わたしの宇宙/野田彩子

今回、ご紹介するのは『潜熱』が話題を呼んでいる野田彩子の『わたしの宇宙』です。

フランス人の祖母を持つクォーターのヒロイン、津乃峰アリスは、主人公であり同級生である星野宇宙と、同級生男子の祖谷とのあいだで起こったとある事件をきっかけに宇宙の家を訪れます。

そこで宇宙は、この世界は「漫画」のなかの出来事であり、自分たちはその登場人物であること、そして宇宙こそがこの漫画の主人公であるということを語り、そこから物語は一気にメタフィクションとして展開していきます。


メタフィクションという表現手法は18世紀中頃にヨーロッパで生まれたもので、日本においては筒井康隆や小松左京といったSF作家が好んで用いたことで知られています。ここ数年で公開された作品のなかでメタフィクションが多用されているものでは、スラップスティックなギャグとスタイリッシュなアクションが話題を呼んだ、マーベルの「デットプール」が挙げられるでしょう。

「デットプール」では登場人物が観客に話しかけるという、いわゆる「第四の壁」(※)を破る演出が多用されており、それが物語の荒唐無稽さを強調しています。

本作でもヒロインであるアリスがフキダシに触れるシーンや、同級生の才見千代子の入浴シーンを読者に見せないためにアリスが入浴シーンよりも重要な出来事を強引に引き起こそうとするシーンなど、メタフィクションらしいガチャガチャした表現が次々と登場します。


しかし、本作の特徴は、演出としてメタフィクションを用いるというよりも、メタフィクションという表現方法そのものが物語の主題となっていることにあるといえるでしょう。

例えば、第一話で祖谷が正体不明の「化物」から逃げ惑うというシーンがありますが、この「化物」は後に読者である私たちのことであると明かされるように、メタフィクションという物語の構造を、登場人物たちが理解していく過程がそのまま物語として描かれているのです。

また、「これは漫画である」という物語のテーマを主人公である宇宙に語らせるだけではなく、 謎多き主人公の宇宙や極端に明るい弟の真理、恋に恋する同級生の千代子など、登場人物の設定を分かりやすくベタにすることによって、物語の内容そのものを、まさに「漫画」的なものにするという二重の仕掛けがなされていることも、本作の大きな特徴だと言えるでしょう。自分たちが「漫画」の中にいると知った登場人物たちは、いままで以上に「漫画」的な振る舞いを意識するようになっていくのです。

「これは漫画である」ということを自覚している登場人物たちは、後半で登場するこの漫画の作者(!)と出会うことで主体的にこの漫画に働きかけるようになり、漫画的表現を駆使して世界を駆け巡ります。漫画の中にいることを自覚した漫画的なキャラクターが、漫画的表現を駆使して世界を駆け巡る。作者の野田綾子はあとがきで、

私はお話の中のキャラクターによく恋をしますが
彼らが私を知らずに生きてるように
私も彼らのことを何ひとつわからないまま生きてるこの感じが
めっちゃ興奮します。
ありがとうございました

と語っていますが、『わたしの宇宙』の登場人物たちには他の漫画と異なった、まさにそこに生きている感じ、はつらつとした主体性を感じてしまうのです。

そんな夢のような物語にも当然ながら終わりがやってきます。

漫画が完結してしまえば登場人物たちが駆け巡る世界もそこで終わってしまいます。登場人物としての「死」ではなく、世界それ自体の「死」が漫画の完結によって訪れてしまうのです。しかし、本当にそこで漫画は終わってしまうのでしょうか?

その答えはぜひこの漫画を手に取って確かめてください。

(※)第四の壁

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