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「うっざマインド」に関する諸考察、卯月コウはマゾでなければ何なのか?

 「卯月コウ知ることは、自分を知ることだ」と最近思っている。卯月コウ(にじさんじ所属バーチャルライバー)が鋭い観察眼で言語化してくれる「暗がりを知る者の深層心理」「オタク特有の面倒くさい思考」は、似たような感性を持つ身としてはとても共感でき、自己理解を深めるきっかけになっている。

 私が「うっざマインド」と命名した彼の行動パターンもまた、オタクとして深く共感できるものだった。本記事ではこの「うっざマインド」に関する諸考察をまとめる。数ヶ月前〜1年前の情報を参照していること、私の個人的解釈が強いこと、私がコウボーイを名乗れるほどの者ではないことから、解釈違いの部分があるかもしれない。申し訳ない。


可愛い、けど、うぜえ!——「うっざマインド」とは?

 「うっざマインド」とは何か。その実例として、アイドルマスターシャイニーカラーズ(シャニマス)に登場するアイドル月岡恋鐘を見た時の、卯月コウの反応を見てみよう。

 恋鐘のサンプルボイスを初めて聞いた時、コウは思わず拍手した。しかし、一瞬で我に返る。「いやまだまだ信用すんな!」「方言出してオタクを油断させようとしてるだろ」と疑惑を抱いたのである。

 コウの言う通り、この月岡恋鐘というアイドル、嫌味な言い方をすれば「男の子ってこういうのが好きなんでしょ……♡」の要素がふんだんに詰め込まている。天真爛漫、自信家、巨乳、方言女子。その特徴ゆえに、シャニマスを知らない人が見れば「あーはいはい、男オタクを釣るためのキャラね。よくあるやつだ」と思ってしまうのも無理はない。

要はニンジンを吊るされた馬みたいな。でも俺は人間だから、それに疑っちゃうんだよ。そんな目の前にさ、ホイッってニンジンやられたら、「本当か!?」ってなっちゃうんだよな。
【シャニマス】エ〇同人でしかアイマスを知らない男のシャニマス実況【卯月コウ/にじさんじ】17:15〜

 コウも恋鐘から餌づけ感を敏感に嗅ぎとったようだ。それは警戒心か、「俺はそんな見え見えの餌には引っかからねえぞ」というプライドか。しかし……

恋鐘「うちにかかれば何でも楽勝やけんね〜!」
コウ「くぅ〜……」
恋鐘「今日はばりよかダンスレッスンができ——」
コウ「うぜえええええ!!!! 乱すなよ、俺の心を!! も〜!!」
【シャニマス】エ〇同人でしかアイマスを知らない男のシャニマス実況【卯月コウ/にじさんじ】18:58〜

 魂 の 叫 び。どれだけ疑っても、やはり恋鐘を可愛いと思ってしまう。一連の流れを図解すると、

うっざマインド図解

 オタク心に刺さるヒロインを好きになるが、同時に「オタクを釣るための餌ではないか?」という疑惑を抱く。相反する二つの感情でジレンマに陥った結果、「うぜえ!」と拒否反応を示す。

 これが「うっざマインド」だ。一言で言い表すと「可愛い、けど、うぜえ!」

うぜえわマジで! 陰キャで釣ってくんの!
【シャニマス】エ〇同人でしかアイマスを知らない男のシャニマス実況【卯月コウ/にじさんじ】32:50〜

 同作品の大崎甜花にも「うぜえわマジで!」という反応を示していたり、

 マジカミ案件配信でも似たような反応を示している。お気に入りのヒロインである東山陽彩に、パーカー一枚の衣装を着せた時の発言だ。

イライラすんだよなこの服。[……]女に嫌われてる女感というか、一周回って、需要に合わせて削っているタイプの女の子。で、それを可愛いと思ってる自分に対してイライラすんだけど「でも可愛い!」っていうさあ。「うわあ俺は所詮……クソー!」みたいな感じにさせられるんだよな。
【マジカミ】殴った運営がお仕事くれた件について 新機能で女の子を撮りまくる【卯月コウ/にじさんじ】25:25〜

