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夢よ、安らかに眠れ――対策委員会編3章Part4~5感想【ブルーアーカイブ】

 他人の苦悩を理解しようと努めたところで、その分、おのれ自身の苦悩が軽減するわけではない。この場合、比較にはおよそ何の意味もないが、それというのも、苦悩とはひとつの内的孤独の状態であり、外部の何ものをもってしても孤独を軽減することはできないからである。孤りで苦しむことができるのは、大きな利点だ。もし人間の顔が内部の苦悩の一切を忠実に映しだすようになったら、一切の内的責め苦が表情にあらわれたなら、どんなことになるだろうか。それでも会話を交わすことができるだろうか。手で顔を隠さずに言葉を交わすことができるだろうか。もし私たちの感情の激しさを私たちの表情の上に読みとることができるならば、生きることは、どう考えても不可能になるだろう。

『絶望のきわみで』E・M・シオラン
金井裕訳
「……この苦しみは、誰にも分かるはずない。」
「何も知らないくせに。」

 そのかおに癒えぬ傷を刻みながら。それでも私たちは、もう一度手を取り合えるだろうか、笑い合えるだろうか。対策委員会編3章『夢が残した足跡』Part4~5(28話~43話)の感想をお届けします。




"最強"の証明、二対の翼

 想像を遥かに超える最高の試合ベストバウト。くどいかもしれませんがスクショ多めで長めに語らせてください。

 高クオリティな3Dデフォルメ/2Dアニメーションは言わずもがなですが、素晴らしいのはその細かい戦闘描写の数々。二人が「最強」と評される理由は純粋なパワーだけではない。相手の思考と戦況を読み取る高度な「判断力」と、自身の戦闘能力を最大限に発揮できる状況を瞬時に生み出す「機動力」、その二つも兼ね備えた総合的な戦力にあることを痛感できる戦闘。なおかつ二人の戦闘スタイルの違いも如実に表れている。

 まず小鳥遊ホシノの初動。早々にヒナの背後を取って、列車を稼働するためのレバー装置に手を伸ばす。ホシノの勝利条件は「ヒナを倒すこと」ではなく、「大オアシス駅に向かうために列車を稼働させること」。ならばヒナに固執する必要は一切ない。レバーを引いて撤退すればいいだけだ。彼女は勝利への最短ルートを突っ切る合理的な機動を初っ端からやってのけた。判断が早い!👺

(こっちの動きが、すべて読まれてる……?)

 その動きは読まれていた。ホシノは閃光弾を駆使して隙を作り、レバーを引き、列車に飛び乗る。しかしヒナはすぐに追いつき――

「逃げるとはね。
もしかして、勝つ自信がないのかしら。」

 この一言。ホシノの動きを読んでいた彼女のことだ。勝つ自信がないからコソコソと逃げ回っているわけではないことぐらい、当然理解しているだろう。無意味な煽りもしないはず。「相手をしている場合じゃないのに」という焦りを引き出すため。「風紀委員長ちゃんに勝たないと先には進めない」と注意を向けさせるため。ヒナもまた「小鳥遊ホシノを止める」という勝利条件のために合理的な機動を行なっている。

 BGMとスチルの雰囲気も相まってラスボスの風格がありますね。かっこよすぎるぜヒナ委員長……

 ホシノは初戦では戦略的撤退を徹底していたが、ここに来て真正面から戦うことを余儀なくされる。防弾盾をしまって壁走りでヒナに接近。得意な白兵戦に持ち込もうとするが、

この時、散弾銃は右手

  ヒナはパリィで拒否した後、

 横に薙ぎ払うように掃射。

 ホシノは決して離れない。自分が得意な距離を維持するために。地面に転がって回避。この時、ホシノは回避しながら、右手の散弾銃を左手に持ち換えている。

 ヒナが続けて掃射。ホシノはこれも回避。そして空いた右手に副装サイドアームの拳銃。こちらの方が散弾銃よりも素早く牽制・応戦できるという判断によるものだろう。

 繰り返しになるが、ホシノは回避行動をしながら別の武器に持ち替えて、瞬時に応戦している。並みの相手では手品としか思えない速さだろう。自分に有利な距離を維持し、なおかつ戦闘のテンポを一瞬たりとも相手に渡さない。そのための判断と行動があまりにも早すぎる。

 拳銃と散弾銃の片手撃ちによる牽制で時間を稼いだ後、散弾銃をくるっと回転させて再び両手持ちに。至近距離で発砲。パリィからここに至るまでわずか4秒間の出来事

 しかしそのスピードに置いていかれるヒナではない。回避。体術でホシノを吹き飛ばして白兵戦を拒否。自分が最も得意とする位置"BACK"で、最大火力をぶち込む――

"終幕:イシュ・ボシェテ"


ゴジラみてえなビーム


 ホシノは当然ながら態勢を立て直していた。盾で防いだ。このままではお互いに、有利な距離を奪い合う平行線の戦いになりそうだが――

(このままじゃ、列車がもたない……!)

