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"残業"について本気で考えてみた

本記事は、読書の質を高めるために始めた私なりの"読書アウトプット"です。本から得た知識・知見を深めるため、学んだことを私の言葉に置き換えて書き綴りたいと思います。今回のテーマはこちら!!

この本は、残業を学問として突き詰めた一風変わった一冊です。私も残業が多い方なので、非常に考えさせられる本でした。それでは、この本から得た知見を紹介していきます。では、さっそくいきましょう!!

長時間労働の温床の"残業文化"

昨今、日本では長時間労働が問題視され、政府主導のもと働き方改革が謳われるようになりました。そして、その長時間労働の温床ともいえるのが"残業文化"です。

・長時間働いた人が評価されている
・上司の目が気になって定時で帰れない
・残業がないと、仕事が回らない
・サービス残業をするのが当たり前になっている


など、会社によって抱える残業問題は様々ですが、残業が従業員の生活の質(QOL)を下げているのは言うまでもありません。しかし、簡単には残業スパイラルから抜け出せないもの事実です。

残業を語る上で、必ず議論されるのが"個人の効率"です。

「残業をしている人は無能。効率良く仕事を回せてないだけ」

みたいな意見がよく散見されますが、これもまた少し論点がずれています。なぜなら、残業とは日本の社会に組み込まれた"システム"だからです。実は個人の能力云々の話ではないのです。まずは、"残業"が持つ社会的な役割をみていきましょう。

残業の社会的な役割

残業の役割を紐解くためには、まず日本の雇用体系を理解する必要があります。理解を深めるため、欧米と対比させる形で説明していきます。

まず、欧米の雇用は「ジョブ型雇用」という仕組みを採用しています。簡単に言えば、「仕事に対して、人が付く」という雇用です。まず進めたい仕事があり、そのために人を雇うという具合です。職務内容、勤務地や労働時間など条件を明確に決めて雇用契約を結び、雇用された側は契約の範囲内のみで働くという雇用システムです。 基本的に異動や転勤、昇進も降格もありません。

一方、日本の雇用は「メンバーシップ型雇用」と呼ばれる仕組みです。簡単に言えば、「人に対して、仕事が付く」という雇用です。まず人を雇い、その人に仕事を振り分けるという具合です。日本の就職では、"会社に属する"という意識が強く、その組織の中でどんな仕事を人に振り分けるかは会社側が決めます。会社の辞令に基づいた異動や転勤、昇格や降格があります。

メンバーシップ型雇用が成り立つための前提条件としては、"終身雇用"と"年功序列"が必須です。会社に雇われ、言われた通りに労働力を提供する代わり、労働者には"安定した雇用"と"勤務期間に応じたインセンティブ"が与えられます。定期昇給や定期昇格がその一つですね。

欧米の「ジョブ型雇用」では、景気変動に合わせた人員調整が容易です。「仕事に対して人が付く」わけですから、仕事が無くなれば人を切れますし、逆に仕事が増えてくればその分、フレキシブルに人を雇用することができます。

一方で日本の「メンバーシップ型雇用」では、従業員に対して"安定した雇用"を保証しなければならないため、会社側は簡単には人員増員・削減をすることが出来ません。では、景気変動にはどのように対応するかというと、そこで"残業"が出てきます。

人自体を簡単に増やしも減らしもできない「メンバーシップ型雇用」の日本では、今いる社員の"労働時間"を調整することで景気変動に対応しています。繁忙期になれば、残業を増やして、景気が冷え込んでくれば残業を絞る。残業は、雇用調整の代わりの"バッファ"としての役割を果たしているのです。

違和感の正体

上記の説明を読んで

「なるほど、残業は必要なものだったんだな!」

と素直に理解できるでしょうか。理屈はわかるけど、何か"違和感"が残る感じがしますよね。少なくとも私はそうでした。その違和感の正体は、メンバーシップ型雇用が前提としている"終身雇用"と"年功序列"です。

転職が盛んになり、人材が流動的に動くようになった昨今。この"終身雇用"と"年功序列"は崩壊しつつあると言われています。しかし、残業文化だけは当時のまま、何も変わらず残ってしまっているのです。

かつて多くの社会人は"年功序列"というレールがあるからこそ、長時間労働に耐えることが出来ていました。いずれ確実に座ることのできる管理職の椅子をモチベーションにしていたのです。そこには大幅な昇給と労働時間の軽減という二つのメリットがありますからね。こと、昨今においては長く勤めていようが昇給は保証されず、管理職はもはや"罰ゲーム"で、昇給どころか残業代が付かなくなって逆に給料が減るくらいです。

メンバーシップ型雇用の前提条件は崩れかかっているのに、残業文化だけが会社の都合の良いように残っているというのが今の日本の現状です。非常にチグハグな状態です。長時間労働を強いられるだけなら従業員のモチベーションは下がり、同時に生産性も下がります。長時間労働は従業員の疲労は元より、自己啓発のための時間も奪っていきます。すると、仕事が進まず、業績が上がらず、その遅れを挽回するため残業が増える・・・という”負の残業スパイラル”が発生します。

このスパイラルから脱却するためには、労働そのものを見直さなければなりません。ただし、個人レベルで業務改善したところで、その改善が残業削減に繋がるかどうかは怪しいところです。多くの場合、失敗するでしょう。それは、日本の残業文化が持つ2つの特性のせいです。

