基軸通貨の勃興
2020年9月執筆
人民元が国際化できるのか、ドルに比肩するような基軸通貨となるのか、といった疑問について考察する記事や論考を目にする機会が多くなった。こうした問いに答える上で参考となるのは現在の基軸通貨であるドルがどのようにして国際化したのかという経験であろう。ドルが国際通貨として台頭したのは第一次大戦から1920年代にかけてのことである。この経験を人民元の現況と比較することによって国際化を進める人民元について評価したい。
国際決済に使えないドル
第一次大戦前のドルは国際通貨となる条件を完全に欠いていた。国際決済に利用できるような基盤を持たないという致命的な欠陥がドルにはあった。当時の基軸通貨は英国ポンドであり、国際決済はロンドン宛ての為替手形によって行われる比率が過半を超えておりロンドンは世界の手形交換所であった。
一方、米国は1913年に連邦準備法が成立するまで基本的に貿易信用すらできなかった。貿易関連の業務ができないということは輸出業者が振り出す為替手形に対して信用状を発行する手形引受ができない。これでは米国向けの手形を輸出業者が振り出すことはできなかったわけである。
また、米国銀行は外国支店の設置を一部の例外を除いて禁じられていた。このため外国の貿易業者について手形引受の審査に必要となる情報収集ができる状況ではなかった。そもそも米国の金融市場は金融危機が頻発しており、1879年の金本位制採用後も通貨価値が不安定であったため国際決済にドルは使いにくかった。
ドルの飛躍
FRB(連邦準備理事会)が立ち上がったことで状況は変わっていく。通貨調整の手法として市中銀行から引受手形を購入する必要が出てきたことが大きい。ドル建ての引受手形がなくては話にならないため、米国銀行が外国支店を設置することが許可された。米国銀行は積極的に海外進出して1920年代末には海外支店が181店舗にのぼった。
ドル建ての引受手形を増やすには先行するロンドン市場より利便性が高くなくてはならない。ロンドンには引受手形へ投資する投資家が多いため市場の流動性が高く手形の価格は安定していた。ロンドンに対抗するには投資家を引きつける必要があったが、FRBが引受手形を再割引することによって流動性を供給することで引受手形市場の発達を促したのだった。
第一次大戦の勃発はドルが飛躍する契機となった。戦争によってロンドンでの手形引受と手川割引は停止し、米国の多国籍企業が進出していたラテンアメリカやアジアとの貿易が混乱した。ドル建て貿易金融を確立して国際通貨制度のポンドによる支配に対しての挑戦が加速していく。
米国は1919年6月にいち早く金本位制に復帰したことによって通貨価値の安定を取り戻した。このこともドルの国際化を後押しすることになった。国際通貨の機能の一つである決済通貨としての位置づけを銀行引受手形の総額によって観察しよう。実は1929年にはロンドン市場とニューヨーク市場ともに2.9億ドルとドルは決済通貨としてポンドに比肩しうる地位にまでになった。
決済通貨としての人民元
米国がドルを国際化するため引受手形市場を整備したことに相当するのが中国による人民元の国際銀行間決済システム(CIPS: RMB Cross-Border Interbank Payment System)である。国際決済にはSWIFT(国際銀行間通信協会)の通信システムを利用することが当たり前であった。ところが人民元の国際化を推し進めるべく2015年にCIPSが導入された。
現在のところCIPSには約90の国と地域の金融機関が900社ほど参加している。SWIFTへ参加する国・地域は200を超えており金融機関の数としては1万千社以上であることとを比べると決済ネットワークの広がりはまだ途上である。ただし、中国は経済関係が深い国々に対して人民元建ての投資や貿易決済にCIPSを使うよう促しているという。
原油取引をドル建てで行うペトロ・ダラー体制への挑戦も見受けられる。この動きは米国との対立が先鋭化している国々との取引において人民元によって代金を決済するものである。例えば、ベネズエラは2017年から原油輸出代金の人民元での受け取りを認めている。米国の経済制裁を回避するためにイランも2018年から人民元での決済を受け入れた。
決済通貨としての実力