 ヒナの勝利条件は「ホシノを倒すこと」ではない。あくまでも「ホシノを止めること」だ。ヒナは自分に注意を引かせながら列車にダメージを与え続ければ事が済む。ホシノが先手必勝型であるのに対して、ヒナはどっしりと構えながら追い詰める遅効制圧型。ホシノに不利な状況を押し付け続ける――それすらも計算済みの、盾で防御されると分かった上での"終幕"だったのだろう。

(風紀委員長ちゃんの目的は、私の大オアシス駅行きの阻止)
(となると……列車を止めるか、私を落とすかの二択が考えられる)

 そんなヒナの意図をホシノはすぐに察知。……凄まじい。ここまで高度な読み合いの連続だ。ホシノは列車機関部に被害が及ばないようにするため屋根へ。ヒナを落とす算段に。その対決の行方は――

"終幕:イシュ・ボシェテ"
Ver.Aerial

 ホシノが叩き落される結果に。

 「キヴォトス最高の神秘」と称される彼女がなぜ敗れたのか。対策委員会や私募ファンドとの戦闘でヘリを何台も叩き落していたあたり、条件さえ揃えば跳躍するなり何なりでヒナへの対空手段はあったのだろう。しかし足場は不安定、なおかつ列車を守らなけばならない縛り条件つき。ホシノに圧倒的に不利な状況だったからこその結末か。

2024年7月17日(水) 11:00より、復刻ピックアップ募集「積み重ねる誓いの翼」、復刻ピックアップ募集「積み上げる尽力の翼」を開催します。
アビドス最強の「ホシノ」さんとゲヘナ最強の「ヒナ」さん、おふたりのピックアップ募集になります。

ブルーアーカイブ公式サイト
『ピックアップ募集紹介:★3「ホシノ」、★3「ヒナ」』

 かくして翼は堕とされた。公式もノリノリなホシノVSヒナ。私もテンション爆上がりでしたが、良い意味で裏切られましたね。認識が甘すぎた。最強どうしの戦いは単純なパワーのぶつかり合いではない。そもそも型どおりの勝敗に固執しない。目まぐるしく変わる戦況の中で、有利不利を押し付け合い、可及的速やかに目標への到達を目指す。

 さながら翼を羽ばたかせるように。卵の殻を破り、自身の限界まで一気に飛翔する。ホシノはユメ先輩への「積み重ねる誓い」を胸に、ヒナは着実に布石を「積み上げる尽力」で。想像の数段上を行く高次元の戦闘に驚愕させられると同時に、二人のイメージに合致して納得できるものがありました。

 「いやでもホシノに不利な状況だったからさあ❗❓ 連戦で多少疲弊してたろうしさあ❗❓」と、どうしても最強議論したがる自分がいますが……ステイだステイ。というか優劣決めようとすんのは失礼だろ。大事なのはこの後、二人が何を語るかでしょうが!!!!


夢路の花

「私は……小鳥遊ホシノみたいには、なれない……。」
「私はあの、アビドスの副会長みたいな……強い人じゃない……。」
エデン条約編3章19話
「アビドスの生徒会長……その遺体を発見したのは、小鳥遊ホシノだった。すごく、ものすごく大切な人だったはずなのに……。」
「あれだけの苦しみを味わっておきながら、彼女はまだアビドスで戦ってる……私には、そんなことできない……。」

 かつてそう語っていた空埼"ヒナ"は、今――

ヒナは真正面から見据え、
ホシノは目を逸らしている構図

 小"鳥"遊ホシノを見下ろしている。

 そして彼女を叱咤する。先生と一緒なら「きっと、何とかなる」。あなたにもそれはわかっていたはずだ。なのに止まらなかった、止まれなかった、と。自身の経験も踏まえて語る。

 「逃げるとはね。もしかして、勝つ自信がないのかしら」というあの時の発言は、「私は逃げない。小鳥遊ホシノという存在に向き合う」という強い決意も含んでいたのだろう。言葉の端々から感じられるのは軽蔑ではない。あなたは誰よりも強いからこそ助けを求められなかったと、ホシノの過去や心情に寄り添い、リスペクトの念を抱きながら、厳しい言葉も投げかける姿勢が垣間見れる。

 思えば、この二人はどこか似た者同士でありながら、片や手紙を残して先生の元から去り、片や先生の前で弱音を吐露した点で対比的だ。そんな絶妙な立ち位置にいるからこそ。「小鳥遊ホシノにはなれない」――だからこそ「小鳥遊ホシノではない」者として。懸命に戦い抜た末に血を流しながら言葉を贈る。小鳥遊ホシノに突き刺さる言葉を。

ゆら、ゆらゆらり揺らめいて
夢を追いかけて
ひたすら
ひら、ひらひらり舞い散る
さえない日々が
訪れても
未知なる未来を信じて

『夢路の花』
(イベント『陽ひらく彼女たちの小夜曲』挿入曲)

 空埼ヒナ、積み上げる尽力の翼、夢路の花。どれも実に名が体を表している。確かにヒナが抜きんでた才能の持ち主であることは間違いない。しかしそこにいるのは、その才能ゆえに多大な責務を引き受け、挫折や苦悩を抱えながら――雛鳥のように、夢への途上に咲く花のように、小さな一歩を踏み出し続ける等身大の少女。そうであればこそ、ホシノに贈る言葉ひとつひとつには重みが宿っている。……ありがとうヒナ。あるいは先生は、強さだけでなく、ヒナの言葉がホシノに必要であることを見越した上で呼んだのかもしれない。

