物書き初心者としての現在地点

この間、My Hair is Badについて書いた文章

を繋げて書き直してrockin' on主催の音楽文コンテスト"音楽文"に投稿してみました。初めて曲を聴いたときの初期衝動を形に残したいというのがモチベーションでした。

これまで、音楽雑誌読んだりして、音楽ライターってスゴイなぁと思うだけで、自分は享受する側でしかないと思っていました。だけど、このコンテストの存在を知って、そしてその時にnoteという媒体があったことで、「あぁ、自分も書く側になっていいんだ。」と気づけたのはすごく大きなことでした。

それで、この音楽文に投稿するための下書きをnoteに書いて、頭の中を整理してました。

そうして感覚を文章にしていく中で気づいた自分の悪い癖に気づきました。

背伸びして、自分の経験・考えを一般化させようとしてしまうこと。

上掲の一個目のnoteのタイトルがまさにこれを象徴しています。「同世代の僕らが」というフレーズ。こう銘打つことで、曲から発展させて、世相や時代を切ってますぜ~感が出るような気がする。音楽ライターさんの文はそうなっているものも多いし、それに憧れてこう書いてみたけど、それは背伸びし過ぎでした。今の自分に出来ることは自分の感覚を書くこと。それだけでした。他の人がどう思っているのかは推察でしかなくて、自分の考えを一般化させて導く結論はもしかしたら合ってるのかもしれないけど、非常に危ういと感じました。

そのように独善的な主張を撒き散らすだけにならないようにするにはどうすればいいか。

一つは他の人の意見に対してアンテナを張っておく事。裏付けとなる客観的な証拠が無いと内容も深らないなぁとか感じました。

もう一つは批評してもらうこと。取り敢えず、自分なりの結論を導き出した上で、それに対する肯定的・否定的両方の意見をもらうことが重要だなぁと思います。(文章でそれをする為には、PV数を稼がないといけないのでそこに至るまでが大変だ…)


と、このようなことに気づけたので精進いたします。

以下、投稿した文です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

My Hair is Bad が気づかせてくれた実像とその先

My Hair is Bad 通称マイヘア。10代とも20代後半とも違う20代前半のリアルを描くこのバンドの曲が同世代の自分に痛いほど刺さる。

マイヘアの歌詞はいわゆる等身大の歌詞とは少し違う。ありのままの気持ちを表現して、共感させるのが等身大の歌詞だが、マイヘアは心の奥底に湧き上がるけど気づかないフリして覆い隠したい後ろめたい気持ちや、その場を取り繕うために飲み込んだ本心すらも剥き出しに歌う。僕らリスナーはそんな気持ちが存在していることすら忘れていて、歌詞を聴いてギクッとする。等身大よりも少し小さい、自分すらも気づいていない実像を知らされることになる。

近頃、ニュースには世界全体の閉塞感を写す事件が溢れている。世界中で右派的なポピュリズムが台頭している。不安に駆り立てられる事で共同体の結びつきを強固に保とうとする気持ちはよく分かる。だけど、そんな共同体も明日にはどうなるか分からない。だからせめて、最も近しい恋人や家族・友人とだけは分かりあっていたいと願う。でも、親しい間柄でも腹を探りながら、取り繕いながら関係を続けていると気づく。今年、不倫のニュースがたくさん報道された。

「君じゃなきゃ駄目なんてことはない 君より綺麗な人だっているし」-ふたり

青春というには少し歳を取り過ぎていて、将来を考えながら恋愛をする僕ら世代は、そんな報道を見ていると、どんな人でも100%信じるきることは出来ないことや全てを知る事は出来ないし、知らないことでかえって円滑にいくこともあること、自分自身もどう変わってしまうか分からないことを意識させられる。

「騙されていたいのさ このままずっと 剥がされて痛いのは 誰より自分が可愛いからさ」–優しさの行方

そうして、誰とも分かり合えないのではないかと思ってしまうし、結局自分が一番大事だと気づく。20代前半・ゆとり世代ど真ん中の僕はやっと大人になった。だけど、子供の頃思い描いていた大人からは程遠い距離。コーヒーが飲めるようになって少し大人になれたように思ったあの時から、一体どれだけの距離大人になれただろうか。大人になったつもりでまだ大人になりきれていない。

そんな今の実像を突きつけられる。

だけど、その実像を知って、孤独感や未熟さを知ると同時に分かることもある。未熟な現状を肯定するようにマイヘアが吐き出してくれているから、自分は一人ではないと分かる。誰とも分かり合えないと分かることで、一人では無いと分かる。そして、今の実像を受け入れた時、もっと大人になるための歩みを始められる。

ただ、そうして歩き出してもなかなか変われない自分がいる。

「テロが起きた日に飲みすぎてゲロ」-戦争を知らない大人たち-

世界はとてつもなく速いスピードで変わっていく。なのに、自分はまた過ちを繰り返すだけで変わらない。だが、ホントは自分の変化が遅々としていて、世界全体のそれと対比すると変わっていないように思えるだけだ。そう信じてまた歩き出す。

「僕ら最高速でいつだって 走れるわけじゃないんだって いつかは止まってしまう日が来る それでも僕は良しとして 靴紐を固く結ぶ 前を見たあの日」–アフターアワー

止まってしまいそうになりながらも進む。だが、進めば進むほどに、また分からないことも増えていく。頭の中は、日常のあれこれや「何かすごいことをしたい。」「もっと愛したい。」とその先に辿り着くための考え事でゴチャゴチャになる。今は寝る事でしかそんな思考を終わらせられない。戦争を知らない大人たちの曲中で繰り返される「good night」は日常や思考を、日々を生きる糧に昇華させてくれるように優しく歌われる。そんな日々を繰り返して少しずつ大人になっていく。

僕にとってマイヘアは今の実像を示してくれて、その先を考えさせてくれる存在だ。一度自分の実像を知ったら、そこからの変化は怖くない。むしろ自分がどう変わるか楽しみだ。そして、自分が大人になっていく少しずつの変化を、これからリリースされる曲と照らし合わせて、実感できる。そんな特権があるマイヘアと同世代で良かった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?