中国は人民元の国際化に向けて次々と手を打っているが、今のところメディアにおける注目度とは裏腹にその存在感は極めて小さい。決済通貨としての利用状況は国際決済銀行が3年に一度行う外国為替市場の調査を確認するとよい。調査は4月に行われて一日平均の取引について結果が報告される。
2019年調査の数字を紹介しよう。為替取引に占める通貨別の比率はドルが88%と群を抜くのは過去と変わらぬ傾向である。続いてユーロが32%、円が17%、ポンドが13%という比率である。人民元の比率は4%であり、比率が5%のカナダ・ドルとスイス・フランに次ぐ位置にある。2010年には人民元の比率は1%であったので徐々に比率を上昇させてはいる。
国ごとの為替取引の規模を見よう。中国での一日あたりの取引量は2010年に200億ドルであったものが2019年には1,360億ドルまで増加した。為替取引の中心地である英国は3.5兆ドル、米国が1.3兆ドルであるのと比べると依然として差は大きい。また、CIPSの決済額も2019年は一日あたり194億ドル相当と増加はしているがまだ小さい。
大事なのは金融取引
中国の2018年のGDPは13.3兆ドルと米国に次いで世界二位であり、米国の65%まで迫っている。また、貿易については輸出については世界一であり、輸入では米国に次いで第二である。このように経済活動の規模からすると人民元の存在感の小ささは異常なものと感じる向きも多いことだろう。
米国の2019年における輸出は約2.5兆ドルに対して輸入は約3.1兆ドルであり、貿易取引から発生すると考えられる為替取引は5.6兆ドルになる。一方、為替取引の一日あたりの金額は1.3兆ドルであり、これに250日をかけて年換算すると325兆ドルになる。貿易取引の58倍である。為替取引の発生源となる取引のうち貿易はわずかな割合を占めるに過ぎず、決済通貨としての存在感に関係するのは貿易決済ではないと分かる。大事なのは貿易以外の金融取引である。
再び、1920年代のドルの経験を紐解こう。当時の国際収支を見ると、米国は貿易収支の大幅な黒字を計上するとともに、巨額の長期資本輸出を手がけていた。こうした資本輸出はドルで行われるため、国際金融取引において米国はドルを投資通貨として用い、米国以外の国々はドルを調達通貨として利用した。米国は債権国として世界にドルを供給したのである。投資・調達通貨としての機能は決済通貨機能と合わさりドルを国際通貨へと押し上げた。
金融鎖国の人民元
国際通貨が勃興する時期には貿易収支、ひいては経常収支の黒字を背景として海外へ国際流動性を供給することによって通貨の国際化が進展する。つまり、中国以外の国々が人民元によって資金を調達するのである。しかし、中国はいまだに資本移動を規制しており金融面での鎖国が続いている。
人民元による資金調達はできなくはない。中国国内において外国企業が人民元を調達する手段としてパンダ債があるし、国外において人民元建ての債券を発行することもでき、これはオフショア人民元建て債券である、なお、香港で発行するものを点心債と呼ぶ。Schipke et al.(2019)によると、国際化の目安となるオフショア人民元建て債券の残高は2015年の5,800億人民元がピークでありチャイナショックをきっかけに停滞している。調達した人民元を中国国内に持ち込むため事前に中国当局の許認可が必要というのも発行にブレーキをかける要因である。
現在の米国を見ると、勃興期とは異なり経常収支の赤字を海外からの資本流入によって埋め合わせるというパターンが続いている。米国にとっての資金調達通貨がドルになっているのだ。米国以外の国々はドルによって米国に投資する。1920年代とは調達と投資が入れ替わっている。
米国がドルによって海外から資本を引きつけることができるのはその金融市場の魅力にある。基軸通貨国の金融市場は多様な金融商品を提供し、多くの投資家が参加する市場の厚みがあり、瞬時に値付けされる高い流動性が必要である。米国以外の国々にとってドルは投資通貨であり、価値貯蔵についての信頼性が国際通貨に求められるのである。
中国国内に投資したくとも制限はいまだに残っている。2020年6月に投資上限が撤廃されたものの適格海外機関投資家と人民元適格海外機関投資家という中国本土で投資するための資格認定は続いている。こうした制限がある通貨を価値貯蔵手段として保有したい人は多くないはずである。金融グローバル化が進展した現在、金融取引の決済に用いられることが国際通貨となるために外せない条件である。中国が資本移動規制をしていることが人民元の国際化への大きな障害になっている。