 そして、そんな彼女の口から、梔子ユメ失踪の真実が同時に語られる。


唯一の真実、生誕の災厄

「……私は、何のために。」
「それでも、列車砲を放置するわけには……。」

 ヒナ曰く、当時から雷帝の遺産を追っていた自分とマコトさえ知らなかったのだから、ユメ会長は列車砲の存在知らなかったはず。よって例の売買契約書は列車砲を破壊するために結んだものではない。

 「砂漠横断鉄道」は、アビドス生徒会とネフティスが共同で自治区を復興させようとした証。だから残したいと思っただけ。そして契約金の残金を払うために、自治区の外れにある銀行へ向かう途中の砂漠で、天災に見舞われた。それがゲヘナ情報部が掴んだ事件の真相。多少はヒナの推測も混ざっていますが、回想シーンにおけるユメ先輩の言動や当時の状況などを鑑みると信ぴょう性が高い話だ。

 第31~32話のタイトルは「唯一の真実」。しかし、この場面における「唯一の真実」とは、恐らくヒナが語る事件の真相のことではない。

地下生活者:
たとえ、手帳が見つかったとしても。
小鳥遊ホシノが、梔子ユメの死の真実を知る余地はない。

梔子ユメの死は、すでに遠い過去のもの!
「死」という絶対的な真実に、我々はたどり着けない。
それが不変の真理だからだ!
だが、たしかに小鳥遊ホシノはこの世界で死に最も迫った存在となった。
――キヴォトス最高の神秘、暁に囚われし太陽の神よ!
あなたは6つ目の古則の答えへの手がかりとなる。
これほどまでの神聖が「死」に晒された時に、
何が起きるのか見せてくれたまえ!
それが、勝利者たる小生に与えられし報酬だ!

32話(太字引用者)

 地下生活者の諸々の台詞を踏まえて、個人的な解釈が強めになりますが――私たちは他者の「死」を認識することはできても、過去に自分の身に起きた出来事として「死」を認識することはできない。認識できてしまうなら、それは自身の完全な消失としての、本当の意味での「死」とは言えない。「死」の恐怖は万人に平等に降り注ぐ。しかし「死」そのものは永遠に理解不能な現象である。不確かな世界で、これだけは揺るがない「唯一の真実」だ。

「なんで、先輩が死ななくちゃいけなかったの?」
「一体どこから間違えちゃったんだろ……あんな最期になるなんて……。」

  だからこそ、「あなたの大切な人は不慮の事故で亡くなりました。あなたに責任は一切ありません」と客観的な事実を告げられとして。遺書が後日見つかったとして。それでも「なぜ」と問わずにいられないのが人の性ではないだろうか。大切な人の死には何か特別な理由があってほしい。なぜ死ななければならなかったのか。なぜ私は止めることができなかったのか。その問いに終わりはなく、なぜ人は死すべき運命にあるのか、なぜ世界はこんなにも虚しいのかという呪詛に繋がる。

 なぜ。なぜ。なぜ。なぜ。なぜ。

 どれだけ問い続けても「死」という絶対的な真実には到達できない。それでもなお「死」の原因を遡り遡り続けるなら、たどり着く先はひとつしかない。――生まれたことを呪う。ただそれだけだ。

 死に対して抱いていた興味を使い果たし、もう死からはなんにも引き出せそうもないと見極めると、人間は今度は生誕のほうに向きなおる。別口の、汲めども尽きぬ深い淵のほうに専念しはじめる。……

『生誕の災厄』E・M・シオラン
出口裕弘訳
「あの時、私が怒らなければ……。」
「あの時、私が反対しなければ……。」
「そもそも、私がいなければ――
――ユメ先輩は、死なずに済んだ。」
(幻覚を見ている……?)

 プラナの直前の発言によれば、この時、地下生活者がホシノに接触している。地下生活者と同様の「この苦しみは、誰にも分かるはずない」という思想が芽生えているあたり、彼女は3章開始間もない頃から、知らず知らずのうちに精神的干渉を受け続けてきたのだろう。

 しかしあくまで「干渉」であり、「洗脳」ではないように思う。攻略法4「小さな傷が致命傷となる」――元からあった小さな古傷が開き、止め処なく溢れ出す血で、心の器が充たされていく。

地下生活者:
我々は、「死」と並びうる概念を知っていたのだ。
――「苦しみ」。
己が苦しみは他人に理解できないように、
他人の苦しみを真に理解することも、また不可能。

33話
(私も……みんなも、)
「……苦しむために、生まれてきたんだ。」
プレナパテス決戦3話

 苦痛は人間に眼を開かせ、ほかの方法では知覚できないような事象を、まざまざと見せてくれる。したがって苦痛は認識にしか役立たず、それ以外の場では、生に毒を塗りこめるだけである。ついでに言っておけば、そのことがさらに認識を助長する。

『生誕の災厄』E・M・シオラン
出口裕弘訳
「私が殺したんだ。」

 最愛の人を殺したのは私だ。私がいなければ。この苦しみは誰にも理解されない。それは「小鳥遊ホシノ」という存在を、自分自身で、際限なく、「死」と並びうる「苦痛」によって否定する行為――



…………待ってくれ――

待ってくれ…………

「色彩によって反転した者を元に戻す方法など、存在しない。」
最終編3章2話

そんなの…………そんなのダメだ…………

「……そう、これは苦しみによって反転した神秘。
言わば、「恐怖」の顕現。」
「神秘の頂点に立ち、最も古く、最も偉大な神々の頂点――「ホルス」よ。」

ダメだ……! 行くな……!
ホシノ!!


