ミッドサマーの感想日記(2020/02/26/Wed.)

おはよう。

ミッドサマーを観たので感想を書きたい。

ネタバレするつもりで書くので、間に先日行ったジビエが食べれるお店の感想を挟もうと思う。
ネタバレが好ましくない方はここでお別れです。
カラス、穴熊、冷凍してない牛タンなんかを食べながら、ジビエという人間の味覚や物量確保という都合で品種改良されていない動物の肉というのは弾力と鉄分が強めなのかレバーに近い味わいのものが多く、食べることの新鮮さと奥深さと有り難さを感じながらも全部すっ飛ばして口に入れたもの全てが美味しくてワインがすすみ、結果ひとりあたり2万円近いお会計になってしまった。
しかしそれを払っても痛くも痒くもない体験であったと思うので頑張って働いていかなければなぁ、と思った次第であるし、一方で高いお金を払って食に関する技術の進歩(進化とか言う訳ではなく歩みという感じの)に逆行して感動している自分を煙たげに眺めている自分もいたりして忙しいかった。

さて、そろそろミッドサマーについての感想を書きたい。
出来るだけ情報をミュートし、それは監督のインタビューや観た人の考察なんかもほぼ読まないで、何なら売り切れたら困ると先に買ったパンフレットも開かずに観ての今なので筋違いなことを書いている可能性は大いにあるんだけれど、まあ借りた言葉よりは良いのかも知れないのでこの状態で書きたい。
まず冒頭の絵の時点で「あ、これアカンやつ観にきてしまった」と激しく後悔した。
「本日のコースメニューはこちらでございます」ってレストランみたいに流れを全部明かしてしまってる訳で、それを見せられると「解ってても怖いから覚悟しとけよ」と言われているのか、でもアリ・アスター監督の前作である「ヘレディタリー」を振り返るとむしろ「解ってても怖いのが来ると思うと何か不安にならない?」って心理を利用されている様な気がした。

物語が始まる前から心を乱されてしまって、このタイミングで動悸がしてしまい、これはもう勝てないなと思ってしまった。まあ深読みなんだろうけど。
主人公のダニーと恋人のクリスチャンの破局寸前の雰囲気がとりあえず生々し過ぎて笑ってしまったし、男友達も含めてマジでこういう若干ではあるけれど致命的にデリカシーに欠ける発言なんかをハラハラしながら追いかけているうちにホルガ村に到着した訳なんだけれど、しょっぱなの村人のおっさんの信仰に対する認識のペラさというか都合の良さみたいなのが垣間見える言動をもって「ヤバ過ぎる村来ちゃったな、こりゃ犠牲者が出る訳だわ」とまだ何事も起こっていないのに感じてしまった。
「昔からこうして来たんだから、こうやって決められたことを信じて暮らしていくのが合ってるんですよ」みたいな、実家がカレーに醤油足して食べるから無意識にそうしてるんで他の家がどうとか別に知らなくてもいいですみたいな雰囲気が充満していて怖かった。
離島に赴任したお医者さんの島民ルールとの付き合い方による苦労話なんかをネットで読んでは震えてしまうタイプなんだけど、それと同じ怖さを感じた。
生命の継承の下りを体現する72歳老人落下については、割と冷静に観られて驚いた。飛び降りるまでは急流滑りの坂をのぼっていく気持ちで「無理かも知れない…」と不安で仕方なかったんだけど、村民たちの共鳴(当事者の感情の模倣?をすることで私たちは繋がっているという意識を持つ儀式の様に見えるので共感より共鳴が適当な気がする)が余りにも非日常過ぎて冷静というよりポカーンとしてしまったのかなと今振り返ると思う。
それはそうと90年に一度の祝祭がある村の命の終わりが72年というのは物凄く邪悪というか、都合良く神格化出来る仕組みだなとこのシーンで感じた。少なくとも次の世代は「そういう祝祭がある」という美化され、語り継がれる物語を聴くことでより自分の生まれ育った環境の美しさと尊さに陶酔するのではないかと感じた。

まあその後は明らかコレ犠牲になってね???という旅行者たちの消息不明がいちいち不穏過ぎるし、表面上あまりに明るく朗らかなホルガ村の人たちへの畏れから感情のコントロールが上手くいかずギスギスしていく主人公たちがまるで自分の様に感じる。明るくて優しいのに怖いなんて思っちゃダメかも知れないけど、やっぱ何かこの人たちヤバよな、でも言えないよな…みたいな神経の尖らせ方は本当に消耗する。冷静になんてなれない。
主人公グループのジョシュが聖典を撮影しようとしている所をマークの皮を被った村民に殴り倒されるシーンがずっと頭に残っていたんだけど、踊りでダニーが女王を勝ち取った後の食事の席、美しいテーブルの上に置かれた禍々しく歪む肉の様な何かを見て瞬間的に「あれマークの肉じゃね!!?」と吐き気がこみ上げて来てしまった。実際どうなのか解らないんだけど、犠牲になってからというものマークは最後まで皮しか出てこなかったので(凄い日本語だな)そういうことなんじゃないかと思っている。
マーク、こんな姿になっちまって…となった。(くどいけれど正解かは解らない)

また、主人公のダニーとクリスチャンが常に別のタイミングで心を乱していた故に歩調が合わなかったのも村人たちの確信犯的な誘導や演出のせいであったと思うし、たられば過ぎるけれど2人の歩調が合うタイミングがあれば逃げることが出来たのではないかと思って、生贄を得るため、また新しい血を村に取り入れる為に主人公たちをトランス状態にとことん落としていったホルガ村の禍々しいまでの周到さは心底気持ち悪くて動悸が止まらなかった。
クリスチャンの性行シーンでの共鳴、それを目撃してしまったダニーの嗚咽の共鳴は何故か笑ってしまったんだけど、他のお客さんもチラホラ笑っていたので松本人志主催の「ドキュメンタル」の終盤にありがちな「圧倒的な感情表現は何か面白くなって笑ってしまう」が発動してしまったんではないかと思うし、こんだけ気持ちの悪い怖さに手汗をビッショリかいているのに笑ってしまった自分の平衡感覚のズレみたいなのもまた怖くてたまらなかった。

ラストシーンでクリスチャンを筆頭とする生贄のひとりに志願した村人が「痛みを感じないから」「恐れを感じないから」と民間療法丸出しの植物由来の何かを舐め、炎に包まれて痛みと恐れで絶叫しているのに他の村人たちが「共鳴」しているのを見て、この人の洗脳が切れた瞬間を利用して更に繋がりを深めていこうという感じに信仰と生贄の歴史をみた気がする。穢れを流すって言ってた気がするけれど、俗世的な感性を捨てて更に信仰の深みへみたいな感覚になる。
ミッドサマーは何映画なのだろう。
ヒューマンホラーと言うには余りにも、失恋映画と呼ぶにも余りにも。
ただ、破局が共通のビジョンとして見えていたカップルがホルガ村という壮大な舞台装置の上で踊ることでまるで大きな流れの中で別れて「しまった」とするなら失恋映画なのかなぁ、とボンヤリと思った。

あとこれだけは書いておきたいんだけど、ペレ怖過ぎるだろ!!!!
そんな澄んだ目で!クソ!!こえーよ!!!!

時間が経つほど書きたいことが出てくる気がするし、パンフレットとかインタビューをこれから解禁して読もうと思うので、また何かあれば追記していきたい。

滅茶苦茶悪夢みそうだけど寝なければ。

おやすみ。

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