 マジカミ案件動画では他にも「うっざマインド」を彷彿とさせる発言があるが、長くなりそうなので割愛。探せば他のアーカイブでも確認できるかもしれない。


なぜ「うっざマインド」が生じるのか?——オタクとして、キャラクターを純粋に愛したいから

(※本項は「ドキドキ文芸部!」のネタバレ含みます。未プレイの方は注意)

 なぜ「うっざマインド」が生じるのか? それは、記号的表現だけではなく、そのキャラクターの性格・心理・物語を理解した上で好きなりたいという欲求があるからではないだろうか。

 以前の記事で、この欲求が垣間見れる発言を取り上げた。列挙すると、

①サヨリのうつ病カミングアウトについて、「サヨリを好きになった人の心の葛藤えぐそう。サヨリに対する純粋な気持ちなのか。それとも、可哀想だ、傷つけたくないと思っているだけなのかって」と語る。

②ユリかナツキかを選択する時、「ユリのかぶれもねえ、可愛いなとは思うけど。純粋に可愛いと思えてるのは今のところナツキかな」という理由でナツキを選ぶ。

③夢見りあむ(デレマスのアイドル)の巨乳は、単なる巨乳ではなく、あの性格になるのに巨乳が関与していそうだから好きだと語る(コメント欄いわく「意味のある巨乳」

④魔界ノりりむから「コウくんってロリコンっぽいよね」と言われた時、「ロリだから良いというわけじゃない。少女性が好きで、実年齢は別に年上であってもいい」と答える。

実際、黒柳徹子に少女性を見出している。見た目がロリであることを重視しているわけではないことがわかる。

⑤モニカはゲームキャラっぽさがあるから好きになれなかったが、サヨリを部長にするという最後の行動で一気に魅力的になった。

①〜②は「同情や興味だけではなく純粋に好きでありたい」、③〜④は「記号的表現だけに囚われない」、⑤は「人間味があるキャラは魅力的に思える」という心理が垣間見れる。

 オタクを喜ばせるためだけに作られた都合のいいキャラではなく、必然性、物語性、人間としての魅力があるキャラを好きになりたい。だからオタクを釣るための餌に敏感になったり、警戒したりするが……恋鐘やパーカー陽彩はその盾を突き破って「可愛い!」と思わせてくる。釣られてはいけないと思いながらも釣られてしまう自分にイライラし、そんな葛藤などお構いなしに土足で踏み込んでくるヒロインを「うぜえ!」と拒否しようとする。そんな心理が働いているのではないだろうか。

 私はこの感覚にとても共感できた。たとえるなら、Youtubeで動画を見ている時、ふと流れてきた量産型ソシャゲ広告に「またこのソシャゲか……」とうんざりしながらも、(あっこのキャラ可愛い……内容気になる……く、くそっ! こんなのに心を動かされるなんて……!)と思ってしまう感覚。男オタクに限らず、たとえば女性から見た男性キャラや、マスコットキャラでも似たような現象が起きうるだろう。

 主語がデカくなってしまうが、卯月コウの存在が印象に残っているオタクは、私と同じように軽薄なコンテンツを避け、ディープなものを好む傾向があるのではないだろうか。記号的表現や性的客体化による餌づけ感が強い量産型ソシャゲ、やたらタイトルの長いラノベ、「いかかがでしたか?」で締める中身のないアフィブログ(中には優れたコンテンツもあるだろうが)。コウが恋鐘に警戒心を覚えたように、そうしたものを真っ先に怪しむ傾向が。
 それは単なる冷笑主義や中二病だけではなく、コンテンツの奥深さを深く味わいたいという欲求から生じるものでもあるだろう。私がこの記事を書いているのもそんな動機からだ。コウがうっざマインドを発動させるのもまた、この感覚と地続きなのかもしれない。

「俺たちのインターネット取り戻そうぜ。おもんね〜じゃん。ウェイ達が作り上げていくネットっておもんね〜じゃん」
「インターネットしてるインターネットが好きなんだよな」


卯月コウはマゾでないなら何なのか?