顕現と再戦

「ゆめ……せん、ぱい。」

 ホシノテラー顕現――愛する者の名を呼び、最期の言葉が記された「手帳」への渇望を胸に、永遠に彷徨い続ける亡霊。世界を崩壊へ導く化身。かくして、列車砲を破壊し終えた先生と対策委員会が出会ったのは、変わり果てた先輩の姿。

 その神格に呼応して姿を現すは、オシリスを殺害し、その因縁で「暁のホルス」の宿敵となった「セトの憤怒」。かつての敗北を塗り替えようとするかの如く、その憤怒を露わにする。

 世界滅亡が目前に迫る絶望的な戦況。砂狼シロコは「色彩」に手を伸ばす。それが唯一の方法。今のホシノを止めるには――「キヴォトス最高の神秘」が反転した「恐怖」に匹敵する別の「恐怖」は、現状、この世界には存在しないのだから。


 存在しない。この「世界」には。



 ――――否、より正確には、



 本来の、この「時間軸」には。






「そんなものに手を出しちゃダメ。」

 シロコテラー参せnおあああああああああああ❗❗❗❗❗😭 しっしっシロコおおおおおおおおお❗❗❗❗❗❗ あっあっいつかまた会えるかなって、せめて元気な姿をスッと見せてくれればそれ以上は望まないって、ずっとずっと願って、それがまさかこんな最高のタイミングで、来てくれるなんて……❗❗

あああああああああ❗❗❗❗
実装ありがとおおおおおおおおおお❗❗
メモロビでいっぱいなでなでするよおおおお❗❗😭


 …………失礼しました。いやもうね。Part4~5間で開催されたブルアカらいぶでの発表時は、完璧な前振りも相まって画面の前でガチで叫びました。(臨戦ホシノと並んで実装されるなら一人しかいないじゃん!!)ってさ……

「前に戦ってるから。負けない。」

背中が❗❗❗❗
デカすぎんだろ❗❗❗❗

 しかし、その一言に含まれるのは悲壮な決意。……そうか。そうなのか。元いた時間軸でも、反転して変わり果てたホシノが……寒空の下で拾ってくれた人が、マフラーを巻いてくれた大切な人が…………

「先生を、殺したく、なかった……!」
プレナパテス決戦3話

 その胸中にどれほどの「苦痛」が渦巻いているのか。「恐怖」に匹敵するもうひとつの「恐怖」。それはきっと純粋な力量や「神聖」の差だけではない。「私が殺した」――大切な人を自分の手で殺めた感覚。苦痛とはどこまでも主観的なものであり、その程度を計量し、比較することなどできないが。確かに今のホシノは、このシロコが近しい存在なのかもしれない。


 しかし――


「私たちは、苦しんで、意味もなく死んでいく。
そういう定めにあるんだろうね。」

 苦しい時、悲しい時、声をかけてくれる誰かがいたとしても。同じ境遇の人間がすぐ傍にいたとしても。永遠に届かない真実を前にして、全てが苦痛へ、虚無へ、愛する者を殺した罪へ還元されてしまうなら、いったい何の意味があるというのか。

 対策委員会とシロコテラーは、ホシノが完全に反転する前に接触。そんな彼女たちに、ホシノは優しく言葉をかける。お礼を言う。まるで今生の別れであるかのように。

「段々と記憶が薄れていくなか、思い出武器まで手放せる?」
「私には……。
……できない。
先輩が最期に残したもの。
その意味が何なのか確認しないと。」

[……]なにもかも説明がつくか、あるいはなにひとつ説明がつかぬか、ぼくはそのどちらかであってほしいと思っている。しかも、この心情の叫びをまえにして、理性は無力なのだ。こうした要請に刺激されて覚醒した精神は探求を開始する。が、見いだされるのは矛盾と背理的な論証、ただそれだけなのだ。ぼくに理解できぬものとは条理を欠いたものだ。世界は、こうした理性では説明のつかぬものにみちている。ぼくには世界の唯一絶対の意味が理解できない――それだけで、世界はひとつの巨大な非合理的なものにすぎない。せめて一度でも「これは明らかだ」と言えれば、いっさいは救われよう。しかし、これら欲求の人びとは、なにものも明らかではない、いっさいは混沌だ、だから人間はただその明徹な視力を保持し、自分をとりまく壁を明確に認識するしかないと競って宣言するのである。

『不条理な論証』カミュ
清水徹訳

 手帳は見つからない。仮に見つかったとしても。地下生活者が語った言葉の通り、彼女はやはり「なぜ」と問わずにはいられないだろう。「死」にはたどり着けない。また同じ地点に戻り、彷徨い続けるだけだ。

