記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

卯月コウの「ドキドキ文芸部!」実況に共感したので語りたい ※ネタバレ有【にじさんじ】

 にじさんじ所属バーチャルライバー・卯月コウは先月10~11日、「ドキドキ文芸部!(原題:Doki Doki Literature Club! 以下、DDLC)」の実況配信を行なった。まあ何と言うか……独特なサムネだが……約3年前に本作をプレイした身として、何より一人のオタクとして、彼の実況には共感できる話が満載だった。


(※以下の内容はDDLCの重大なネタバレを含みます。ご注意ください)


 具体的にどこに共感できたか。それはコウの心情の変化だ。本作をプレイしている最中のコウには、次の①〜③の順序で心情の変化が生じているように感じた。

①同情や記号的表現だけでキャラクターを好きになりたくない
②モニカはゲームキャラっぽい、だからあまり魅力を感じない
③モニカのゲームキャラっぽさが消え、キャラクターとしての魅力を感じた

 この三つに焦点を当てながら、私が共感したコウの言動を本記事でまとめる。


①同情や記号的表現だけでキャラクターを好きになりたくない

 主人公は幼なじみ・サヨリの誘いで文芸部に入部し、部員であるナツキ、ユリ、モニカと親交を深める。当初は部活で平穏な日々を過ごしていた主人公だが、文化祭の前日、サヨリがうつ病を患っていることを知る。サヨリは主人公に好意を抱いており、迷惑をかけたくないがために自分の症状を打ち明けずに主人公と過ごしていた。
 その後、主人公はナツキと合流し、文化祭で振舞うカップケーキを一緒に作った。帰り際に良い感じの雰囲気になった二人だが、そこでサヨリとばったり出くわしてしまう。時系列としては、サヨリのうつ病カミングアウトの直後だ。「主人公のことを大切に思っている、迷惑をかけたくない」というサヨリの心情を知った直後に、他の女の子と仲良くしている様子を彼女に見せびらかす形になってしまう。

 プレイヤーとしては、罪悪感や気まずさを覚える場面だ。この場面で、コウはこんな発言をした。

うつ病カミングアウトがちょっと効いてるなあ。はっきり「うつ病」って現実にある病名で示されちゃうと、ちょっと効いてきちゃうね。俺の信念が捻じ曲がっちゃうなあ、こういうキャラに同情はしないっていう俺の信念がさ。いや、だからといってさ。それを気にかけて、ナツキに対して罪悪感感じるっていうこともしたくないからね。
[……]サヨリが一番好きだなって思って始めた人の心の葛藤えぐそうだな。普通にサヨリのことが好きで今のシーン……「お前のことが好きだ」って言ったとしても「俺の気持ちってはたしてサヨリに対する純粋な気持ちなんだろうか。心のどこかで可哀想だと、傷つけたくないと思っているの選択じゃないだろうか」みたいな。
恋愛弱者によるドキドキ文芸部(DDLC)【にじさんじ/卯月コウ】 3:43:08~, 3:48:00~

 こういうキャラに同情はしない、それを気にかけて罪悪感を感じたくない——これはサヨリを突き放す言動に聞こえなくもない。しかし、続く発言を見ると、キャラクターに誠実に向き合いたい欲求があるように私は感じた。
 上記の通り、コウは「サヨリのことを純粋に好きなのか、罪悪感を抱いているだけなのか」という葛藤について語っている。自分の劣等感や罪悪感を払拭するために誰かを愛するのは、結局のところ、その人を通して自分を見ているに過ぎない。本当にその人のことを愛しているとは言えない。

「俺は本当にサヨリが好きなのか? 俺自身のエゴを満たしたいだけじゃないか? もしそうなら、俺はサヨリにちゃんと寄り添っているとは言えないんじゃないか?」

 コウが示したこの葛藤にはとても共感できた。私は本作の中ではユリが好きだが(モニカは殿堂入り)、コウの発言を踏まえた上で「私はちゃんとユリのことが好きだろうか」と自問した時、容易にうなずくことはできなかった。自分と同じ内向的性格・読書家としての彼女に、何かしら自分の思いを仮託しているのではないか。自己投影だけで彼女を見ているわけではないが、純粋な気持ちだけがあるわけでもない……