 ここからは「うっざマインド」とは直接関係ない話になるが、

・敗北に気持ち良さを覚える感覚
・少女性(少年性)
・エモ
・エロ

 卯月コウの配信でよく出てくるもの。こういうのって全部「社会的・理性的な働きの中に埋もれてしまうものを掘り起こす」という意味で繋がってるよな〜思っている。まだ試論段階だがまとめてみる。

 陽彩があざとい表情で自撮りしているポーズをした時も、彼は「うぜえんだよな」と言い放った。

うぜえんだよな。これいい意味で。一番うざいんだよな、こういうのって。でも一番好きなんだよ。みんな、負けるのって気持ちいいじゃん。
【マジカミ】殴った運営がお仕事くれた件について 新機能で女の子を撮りまくる【卯月コウ/にじさんじ】39:27〜

 巷では「コウはマゾだ」と言われているが、本人はこれをすぐさま否定している。

いや俺って言っとくけど、Mじゃないのよ。Mじゃないって明言するのも何なんだけど。物理的に負けるの好きじゃないし。他の女だったら、ちょっと心の中で小馬鹿にしちゃってるところを、それと同じ行動をされて、でもそれに萌えちゃったとき。「やべえ、好きだ」みたいな。自撮り(笑)みたいに普段思ってるくせに、自撮りしてる陽彩に対して萌えを感じた時。一番好きな敗北ですね。でも俺をM扱いするのはやめていただきたい。本当に。
同上
過去にはこんなツイートをしていた。罵倒されたり、他者から負荷をかけられたりといった、世俗的な意味でのマゾヒストとは異なる。

 私が思うに、彼の言う一番好きな敗北とは「自分の理性が敗北するのを自覚すること」だ。

自撮り

 「俺は他の女性があざとい表情で自撮りしていたら小馬鹿にするのだから、陽彩でも同じような反応をしなければならない」という理性による合理的な判断が覆される。それを許してしまう自分がいることを自覚する。これが彼の求める敗北だ。

 では、なぜ理性が敗北するのは気持ちいいのか? 話が飛躍するが——

 ジョルジュ・バタイユの文学評論「文学と悪」において、善は「社会の利害の計算にもとづく理性、持続への関心と結びつく任意の価値」と定義される。そして、これと対をなす「利害を度外視した非理性的・刹那的・衝動的なもの」が悪と定義される。
 これは通俗的な意味での善悪とは異なる。たとえば殺人は通俗的には悪とされるが、それが利害の計算を伴う理性的な行動でしかない場合、悪ではなく「自己本位(エゴイスティック)な善」なのである。

 文学とはこの悪を表現するものだ、というのが本書の主な論調である。曰く——

……わたしの考えでは、文学とは、本質的なものか、そうでなければ、なにものでもないものである。ところで、文学の表現するものとは、まさしく悪——悪の極限の形態——なのだが、その悪こそ、わたしたちにとって至高の価値をもつものだとわたしは考えている。
[……]文学とは、無垢のものではなく、もともと罪深いもので、ついには自分の正体を暴露せざるをえないものである。現実の世界では、行動ばかりが権利をもっている。わたしはこの本のなかでゆっくりと暇をかけて説明したいと思うのだが、文学とは、ついにふたたび見いだされた少年時のことではないだろうか。
「文学と悪」p.14-15 ジョルジュ・バタイユ 山本功訳(※太字強調は本記事執筆者によるもの)

 理性が敗北するのが気持ちいいのは、理性的な行動ばかりが権利を持つ「善」から、あらゆる規範に縛られない超道徳的な「悪」へ移行する解放感にある。別の身近な例でたとえると、童心に返ることの気持ちよさもここから生じるものだ。

 そして、まだうまく言語化できないが……「文学と悪」から引用したこの文章、私は卯月コウの配信にとても当てはまるように思うのだ。社会的・理性的なものをの善とした時に対比される「悪」陰キャエモ

 「少年時」は中学生マインド少女性を彷彿とさせる。

(マジカミの岡田マリアンヌについて)この子ねえ……なんかエロいんだよな。普段俺こういうキャラにはまらなくって。眼鏡属性もあんまないし、むしろあんま萌えないんだよね。デコ出しも正直あんま萌えなくて。[……]面白いよね、人って。あんまり好きなタイプじゃないにも関わらず、エロありっていう前提で見た時に、なんかものすごくエロいんだよな。
【マジカミ】案件ですら指示厨の言うことを聞き続ける配信【にじさんじ/卯月コウ】
(シャニマスの和泉愛依について)俺こういう子には屈しないよ俺! 屈しない! フラグじゃないからね![……]エロだったらいいけど、そこはまた別だけど、ガチで愛するってなったら、またちょっと違うかなっていう。
【シャニマス】エ〇同人でしかアイマスを知らない男のシャニマス実況【卯月コウ/にじさんじ】