 そんなホシノに対して、先生が言葉を贈る――


奇跡、救世主の不在

 ……ああ、そうか。そうだったんだ。先生も——「人間は、みずから自分を断罪するのでないかぎり、自分を徹底的に愛することはできない」。そこまで消極的な動機ではないだろうけど、ミカのように何者かでありたいと、サオリのように責任を果たさなければならないと、そんな思いを抱いているのか。先生も同じなんだ……

 
先生は生徒に、無際限に赦しを与える神ではない。全知全能ではない。生徒達と同じように、悩める子羊であり、痛みをこらえながら生きるひとりの人間。先生が唱える言葉は、ゲマトリアと同じく、世界に対するひとつの解釈に過ぎない。絶対的な正解ではないのだ。

エデン条約編4章感想記事
「ホシノちゃん、先生が来てから変わった気がするなぁ。
あっ、もちろん良い意味で!」

 話は少し遡るが、シロコテラー参戦前、謎ワープした先生。梔子ユメに邂逅。ユメとホシノ(ログ画面では過去ホシノの立ち絵)と先生がいる生徒会室。いやどうなっとんねん。色んな出来事がいっぺんに起こりすぎや……

"私には、時間を巻き戻せない。"
"死を、なかったことにすることはできない。"
"……そんな力は、存在しない。"
"私は、ただの平凡な人間だから。"
"目の前に苦しんでいる子がいたら……"
"手を差し伸べるだけで、精一杯。"

34話

 ひとつだけ確かなことがある。……認めなければならないのは辛いが。三人で過ごせる日常があってほしいと願わずにはいられないが。この光景は梔子ユメ生存ルートの時間軸、ではない。そんなものは存在しえない。攻略法その1「既に起きた出来事は変えられない」。梔子ユメの死は既に起きた遠い過去の出来事だ。過ぎ去ったものと書いて「過去」。どれだけ過去を悔いても。私たちにできるのは、現に在る「現在」に生き、未だ来ない「未来」へ歩むことだけだ。どんな力をもってしても、時間を巻き戻すことは叶わない。

 梔子ユメを、救うことは、

 …………………………………………。

 ………………………………………………できない。

「今は、それで充分だと思いますよ。」
「小さな積み重ねが、いつか大きな奇跡になりますから!」

 …………………………………………。

「あっ、奇跡なんて簡単に言うと、
また怒られちゃうかもしれないけど……。」
「私は信じて……ううん、信じたいの。」

 …………何気ない日常で、ほんの少しの奇跡を見つける物語、か。

 ふと思い出したのは遠藤周作の『イエスの生涯』。新約聖書におけるイエス・キリストの逸話では、超常的な「奇跡」がいくつも語られている。だがそれはかけられていた期待の表れだ。当時の民衆は、反ローマ運動の指導者として、ローマと妥協して堕落したユダヤ教の改革者としての像をイエスに求めた。病人が癒えることを、盲人の眼が開くことを、現実的な効果を求めた。それが人の性だ。

 しかし、イエスは民衆が期待する完璧な救世主メシア像ではなく、苦しむ人々に寄り添い、ただひたむきに「愛の神」を説いた。愛は苦しみを直接取り除くことはできず、現実において無力だ。ゆえに民衆の期待を裏切り、失望を招いた。

[……]聖書に書かれたすべての「奇蹟物語」の背後にはこのイエスの苦しみがかくれている。「奇蹟物語」は私たちにイエスが実際に奇蹟を行ったか、否かという通俗的な疑問よりも、人々がイエスに結局は愛ではなく、徴と奇蹟しか求めなかったという悲しい結末を想像させるのである。

『イエスの生涯』遠藤周作

 先生もまた、超常的な「奇跡」によって子どもたちの苦痛を取り除く救世主としての姿を、ともすれば求められる。

 でも先生は神様ではない。救世主ではない。

 「奇跡」を語る逸話でさえ、そこにか弱き者としての姿を見出すことができるなら。「目の前に苦しんでいる子がいたら、手を差し伸べるだけで精一杯」――『ブルーアーカイブ』における「奇跡」とは、やはり「日常」の延長線上にある。それは時として大きな感動を呼び起こし、時として現実における無力さを痛感させられる。

"ユメのその言葉、忘れない。"

 先生は「信じる」ことを選んだ。楽園の証明と同様、他者の心に到達したことは証明できない、だとしたら信じるしかない――かつてエデン条約事件でそう語っていたように。

 梔子ユメはかく語りき。先生はその存在しえない出来事を、ただ信じた。ホシノが語る優しいその生徒に、もし出会うことがあったのなら、その出来事は起こり得た。「……先生は、これから苦しんでいる子を助けに行くんですか?」と。彼女もまたホシノのことを大切に思っていると。自身が背負うべき使命を、進むべきは方向は過去ではなく未来であることを、決して出会うことのない少女に仮託した。