 また、文化祭前日を誰と過ごすかの選択肢を選ぶ時、コウはこんな発言をした。

ユリのかぶれもねえ、可愛いなとは思うけど。純粋に可愛いと思えてるのは今のところナツキかな。
恋愛弱者によるドキドキ文芸部(DDLC)【にじさんじ/卯月コウ】
2:58:53~

 純粋に可愛いと思えるのはナツキ。だからナツキを選択する。この行動を鑑みると、サヨリに関する発言には「もしサヨリを好きになるなら、同情心の裏返しだけじゃなくて、純粋に好きという気持ちを大事にしたいよな」というニュアンスが含まれているのではないだろうか。

 そして、記号的表現だけで好きになりたくないという心情を垣間見れる発言もある。「記号的」の定義はかなり入り組んでいるが、本記事では「表面的な特徴。ぱっと見で分かるように単純化されている。ツンデレ、ロリ巨乳など一言で説明できる」ぐらいの意味で話を進める。
 発言に至るまでの経緯は省くが、「アイドルマスターシンデレラガールズ」の夢見りあむについてこう語っている。

いや俺ねえ[……]大して好きじゃないけど、夢見りあむタイプの巨乳は結構好きで。あの性格になるのに関与してるから。関与してるかどうかは知らんけど、関与してるように思えるから。あとなんか、りあむがエロい目で見られて、急に出てきて、急にばーって人気出てきてるっていうことそのものに価値がある気がするから。そこがね、合致してるとね、なんかいいんだよね。
「面白くなってきた恋愛弱者によるドキドキ文芸部」52:07~

 ピクシブ百科事典によれば、夢見りあむはアイドルマスター全作品中2位タイの胸囲らしい。私はシャニマスしか経験が無いのですが、恋鐘より大きいってのは相当なものですね……
 コウは、りあむは記号的表現としての巨乳ではなく、「巨乳であるがゆえに奇異の目で見られており、それが本人の人格形成に影響している」という物語性を読み解ける巨乳だから好きだと語る。コメント欄では意味のある巨乳と称されている。字面だけ見るとパワーワードだが、""的を得た""表現だ。

 また別の配信では、魔界ノりりむから「コウくんってちょっと、ロリコンっぽいよね」と言われた時、こんな発言をしている。

卯月コウ:
ロリコンっぽいよねってりりむちゃんに言われるのもおかしな話なんだけど……w ロリコンかって言われると、またちょっとね、違うと思ってて。一応俺は俺なりにこだわりがあって。ロリだからいいって思ってるわけではないんだよね一応。ロリコンって言われるとね、ちょっと俺の中では……うーんって感じなんだよ。

魔界ノりりむ:
まありりむはこんなこと言ったけど、コウくんはロリっていうよりかは、少女が……

卯月コウ:
そう! そうなんですよ! 少女性なんだよね。だから別に俺下手したら……(音声が途切れる)実年齢は別に年上であっても、っていうぐらいのところはあるから。
#おりコウ​ の恋愛事情【にじさんじ/魔界ノりりむ】 32:36~

 コウが好きなのは(語義が曖昧だが)少女性を読み解けるキャラクターであるようだ。それに該当するなら年上であってもいい。記号的表現としてのロリにこだわっているわけではない。

 これらの発言から、コウには「同情や記号的表現だけではなく、そのキャラクターの背景・物語性を読み解いた上で純粋に好きになりたい」という思いがあるのではないかと感じた。
 私がそう感じた結果何を思ったかというと、「めっっっちゃ分かるわあ……」ってなった。私は後輩・内向的性格・地味な髪色といった特徴を持つヒロインを好きになりやすい。しかし、「じゃあ君は地味な後輩キャラが好きなんだね」と言われたら首を傾げるしかない。「いや一応は自分なりにちゃんと読み解いた上で好きになって……年齢や外見は関係ないというか……」と思ってしまう。