日本独自の2つの"無限性"

日本の残業には2つの"無限性"があります。一つは「時間の無限性」、もう一つは「仕事の無限性」です。

時間の無限性とは、日本では実質、青天井で残業が出来る仕組みになっているということです。労働基準法においては、労働時間は1日8時間、週に40時間と限られていますが、協定さえ結べば法定時間外労働と休日労働が可能です。いわゆる「サブロク協定」という奴です。近年では、サブロク協定内の残業規制も厳しくなりましたが、依然として、規制上限の水準は高いままです。そして、この時間の無限性に掛け合わせることで、負の相乗効果を生み出すのが「仕事の無限性」です。

仕事の無限性とは、やるべき仕事は無限にあるという状態のことです。「人に対して、仕事がつく」というメンバーシップ型雇用の日本では、人がいる限り無限に仕事が湧き、振られ続けるのです。自分の仕事が終わっても、他の人の仕事を手伝ったり、明日の準備をしたり、探せばいくらでも仕事が出てきます。日本の職場では、仕事の範囲が明確でないため、仕事の相互依存度が高くなります。"自分だけの仕事"は無く、必ず自分の仕事に誰かが絡んでいます。よって、仕事に明確な終わりがなく、考え方次第でいくらでも仕事を生み出せるのです。これが「仕事の無限性」です。

私の知り合いが実際に体験した「本末転倒」な話をしましょう。彼は、「子供が生まれたので業務の効率化に取り組んで、残業を減らして早く帰ろう」と努力していました。業務の効率化に成功し、以前よりも早いペースで仕事を進められるようになった彼ですが、その結果、仕事のできない先輩の残務を全て引き継ぐこととなってしまいました。残業を減そうと努力したがために、業務も残業時間も増えてしまったという本当に本末転倒な話です。

彼だけが運が悪かったわけではなく、このような現象はどの会社でも起きています。時間の無限性、仕事の無限性があるが故に「仕事の出来る人に、仕事が集中する」のです。頑張って仕事を効率化した人が、苦しみ損をするという構図が今の日本社会には出来上がっています。これでは、働き方改革など進むわけもありません。

残業を減らすためにできること

残念ですが、結論はでません。

この本では、「では残業を減らすためにはどうすれば良いのか?」ということが後半に書いてありますが、社会全体の仕組みを変えるという点に言及しており、具体的なことは書かれていません。読み解くならば、「個人で出来ることは何もない」と言い換えることができるでしょう。逆に言えば、今この瞬間も組織や社会全体としての変革が求められているのです。

働き方改革ってなんだろう?

ここまで、本の内容に従って残業について考えてきました。少し話は逸れますが、そもそも"働き方改革"って一体何なのでしょうか?

労働時間だけが、働き方改革なのかと問われればそれは違うと思います。嫌いな仕事は定時で終わるとわかっていても嫌だし、好きな仕事は日が変わるまでやっていても苦になりませんからね。幸せに生きるためには、仕事を好きになるのが必須条件だと思います。

最近、「今日の仕事は、楽しみですか。」という品川駅の広告が炎上していましたが、この炎上こそまさに日本が抱える問題そのものだと思います。(このニュースを知らない人は下記のリンクをどうぞ)

そりゃ、仕事中に「笑いが止まらないくらい楽しい」という人はいないでしょう。でも、仕事の楽しさってそういうことではないですよね。仕事は疲れますし、社会の厳しさや自分の無知を痛感することも多々あります。それでも自分が仕事をすることで豊かになる人がどこかにいて、自分が努力することでその豊かさを大きくすることができる。他社貢献できるという"気持ちよさ"こそ、仕事の面白さだと私は思っています。そこに自分なりの創意工夫の余地があれば、面白さは100倍です。

仕事のモチベーションをどこに持つかは各々の自由ですが、「自分の仕事の先に繋がっているもの」が見えてているかどうかが肝だと思います。それは、上述した他社貢献であったり、自分の成長であったり、他者からの評価であったり・・・本当に人それぞれです。

「誰のための仕事なのか」を考えずに、会社から命じられた仕事を嫌々こなす。自分の仕事の先に繋がっているものが見えないその状態が続けば、仕事は色あせてどんどん楽しさを失います。忙しさにかまけて、考えることを止めてはいけません。「自分がしている仕事は誰の為の何の仕事なのか」をとことん考え抜くことこそ、今必要とされていることだと感じます。

残業や長時間労働は、「仕事について考える余裕」を人から奪います。誰もが日々の仕事をこなすのに必死で、それ以外のことが考えられなくなっています。政府主導で行われる残業規制は、そんな"思考停止状態"から脱却するためのキッカケにしかすぎません。残業規制だけでは、働き方改革は成し得ないでしょう。

ここまでごちゃごちゃと書きましたが、結論としては「仕事を好きになる事」が一番の働き方改革だと思っています。そして、そのためには考える時間が必要なのです。

「今日の仕事は、楽しみですか。」という問いかけに対して、全日本人が「もちろん!」と答えられるようになる日まで、働き方改革は続いていくでしょう。少しでも仕事が好きだと胸を張って言える人が増えることを、節に願っています。

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