 それはエゴでしかないのかもしれない。しかし、私たちが作り話フィクションを読む時、そこに、作り手のメッセージを感じるように。自身の想いを交流させるように。

"彼女を一番知っているのは、ホシノなんでしょ?"
(中略)
"なら、そこにはきっと……。"
"ホシノの信じる言葉が残されていたはずだよ。"
"事実は分からないかもしれない。"
"でも真実はそこにある。"
"存在しないとしても、それが真実であることは変わらないから。"
"それが、私たちにできる唯一の選択。"
"死を、時間を巻き戻せない……。"
"平凡な私たちにとって……。"

37話
"たったひとつの――奇跡だから。"

 最終編4章感想記事で引いたウンベルト・エーコの言葉をもう一度。「理論化できないことは物語らなければならない」。私たちはそうやって、願い、祈り、信じて、生きていく。自分の人生の物語を紡いでいく。

 到達できない真実が重くのしかかる世界の中で、私たちは「非有の真実」を物語る――


非有の真実

 祈りは言葉でできている。 言葉というものは全てをつくる。 言葉はまさしく神で、奇跡を起こす。 過去に起こり、全て終わったことについて、僕達が祈り、願い、希望を持つことも、言葉を用いるゆえに可能になる。 過去について祈るとき、言葉は物語になる。
 人はいろいろな理由で物語を書く。 いろいろなことがあって、いろいろなことを祈る。 そして時に小説という形で祈る。 この祈りこそが奇跡を起こし、過去について希望を煌めかせる。 ひょっとしたら、その願いを実現させることだってできる。 物語や小説の中でなら。

『好き好き大好き超愛してる』舞城王太郎









「この手紙は、未来のホシノちゃんに送る手紙だよ。」

 それはきっと、小鳥遊ホシノが自分で作り上げた砂城のユメ




「困ったときに手を貸してくれる友達はできた?
ちゃんと未来に向かって進めてる?」




 もし叶うのなら。いつまでもこの胸の温もりに縋りたい。泣きついていたい。この甘い夢の中に溺れていたい。――会いたい。


「よしよし、ホシノちゃん。
いっぱい頑張ってきたんだね。」

 …………でも。覚えていますか。ユメ先輩。病める時も。健やかなる時も。あなたは人を愛した。不器用な私を愛してくれた。まっすぐに。私と一緒にいられることを「奇跡」みたいなものだと語った。可愛い後輩ができたら必ず守ってあげるんだよと、明るい未来を思い描いた。砂に埋もれる街の中心で。

 そうして紡がれてきた「今」があり、「私」がいる。そして未来へ続いていく。あなたの生きた証が、最期の言葉が砂に埋もれようとも。そこにどんな言葉が記されていようとも。……今ならわかります。あなたは背中を押してくれる。私を愛してくれる。未来へ送り出してくれる。ずっとそうでしたから。

 私という存在が、あなたが生きた証。あなたと過ごした日々も、孤独に暮れた夜も、これからの日々も。全ては無駄にならない。無駄にはしません。

 だから――もう行きますね。


「二人で過ごした幸せな時間も、一人になってからの時間も……。」
「……繋いでくれたもの全てを、大切にします。」

 ――それが少女にとっての真実。その真実を胸に、彼女は前に進むことを選んだ。


 物語が祈りであるなら。私たちは祈り続ける。「青春の物語Blue Archive」を紡ぎ続ける。返せないほどの過去を抱えたまま、砂だらけの世界でジュースの味を分け合う。

 アビドスよ、キヴォトスよ、世界よ。聞け。これが物語だ。小鳥遊ホシノの物語だ。彼女自身が選んだ物語だ。そして、それが生徒の選択であるなら、先生として言うべき言葉は決まっている――




――――おかえり、ホシノ!!


夢が残した足跡

君を忘れた後で 思い出すんだ 君との歴史を持っていた事
君を失くした後で 見つけ出すんだ 君との出会いがあった事

誰の存在だって 世界では取るに足らないけど
誰かの世界は それがあって 造られる

君の存在だって 何度も確かめはするけど
本当の存在は 居なくっても ここに居る

僕らの時計は 止まらないで 動くんだ

『supernova』BUMP OF CHIKEN

 小鳥遊ホシノ帰還。そして「制約解除決戦」によって「セトの憤怒」を制圧。その熾烈な戦いを終えた先で待ち受けていたのは――荒涼な砂漠の夜空を彩るかのような、いくつもの輝き。

「きれい……まるで海みたいです!」

 それは鉱物の化学反応に過ぎない。きっと私たちの「日常」も。どれも取るに足らないものだけど、振り返ればそのひとつひとつが輝きを放っていて、大海を泳ぐ魚に幻視するような光景を描いていく。

「……先輩の言う通りでした。」
「見つけましたよ、お宝。」

 長い夜が明ける。水着姿になって必死に探した「お宝」は、今になってようやく見つかり、そしてすぐに消えていく。

 「人」が「ユメ」の隣に立てば「はかな」い――大切な誰かと過ごす日常は、その時は永遠のように感じられても、絶えず「死」の恐怖に晒されている。予測しようがない。後になってようやくその日々の大切さを知ることがある。どれほどの後悔を抱えようとも。時計の針は戻らず、止まらず、進み続けるだけだ。