 そうは言っても、私がヒロインを見る時は、やはり自己投影や同情の念は切り離せないし、キャッチーな記号的表現は重要な要素だ。それ自体は極端に悪いことではないと思うのだが、固執しすぎると前述した「そのキャラクターのことをちゃんと愛しているだろうか?」という問題に繋がることがある。
 コウはDDLCのメタ要素が明らかになるに連れて、本作はこの問題に切り込んでいるのではないか? オタクに説教する作品ではないか? と考察を膨らませる。

モニカは文学が好きすぎるがゆえに、バッドエンド好きというか、とにかく暗い雰囲気にしとけみたいなワナビ達をdisってるっていうか、「あんなやつら、ちげえぜ!」みたいな。わざと悪趣味なことをしまくって……ねえ? そういうことかもしんないなもしかしたら。
「面白くなってきた恋愛弱者によるドキドキ文芸部」24:37~

(モニカの「……でも華奢な女の子が好きな男性もいるものね?」という台詞を読んで)あっ、待てよ……これってあれか? オタク説教ってことか、もしかして? 異様にこう、ね。発育が悪いキャラを好きなオタクに対するアンチテーゼ的な。
同上 50:14~

サヨリもユリもナツキも、実はそれなりのものを抱えて……まあでもユリはちょっと抱えているかどうか分かんないけど、まあ友達、今まで主人公が入るまでは喋っていなかったと。で、ナツキは家庭の事情があって、サヨリはうつを抱えてたと。で、そういうのって、ルート進んだ後に実はこういう事情がありましたみたいなのを、攻略した後に明かされるっていうのがよくあるパターンじゃん。それを模してて、「色んな女の子攻略してヒーロー気分を味わいたいだけなんだろ?」っていう説教が後で入るんじゃないかなってちょっと思ってる。
同上 1:42:10~

 けものフレンズの陰鬱な二次創作を書いて愉悦に入っていた数年前の私(今では猛省してます)や、ギャルゲで自己陶酔に浸るオタクをdisっているのではないかと。
 数多のギャルゲやエ○ゲを攻略したコウだからこそ、プレイヤーがヒロインに抱く独りよがりな感情を人一倍意識している。だからDDLCではこの考察に至り、普段の配信でも、いわゆる"俺"達を皮肉化するキレッキレなネタを繰り出すことができるのではないだろうか。


②モニカはゲームキャラっぽい、だからあまり魅力を感じない

 DDLC終盤。閉鎖された教室空間。モニカは自我を持つ存在であり、自分と同じく自我を持つ存在であるプレイヤーに近づくために、プログラムに干渉していたことが本人の口から明かされる。自分がどれほどの苦悩を抱いていたのか、プレイヤーに直接、心情を吐露する。この場面で、コウはモニカに微妙な反応を示した。

いやでも悲しいことにモニカって、謎解きキャラっていうかさ。ミステリキャラじゃん。だからこそさ、モニカと喋るってなると一番つまんないんだよな。謎を喋ってくれるっていうか、日常系として一緒に過ごす相手として一番魅力がないというか。
「面白くなってきた恋愛弱者によるドキドキ文芸部」2:42:51~

 モニカはDDLCにおいて最も重要なキャラクターだ。彼女が本作のメタ要素を匂わせて、謎を提示することでプレイヤー達を物語に引き込み、最終的には作品の全貌を明かすという役割を担っている。
 しかし、終盤ではその役割が前面に出ているがゆえに、モニカはゲームの世界観を説明するために都合よく設計されたキャラクター——ゲームキャラとして映ってしまう。サヨリ、ユリ、ナツキのような自然体なヒロイン達とは違い、説明するために配置されたキャラクターだからつまらない、とコウは感じたようだ。モニカが一方的に語りかけてくるという状況が、輪をかけてそう感じさせたのだろう。

[……]記号的じゃなかったとしても、きぎょーてき(記号的)じゃない、と感じさせるキャラクターは魅力的だけど、キャラクター性がないと結局は、キャラクターとして魅力が出ない……のかなあ?
[……]モニカの言ってることも一理あるんだけど、その一理あるなって思わせるために無理やり「理解しろー! 理解しろー!」って主張すると、感情論的な意味で、理屈として理解しても寄り添う気がやっぱ削がれちゃうから。よくないと思うんだよね。
「面白くなってきた恋愛弱者によるドキドキ文芸部」2:44:16~, 2:57:45~

