2020/02/08/Sat.

おはよう。

前日の夜、金曜ロードショーで「名探偵コナン〜瞳の中の暗殺者〜」を観て大満足のまま寝落ちして朝の4時半に目を覚ますという粗悪な目覚めを経て二度寝。
最高から最悪への転落をセルフプロデュース。
二度寝から目覚めたのは7時半。
何かしないと最悪から脱せないのではないかと思い、朝から軽めに筋トレをする。
少しだけ真人間に戻れた気がしてシャワーを浴びて朝食。

母が所属する南京玉簾の流派の発表会があるとのことでいそいそと出掛ける。
道中、南京玉簾の対極に位置するのではという程に果てしなく遠い存在感を放つDEAN & DELUCAでランチを食べたら1500円してビックリした。ディーンフジオカの仲間じゃなかったのか。
確かに食べ物もコーヒーも美味しい。街行く女性がこぞってトートバッグを持っている理由も解る。
MHL.のトートバッグを持っている勢やケーニヒスクローネのトートバッグを持っている勢、ビルケンシュトックのトートバッグを持っている勢を合わせた数を遥かに凌ぐのではという最大派閥はこの味と高級感とお洒落さにより数を増やしているのかと衝撃を受けた。
しかし、1日を終えてこの文章を書いている今となっては、この時の衝撃などほんの序章に過ぎないのであった。

母の属する南京玉簾の流派の発表会の会場はキャパ300人ほどのホールであり、チケットは500円。
数ある大道芸の中で南京玉簾単独という縛りがあるということを考えると中々に強気な価格設定ではないか、閑散とした空間でのんびり鑑賞することになるのではないかと失礼な予想を立てていたのだけれど、何と立ち見が出る程の大盛況っぷりであった。
開演5分前に到着し、空席に滑り込んだ。
冷静に考えれば出演者が総勢40人程度であるからして、それぞれが家族や友人を連れてくれば、そして出演しない門下生が見学にくればまあ埋まる席数である。
それでも来るとは限らない。現に父は観に来ておらず(いや、むしろお前だけは来なきゃいけないだろ)、何故か親戚が4人ほど来ていた。母の玉簾を観に来たと頭では解っていながらも何目当てでこんな所まで来たんだろうこの人たちは…などと考えてしまった。

パンフレットを見たところ、自分の母が教室の生徒をいつの間にか卒業し、一定の技能を習得し、芸名を襲名している事がさも当然の様に書かれており、変な声が出た。

母親が芸人になってる!!!!


滅茶苦茶笑った。
高齢者施設へ行ったり、お祭りに参加したりなどと言う話はチラホラ聞いていたのだけれど、まさか流派において師範から芸名を授かるレベルに達しているとは思いもよらなかった。
ていうかそもそも芸名を貰ったなんて一言も聞いてない。絶対恥ずかしくて黙っていたのだろう。披露の場でない普段の空気の中では照れ臭くて言えないという気持ちは解る。
今度実家に帰ったら芸名で呼んでみようかな。ストレートに怒られそうだけども。

発表会は2部構成となっており、1部は師範代のソロからスタートし、芸名のない教室の生徒から選抜されたグループの演技。2部は母を含む名取(芸名を襲名している人たち)やその上の指導者の方々の演技という流れであった。
南京玉簾は、歌に合わせて玉簾を伸ばし、色々な縁起物の形を模しては元に戻すというのが基本となるらしかった。
1部は歴の浅い出演者が多いのか、組が変われど演目はほぼ同じ、王道とされる形(っぽい)を繰り返し観ることとなった。
まだ日も浅そうでテンポも良いとは言えず、玉簾が絡まってしまい(どう伝えれば解りやすいのか見当がつかないが、失敗すると簾の竹と竹を繋ぐ紐が変に捻れてしまい元の状態に戻らないという状況に陥る)
舞台上で失敗してしまった方を目の当たりにする度にドキドキしてしまったんだけれど、南京玉簾の基本を繰り返し鑑賞したことにより、どういった芸なのかを知ることが出来たような気はした。
人の失敗を観ると笑いよりも心配になってしまう気の弱さがある為、自分の母が失敗したらどんな声をかければ良いのだろうと要らぬ心配をして変な汗をかいてしまった。
大道芸自体が縁起物ではある為か、演者の皆さんは一様に明るく、幸せや健康、発展などポジティブなワードがバンバンに出てくるので若干の宗教っぽさを感じ、日本公開が迫る「ミッドソマー」の予告を思い出してしまった。双方に対して申し訳ない。

2部は師範代の三味線と民謡のソロからスタートしたのだけれど、客席から民謡のシンガロングが起こっており、友達に連れて行かれた詳しくないアーティストのライブで自分だけ乗っかっていけないあの気持ちをまさかここで味わうことになるとは思ってもみなかった。
そして遂に母の芸人としての姿を目撃する瞬間がやって来た。
見慣れた顔が、見慣れぬ衣装を着て舞台の上に立っており、明るい調子で大道芸を披露しながら歌い、おどける姿を目の当たりにし、何故だか物凄く照れ臭くなってしまい暫くの間は直視出来なかった。
しかし芸名を貰う域に達している為か、1部に比べると格段に技術的にも上手いし、明るさを保っているというよりは明るさが湧き出ているという感覚を受けた。芸事はやはり積み重ねなのだな、と思うと照れ臭いながらも素直に凄いなと思いながら鑑賞することが出来た。
母がまるで母でない様な錯覚、顔を知ってる芸人さんを観ている感覚であった。
育つ過程で自分の趣味や嗜好へ理解を示してくれた親に対し、子供が親のそれに対し理解を示す機会はそうない様に思うので、楽しめた事によって珍しくお返し出来たのではと思ったし、還暦を迎えた母が何だか楽しそうに玉簾を操っているのを観れて良かったという気になった。
終演後、少しだけ話す時間があったものの恥ずかしさからそんなことは言える訳もなく、とりあえず上手くてビックリしたとだけ伝えて帰った。

休憩がてら入ったカフェで席に座った瞬間に何故だかドッと疲れて動けなくなってしまった。
普段使わない感情を酷使したのかも知れない。
疲れ過ぎたのか頬の真ん中に朝まで無かったニキビが出来ていた。笑う

食事もササッと済ませたので早めに寝たい。
母の南京玉簾を夢にまで見そうである。
紐づけてしまったミッドソマーと融合した悪夢を見てしまいそうで不安もあるが、こればかりは見ないよう祈るほか無い。

おやすみ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?