 君はもういない。けれど本当に大切なものは、私たちにとって「真実」となり、消えることはない。目を凝らせば見える。傷だらけの心に刻まれている。君が残した足跡が。その道の先に進むために、私たちは未来へ歩み出す。

「ちょ、ちょっと、この連鎖どうにかして止めないと!
ダメ、お金がっ!」

 ……………………え、えっと。うん。そうだね、本当に大切なものはお金じゃ代えられない。必死に掴もうとしてもすぐに消えてしまう。だからこそ私たちはその価値を胸の内に刻んで――

「なら、「よわシロコ」。」

 …………くだらない理由で喧嘩する、そんな日々が愛おしく――

「わあ~、そろそろフィナーレですかね?」

…………人が❗❗ いい話を❗❗
してるところでしょうが❗❗

 ああんもうっ! 何してるの!? 喧嘩しないの! 勝ち負けは大事じゃないって先生さっき言ったでしょ! 待って待ってさすがにグレネードはダメだって! 連鎖反応に引火して大爆発起こしたら大変でしょ!?

 ノノミも笑って見てないで! アヤネ! 『Unwelcome School』を止めて! みんな元気なのは嬉しいけど! そういうのはまた後で! とにかくみんないったん落ち着いてよおっ!!


「……ちゃんと、「うへ~」って笑えてる?」









エピローグ(あるいは、ありふれた日常)

 あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。
 僕たちはそんな風にして生きている。

『風の歌を聴け』村上春樹
嗅 ぎ た い。

 あらあら……ヒナちゃん、新しいお友達ができたのね。ママ嬉しいわ😊

 ここすきポイントをダイジェストで。まずホシノとヒナ。激戦を繰り広げた二人。脇腹を手で押さえる例のスチルの酷似具合から察するに、恐らく別の時間軸では、ヒナは反転したホシノの凶弾に倒れたのだろう。そんな二人がこうして肩を寄せ合っている。……感無量ですね。

「風紀委員長さんがいなかったら、ホシノ先輩を止められませんでした。」

 お見送りは先生と対策委員会で。今となっては、風紀委員会との揉め事があった日が遠い昔のことのように感じられる(実装でいえば3.5年前)。ヒナ、今回は本当にありがとう。いつもお仕事お疲れさま。また会おうね。

5thPVでは満員御礼だったね! 待ってるからね!
最前列でペンライト振るね!

 ホシノは今回の件を謝罪――した後、アヤネとセリカのアイドルデビューの件に触れて、おどけてみせる。セリカの止まらないツッコミ。周囲の悪ノリ。いつもの日常が戻ってきた。戻ってきてくれた。そんな心地がする。けれど、

「大丈夫、とは違うけどね。」

 その笑顔の裏には傷跡がある。苦痛は消えることがない、この世に生を享けた以上は。それでも抱えながらみんなと生きることを、前に進むことをホシノは選んだ。「みんなが差し伸べてくれた手を、握り返せないからね」と。

 そんなホシノとは対照的に、

「ただし……努々ゆめゆめ、忘れないように。」
「アビドスにいる……「死の神アヌビス」の存在を。」
「……くるしい。」

 「死」の恐怖を撒き散らし、「己が苦しみは他人に理解できないように、他人の苦しみを真に理解することも、また不可能」と語っていた地下生活者は、皮肉にも、自らが自分の思想を体現せしめる存在に――死の恐怖に怯えながら、孤独の中で苦痛に埋没していく存在になった。

 因果応報といえばまあそうなんですが。「苦痛」の何たるかを誰よりも体現している人物だ。彼は死んではいない。観測されない領域で永遠に苦痛に苛まれる。それは私たちと常に隣り合わせであること、他ならぬホシノがまったく同じ状態に陥っていたかもしれないことは、深く身に刻まなければならない。

 シロコテラー。ホシノから「手放す必要は、ないんじゃないかな」と聞かされていたが、彼女は思い出武器を砂漠に置き去りにする(実装されたシロコテラーもこれらの武器を使わない)。決別の儀式。これもまた前に進むための選択か。

 苦痛の背負い方は人それぞれ。思い出を手放すか、手放さないか、孤独に沈んでいくか。地下生活者については他責思考や問題行動が多かったかもしれないが、どれが正解なのか、私には正直わからない。……いや、きっと正解なんてない。信じて一歩進んでみる。ちっぽけな私たちにできるのはそれだけで、それで充分なのかもしれない。

"また・・、いつでも連絡して。私の、手の届くところで。"

 その後、シロコテラーは先生と再会。同じ条件、同じ選択。いつもと変わらない先生の言葉に、彼女はふっと笑みをこぼす。

 別時間軸の存在、プラナとシロコテラーがいなければ、今回の事件は何も成す術がなかった。小さな積み重ねがいつか大きな奇跡になる。先生もまた、生徒たちと同じように、誰かの意志を継ぎながら小さな一歩を踏み出す。

アビドス中学校廃墟に立ち寄っている。
縁のある場所なのだろうか。

 朝霧スオウ。相変わらず例の双子ちゃんたちに振り回されている模様。ハイランダーが彼女にとっての居場所になるだろうか。行くところがなくなったらシャーレにおいでね。

2ndPVスチル、3年越しの回収

 そしてアビドス自治区は少しずつ活気を取り戻していく――が、ここは学園都市キヴォトス。未知の脅威にあふれている。平穏な「日常」を守り抜くため、少女たちは今日も戦い続ける。

「アビドス、行くよ!」

 ――さて、それじゃあ行こうか。指揮は任せて。無事に終わったら紫関ラーメンだ!