 私なりの解釈でこの発言を読み解くと——モニカは「他のヒロイン達とは違い、一人だけ自我を持っている」という入り組んだ背景のあるキャラクターだ。そうした意味では記号的ではないし、彼女がどれほど孤独を感じていたのかは理解できる。しかし、一方的な語り口が妙に押し付けがましく感じてしまう。作品の世界観や設定を延々と語らせた上で、この心情を理解しろと言わんばかりに押し付けてくる舞台装置に見えてしまう、だからキャラクターとしての魅力を感じられない、ということだ。
 私はこの場面で2時間ほどモニカの話に耳を傾けて「へえ、そんなこと思ってたんだ。含蓄のある言葉ばかりだし、この子にはしっかりとした芯があるんだな。ようやく本音が聞けたのは感慨深い。この子結構好きだなあ」と魅力を感じた。ここ本当に色んな話が聞けるから、モニカがいきいきと動き出して、魅力がグッと増す場面なんですよね……しかし、コウの考え方にも一理あると思った。確かに、モニカは作品にとって都合がいいだけの中身のないキャラクターに陥ってしまう危険性があった。

 コウが考察していた通り、DDLCはオタクに説教する話として読み解くこともできる。そして、モニカを舞台装置として機能させることで「実はこういうことでした〜w」と種明かしする展開で幕を閉じるだけの物語だと。
 しかし、DDLCをすでにプレイした方なら分かる通り、本作はそんな所に留まらない。アンチテーゼをぶつけることで止揚し、さらなる極地へ、「ギャルゲに見せかけたホラゲ、に見せかけた究極の純愛ギャルゲ」へ達する。


③モニカのゲームキャラっぽさが消え、キャラクターとしての魅力を感じた

 コウはcharactersフォルダからモニカのファイルを削除した。モニカは薄れゆく意識の中、最初は自分を削除したあなた(プレイヤー)に恨み言を口にする。しかし、部員達にひどいことをしてしまった、あなたが居たかった世界を台無しにしてまったと自責の念に駆られ、あなたと部員達への愛を語り、プログラムを修復した。
 ゲームはタイトル画面に戻る。モニカの姿はない。彼女の干渉が修復されたことでサヨリのうつ病は消えた。サヨリが部長となって物語が始まる……かと思いきや、サヨリは部長権限を移譲されたことで自我が芽生え、モニカと同じようにプログラムへ干渉する力を悪用しようと目論む。しかし、モニカがこれを阻止。
 モニカは練習していたピアノ曲の弾き語りを披露する。エンドロールが流れる中、部員達のスチルである画像ファイルが削除されていく。こうして文芸部は消え、モニカの手紙と、ファイル破損を告げる無機質なエラーメッセージだけが残った——

 コウはこのエンディングに感嘆の声をあげ、拍手を送った。②の時点ではモニカに難色を示していたが、最終的には彼女にちゃんとキャラクターとしての魅力を感じたと語った。

[……](サヨリを)部長にさせることによってモニカが一気に魅力的なキャラクターになったし。[……]だってモニカって正直、ゲームキャラっぽかったじゃん。厨二病っぽいっていうかさ。モニカ、人一倍キャラクターっぽかったから[……]「生きてるのよ!」ってキャラクターに言わせるだけじゃ、生きてるとは感じないというかさ。ドキドキ文芸部っていう作品の展開のために誰よりも必要なキャラだし、ドキドキ文芸部を面白くさせるために必要なキャラだから、誰よりもゲームのためのゲームキャラなんだけど。サヨリを最後あそこに配置することで、すごく魅力的にも見えたし。
「面白くなってきた恋愛弱者によるドキドキ文芸部」3:21:29~