準備通貨としての人民元
人民元の国際化については準備通貨として各国の中央銀行によってどれくらい受け入れられるのかという観点もある。中国と経済関係が緊密である韓国、シンガポール、タイ、フィリピン、インドネシアなどの中央銀行はすでに人民元を外貨準備に組み入れている。目立った動きとして、蓮見(2019)によると、ロシア中央銀行はその外貨準備において人民元の比率を2018年6月には0.1%から14.7%へと大幅に引き上げた。ドルに偏重する外貨準備の分散化の動きの一つとして人民元の組み入れる報道が目につくようになった。
この動向の契機となったのは国際通貨基金の特別引出権(SDR)の価値を構成する通貨バスケットに人民元が2016年から採用されたことである。通貨バスケットは世界の貿易制度と金融制度における通貨の相対的な重要性が反映され、ドル、ユーロ、円、ポンド、そして人民元から構成される。SDRにおける人民元の構成比は10.92%と日本の8.33%より高い。ただし、通貨バスケットへの採用によって各国の中央銀行が外貨準備として人民元をこぞって増加させるとか人民元に対する信用が急激に高まるというわけではない。
実際、世界の中央銀行における外貨準備のうち人民元が占める比率は国際通貨基金のデータでは2019年に1.8%でしかない。ドルは57%と未だに過半を超える比率である。人民元に対して自国の為替相場を維持する、あるいは中国に対する輸出競争力を高めるために元買い介入をするといった誘因がない限りは中央銀行が人民元を保有する理由はない。過剰なドル準備のリスクを軽減するための資産分散が今のところの人民元保有の理由であろう。
関係するトピックとして中国人民銀行とのスワップ協定がある。相手国の通貨を受け入れる代わりに人民元の流動性を供給するという金融市場の緊急時における措置である。2013年から40の中央銀行が協定を締結しており引出枠の総額は3.7兆人民元に積み上がっている。金額の大きい相手としては4,000億元の香港、3,600億元の韓国、3,500億元の欧州中央銀行が挙げられる。しかし、人民元の資金繰りに行き詰まった金融機関のために中央銀行が人民元を中国から融通してもらって貸し付ける事態や人民元の流出に対処するため人民元の売り介入をする事態は起こりそうにないため、協定の存在自体に積極的な意義を見いだすことが難しい。
最後に1920年代の経験を振り返ろう。1928年の数字を見ると、世界の外国為替準備は32億ドルであり、その内訳はポンド準備が26億ドル相当、ドル準備は6億ドルであった。この数字を額面通りに受け取ってはいけない。当時は金こそが最終的な国際決済に用いられる国際通貨であった。実は金準備は99億ドルと為替準備を大きく上回る。基軸通貨国である米国が財政赤字と経常収支赤字を計上しつづけ過剰なドルを世界にまき散らしているためドル価値に対する懸念が高まっている。安定した国際通貨体制の制度設計は今後も引き続き検討されるべき課題である。
終
参考文献
Eichengreen, Barry (2011). Exorbitant Privilege: The Rise and Fall of the Dollar and the Future of the International Monetary System, OUP Oxford. (小浜裕久監訳『とてつもない特権 君臨する基軸通貨ドルの不安』勁草書房、2012年)
Prasad, Eswar (2014). The Dollar Trap: How the U.S. Dollar Tightened Its Grip on Global Finance, Princeton University Press.
Schipke, A., Rodlauer, M., and Zhang, L. (2019). The Future of China's Bond Market, IMF eLIBRARY
上川孝夫(2015)『国際金融史 国際金本位制から世界金融危機まで』日本経済評論社
蓮見雄(2019)「人民元、ユーロとロシア」ユーラシア研究所ウェブサイト、2019年11月29日掲載
山本栄治(1997)『国際通貨システム』岩波書店
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