完走した感想

対策委員会編~TrueEnd~

 …………まず一言、言わせてください。ここまで風呂敷が広がるとは思わねえだろォッ❗❓ 半年前、3周年イベントで『陽ひらく彼女たちの小夜曲』と対策委員会編3章プロローグが発表された時は「おっ? ホシヒナ匂わせかぁ?」くらいにしか思ってなかったんすよ。ところが蓋を開いてみたらどうですか。Part3で両者が再会。Part4では開幕から想像を遥かに超えるド迫力な演出でその激戦が描かれた。

 4月からはアニメ版対策委員会編が始まった。シロコがホシノの盾を振るったり、みんなで水族館を訪れたり。生徒たちの心情を掘り下げるそんなアニオリ描写が好きでした。それと並行して要所要所で更新される3章。アニメでは動く絵でホシノの「現在」が、ゲームでは「過去」がじっくりと描かれる。ホシノという生徒の可愛らしさ、心情、葛藤、悲壮な覚悟。それらがさまざまな角度から描かれ、小さな肩に大きな使命を背負うその姿が、頭から離れなかった。

 そうしてPart3でホシノVSヒナに心躍らせていた私は――Part4終盤、ホシノテラー化で絶望のどん底に叩き落された。

 ……かと思えば、Part4実装から4日後に開催された3.5周年ブルアカらいぶでは、臨戦ホシノとシロコテラー発表。そしてPart5翌日公開を発表。ステージ画面に映し出されたスチルは、テラー化から元に戻ったホシノの後ろ姿。それは紛れもない希望

 しかもアビドスだけじゃなくて夏アリまで同時発表しやがって……なあ楽しいかよ❗❓ オタクの心をここまで弄んでよぉなぁ❗❓ …………楽しいだろうなァ❗❓ あんがとなあやっぱ最高だよブルーアーカイブ❗😭 夏アリイベントはこの後じっくり読ませてもらうかんなァ❗

 3章プロローグ発表から今日まで、本当に本当に素晴らしい半年間でした。私はエデン条約編も最終編もリアタイできなかったので、こうして余すところなく追うことができて本当に良かったです。高く高くなり続けたハードルを軽々と飛び越えてぶん殴りに来た。ここまでのものを見せてくれたのですから、今後の展開もますます楽しみになりますね。

 しかしリアタイの盛り上がりだけではない。今、私の胸の内にあるのは、小さな積み重ねによって大きな「奇跡」に導かれていく感覚。ひとつひとつ、少しずつ明かされていく物語のその先には、半年前では想像すらできなかった光景が、美しい夜明けが待ち受けていた。

 無論、これはホシノだけの物語ではない。対策委員会みんなは居場所を守るために奮闘した。最後までホシノに声をかけ続けた、手を伸ばした。自治区外からは「小鳥遊ホシノみたいにはなれない」と語っていたヒナが、ホシノを止めるために立ち向かった。別の時間軸からプラナとシロコテラー。先生もまた、たったひとりの生徒を救うことができない無力さに苛まれながらも、大人としての責任を果たした。

 そして何より――純粋無垢でまっすぐに人を思う生徒会長が、この世界には確かに存在した。それが私たちにとっての「真実」だ。そうであればこそ、苦痛は根本的には独りで抱え続けていくものだとしても、ホシノはどれほど辛くとも前に進むことができた。

 どれもひとつひとつは取るに足らない。けれど、その小さな積み重ねが紡いだ「奇跡」の物語。改めて全方位に感謝を。ありがとうブルアカ制作陣。ありがとうアビドス対策委員会・生徒会。ありがとうもうひとりの先生。

「……この苦しみも、幸せも、私の人生にとってどれも大切なもの。」
「苦しんで、後悔して、立ち止まるんじゃなくて……前に進むべきなんだ。」

 かくしてアビドスの長い夜は明けた。日は昇り、真昼になり、月は青空に姿を隠した。騒がしい「日常」はこれからも続いていく。儚い幸せも、消えることのない苦痛も、噛み締めながら。私たちは虚しくとも小さな一歩を踏み出す。

 …………うん、そうだね。長くなりましたが最後に。祈りを込めて、そして前に進むために。梔子ユメ元生徒会長。ありがとうございます。不器用な私たちだけど何とかやってみます。



 だから――





 どうか安らかにお眠りください。



真昼の空の月のように
いつも強くはいられないけど
あの日の過ちも後悔も
全部全部私なんだよ

真冬の夜の冷たい心も
真夏の朝の気だるさも
悲しみに暮れた君の涙も
無駄なことはひとつもないよ

大事なことはいつだって
目を離した隙に消えてしまうんだ
もう過ぎ去ったあの日に向かって
手を伸ばしたって触れないけれど
ありがとう全ての日々よ

『真昼の空の月』
(アニメ版エンディング曲)