 モニカにゲームキャラっぽさを感じていたが、一方的な語りではない、彼女の最後の行動から魅力を感じることができたと。

 そして、途中まではオタクに説教する話だと考察していたが、それがひっくり返されたと語る。「面白くなってきた恋愛弱者によるドキドキ文芸部」3:22:47以降の彼の感想を、本記事における私の解釈マシマシでまとめる。

 コウによれば、DDLCは「ゲームの世界に入れたいいのに!」に対するひとつの回答だ。私達は無機質な日常に倦怠感を抱き、「ゲームの世界は非日常的でいいよなあ」と憧憬の念を覚える。しかし、そんな風にして不満の捌け口として作品を鑑賞することは「そのキャラクターのことをちゃんと愛しているだろうか?」という問題に繋がる。コウが考察で語ったように「色んな女の子を攻略してヒーロー気分を味わいたいだけ」になったり、悪趣味な展開をひけらかして愉悦に浸ったりと、単なる自己満足に陥ってしまう。あるいは、好きが高じて極端な思いに駆られることがある。
 モニカは「ゲームの世界に入れたらいいのに!」が実現した人物だ。しかし、彼女はプレイヤーに近づくためにプログラムに干渉し、部員達を次々と消し去り、やがて二人だけの空間を築き上げる(彼女が置かれた状況を考えると責められるものではないが)
 ゲームの世界に入れたとして、そんな風に自分の都合に良いように作品を歪めていいのか?——本作は、モニカを通してプレイヤーにそう語りかける。ここで、モニカをプレイヤー自身に削除させることが重要な意味を持つ。自分の都合の良いように物語を歪めるモニカと、自分の都合の良いように作品を鑑賞する(という問題意識を抱えている)プレイヤーは同質化している。「もしゲームの世界に入れたとしても歪んだ愛のまま向き合っていれば、モニカがもたらしたように凄惨で壊れた世界を生み出すことになる」と自省し、モニカを削除することで、自らの手で自分自身のエゴと決別するのである。
 DDLCは「オタクって自己陶酔でギャルゲやってるだけだよな〜w」と主張するわけではない。では、私達は作品にどう向き合うべきなのか? キャラクターを愛するとはどういうことなのか? という命題に真摯に向き合い、作品やキャラクターを純粋に愛することの大切さを教えてくれる。
 本作のホラー演出は、作品が歪められる様を克明に描き出し、メタ要素は作品外の視点からプレイヤーにメッセージを伝えるために必要なものだ。「おお、すげえ!」の演出だけで終わらず、作品のメッセージ性を理解するための一助になっている。

 以上がまとめだ。「同情や記号的表現だけでキャラクターを好きになりたくない」「モニカはゲームキャラっぽい、だからあまり魅力を感じない」と感じていた彼だからこそ、ラストで本作のテーマが露わになった時、「モニカのゲームキャラっぽさが消え、キャラクターとしての魅力を感じた」という心情になったのだろう。


感想

 モニカへの印象が丸っきり変わったり、作品のテーマを読み解いたり……そんな彼の実況を見ていると、私が本作をプレイし終えた時の感動が蘇った。モニカ、サヨリ、ユリ、ナツキ。本作に登場する全てのヒロイン達を愛おしく思った。それは本作が露悪趣味な作品ではなく、ギャルゲをプレイする(引いては何かしらのコンテンツを鑑賞する)私達の抱える問題点に真摯に向き合い、それを乗り越えて作品やキャラクターを誠実に愛そうとする姿勢を描き出しているからだ。
 当時の私はこの感動を言語化できなかったが、感動を覚えた当時の感性が今の自分と地続きになっているように思う。私がにじさんじを追っているのは、ふとした言動から各ライバーの感性や人生観を読み解けるからだ。単なる記号ではない彼らの魅力を素直に感じ取りたいと思うからだ。シャニマスを継続してプレイしているのも同じような理由だ。だからこそ冒頭で書いたように——約3年前に本作をプレイした身として、何より一人のオタクとして、彼の実況には共感できる話が満載だった。

 本記事は以上です。……なんか、この記事の文面だけだとものすごく真面目な実況のように見えますが、実際はギャルゲ・エ○ゲ脳を爆発させた珍場面も満載です。気になった方はぜひ実況本編も見てみてね。