 「エロありとして見る」「ガチで愛する」が別物、という観点もそうだ(エロさだけで好みを決めたくないけど、理性の制約を取り払うとなんかエロいで見れるよねって部分)。本記事で取り上げた「うっざマインド」もまた、理性と非理性の揺らぎがある運動だ。
 コウの配信ではそうした「悪」が次々と暴露される。それはただの笑い話だったり、確信めいたものだったりする。文学が「本質的なものか、そうでなければ、なにものでもないもの」「無垢のものではなく、もともと罪深いもので、ついには自分の正体を暴露せざるをえないもの」であるように。

 これらの点を鑑みると、卯月コウという存在を「マゾヒスト」「大人になれない子ども」と短絡的に決めつけるのはしっくり来ない。そういう一面もあるかもしれないが……「文学と悪」を基に考えると、卯月コウがマゾでないなら、社会的・理性的な働きの中に埋もれてしまうものに対する美意識が強い人間であり、また、それを巧みに言語化できる点において詩人や文学者のような存在だと言えるのではないだろうか。

 以上、頭の中でぼんやり思い浮かべていたものをまとめた。考察と言いつつ、主観的かつ抽象的な話になってしまったので、機会があればもっと具体化させたい。文学論とか、フロイト心理学とか、「エロティシズム」とか、参考にできる分野は多いだろう。


まとめ、余談

・「うっざマインド」とは、オタク心に刺さるヒロインを好きになるが、同時に「オタクを釣るための餌ではないか?」という疑惑を抱き、相反する二つの感情でジレンマに陥った結果、「うぜえ!」と拒否反応を示す現象である。
・卯月コウに「うっざマインド」が生じるのは、記号的表現だけではなく、そのキャラクターの性格・心理・物語を理解した上で好きなりたいという欲求や、コンテンツの奥深さを深く味わいたいという欲求によるものではないか。
・卯月コウは、社会的・理性的な働きの中に埋もれてしまうものに対する美意識が強い人間であり、また、それを巧みに言語化できる点において詩人や文学者のような存在だと言えるのではないか。

 まとめは以上。考察と言いつつ、半ば感想でした。後は余談。

・「うっざマインド」の元ネタは、言わずもがな「くっさマインド」。これは卯月コウ語録のひとつで、「ある特定のコンテンツやコミュニティに対し「くっさ」と感じてしまい、そのコンテンツやコミュニティに深く入り込むことができなくなること」を指す(上記記事より引用)。理性、プライド、周囲の目線、客観的思考などが原因で素直に楽しむことができなくなるという点では、「うっざマインド」は「くっさマインド」の派生だと言える。

・「なぜ剣持刀也はロリコンなのか?」という考察記事を以前書いた。剣持のロリコン、コウの少女好きには通底するものがあるように感じる。二人とも言語化能力に優れていると評されており、皮肉やブラックジョークが多い。一見するとニヒルな二人だが、そんな言動をするのは純粋さを大切にしていることが一因としてあるのだと思うと……あの悪役には実はこんなバックボーンがあったんだね的なエモさを感じる。

・本記事を執筆したきっかけは、ポケモンユナイト配信。久しぶりに配信をリアタイ視聴して熱くなったので、「寝かせていたあの考察まとめるか〜!」となった。金ネジキ達成もつい最近の出来事だし、夏にはユナイトの正式配信、秋にはダイパリメイク、冬にはアルセウスを控えている。ポケモン愛好家としては彼の配信が生きがいの一つになりそうだ。「卯月軍団自殺予定支部、冬まで生きよ! 俺が最高の配信してやるよ!」という言葉を思い出す。

・最後に「文学と悪」からもうひとつ、卯月コウを彷彿とさせる言葉を引用して筆を置く。

人間は、みずから自分を断罪するのでないかぎり、自分を徹底的に愛することはできない
「文学と悪」p.47 ジョルジュ・バタイユ 山本功訳