があるからこその世界の広がり方を再認識したい。にじクイで雑学知識身に付けるの楽しいもんな。

 また、キャプ翼実況において、社氏はなるべく野暮なツッコミはせず、あくまでも「キャプテン翼」という別物として楽しむというスタンスを取っている。コメント欄もそんな感じだ。おかげで原作未読の私でもキャプ翼の面白さに惹かれたし、社氏の原作愛が伝わった。音ゲー解説動画も「へーそういう意味があるのか!」と楽しむことができた。

 間違いを指摘することも時には必要だが、悪意やマウントをとるためではなく、知らない人でも興味が湧くように知識を使うことが大事だ。社氏のゲーム実況配信が面白いのは、まさにそうした姿勢を大事にしているところにあるのだと思う。

<2021/1/15追記>
 後に読んだ「ラッセル 幸福論」と重なる部分があるように感じました。続編ってほどはありませんが、アフターストリーとしてこちらの記事もどうぞ。