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嫌気のさすほど同じことの繰り返される毎日、そんななかで人は何を求めるのでしょうか?酒、女、金・・・・・・、あなたはこのほかに何か思い浮かびますか? 「ねずみ色の雨」

「オハヨウゴザイマス――」
「あぁ、おはよう」
俺が病院に入院している間に入居してきたらしい中国人親子だ。名前も知らないし勿論付き合いも特に無い。廊下で会うと必ずむこうから挨拶をして来る。奴らも日本で穏やかに暮していくために最低限の気遣いはするようだ。
まぁ、それもその筈、毎晩夜遅く家族三人で帰って来たかと思うと、いきなり大きな声で夫婦喧嘩をはじめる。
すると小さな子供の泣き叫ぶ声が薄い壁を通り抜け、隣の俺の部屋の中にまで不愉快極まりない音となって響いて来る。思わず俺は悪夢の夫婦生活を思い出し、溜息をついてしまうのだった。
俺は怒鳴り返してやりたい気持ちをぐっと堪えながら、湿気てかび臭い万年床の中へと潜り込み、眠気の襲って来るのを待つ事となる。
「はぁ~……」
万年床からひょいと亀の様に首を出せば、訳の分からない中国語の喧嘩の声が部屋の中を支配し続けている。溜息が出そうになるが、それを堪えて目を閉じた。
「なんで何時も貴方は家族をほったらかしにして、仕事仕事って言い張って、自由気ままに飲み歩き、何か有って連絡しても携帯電話の電源はオフにしたままで返事を返す訳でもなく、家の事の一切合切全て人任せにして家には近寄ろうともしない――」
何時の間にか眠ってしまっていた俺は、昔の夫婦生活の夢に魘され目を覚ました。
気付けば部屋の中には何一つ音は無く、何時の間にか隣の生活感溢れる雑音も消えていた。
壁に掛かった時計を見ると、もう午前二時半を回っていた。起きるにはあまりにも早く 、もう一度目を瞑り寝ようとするが、今度は静かさが気になり目が冴えてしまう。眠気は何時になっても襲って来ない。溜息を吐きながら万年床から抜け出し、足を引きずりながら台所脇の冷蔵庫の前まで行き、扉を開けて冷えた缶ビールを取り出しプルタブを毟る様に抜くと、いっきに喉に流し込んだ。
すると喉元を良く冷えたビールが通り過ぎ、昨晩何も食べてない空っぽの胃袋の中へと納まっていく、胃袋が「ぎゅぃ~」と泣きを入れる。俺は大きな溜息を一つ吐き、飲み干したビールの空き缶を台所のシンクの中へ置くと、もう一度万年床へと潜り込んで目を閉じた。
「オハヨウゴザイマス……」
「あっ、おはよう……」
昨日も揉めていた隣の中国人の夫婦の女が、出掛ける俺と入れ違いに、コンビニからの買い物の帰り、パンと牛乳の入った買い物袋を片手に提げて挨拶をしてきた。
俺は最近夏を目前に汗ばむ事もあって、上着を片手に何日も着続けているワイシャツからすえた匂いを漂わせながら挨拶を交わし通り過ぎた。
隣の女は、俺のすえた匂いなど気にする様も無く、ニッコリ笑うと自宅へと入って行った。
俺はそんな中国人の女を見て色白と髪の長い女は七難隠すで、一瞬目を奪われそうになるが、後ろ姿を眺め痩せた背中と腰つきが、何処となく別れた暁美の後ろ姿と重なってしまい思わず溜息を吐き、げんなりとしながら仕事へとむかった。
俺はこんな生活を送ってはいるが、一応は一部上場の食品メーカーに勤めている。と言えば聞こえはいいが、毎日明けても暮れても数字に追われ、月の予算を下回れば直ぐに罵声が浴びせられる。取引先の挨拶周りは勿論の事、新規開拓も毎日の様に行い、へとへとになるまで走り回る。やっとの思いで会社に帰りつく頃には、誰もが帰った後で、静まり返ったオフィスの電気を付けて一人淋しくその日の残務処理を終わらせる。
そして誰もいない自宅へと帰ると言った毎日であったが、あの事件後、俺の体が不自由になった事が原因だろう。春の異動時期を待たず営業部から庶務課へ異動の辞令が出た。
まぁ完全に左遷、お払い箱と言った処だろう。まァ、これも仕方ないと俺は思った。片足を引き摺った営業マンなんて何処を探したって見る事は出来ない。クビになる事無く使って貰えるだけ有難いと思わねばなぁ、と自分に言い聞かせながら入院中に課長と部長が雁首並べて見舞いに来た訳がやっと判った。
しかし移動した後も家に帰り着くのは、日が変わる寸前か変わった後かで、右足を引き摺る社員の扱いはあまり変わらなかった。しいて言えば外回りから内勤に変わったぐらいの事だ。まぁ一人者の俺にはあまり関係の無い事だが、そんなありさまだから部屋の中は荒れ放題で、脱ぎ捨てた洗濯物は散らかり、コンビニ弁当の食べカスもテーブルの上や床板至る所に散乱し、色んな匂いが混ざり合って 、言葉で上手く言う事の出来ない程のすえた黄色い臭いを放っている。
台所には山になり、何時使ったのか思い出す事の出来ない食器が投げたままになっており、今にもカビが生えるのでないかという状況である。
不精な男の一人暮らしを通り越して、まるで牙を失くし老いた獣の隠れ家と言った方がいいのかもしれない。
だが不思議な位にどれだけ荒れ放題になっていても、かたずける気は起きず、どんどんゴミ屋敷として進化している。
部屋に入ると、先ずは空気の入れ替えに台所の換気扇を回す。部屋に一つだけある窓には 、黄ばみきったグレーの分厚いカーテンが掛かっており、外からの全てのモノの侵入を遮っているかの様である。
そしてそのカーテンが開けられる事も勿論ない。だから洗濯物を干せる程度あるベランダへも降り立った事はない。だから風呂場の脇にある洗濯機を買うだけ買って使ったのは二三回で、後は適当に溜まった処で近所のコインランドリーへ持って行き済ませている。

続く




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