人は過ちを犯しながら生きて行く

久しぶりのnote更新です。久しぶりすぎたので、noteから「こんなに便利な機能が実装されたよ!見てね!」という案内を受けました。

さて、本日は我が人生の過ちを振り返って行こうと思います。羞恥心なんか捨てて、さぁ!語ろう!数々の過ちを!

モノやカネを盗む

3兄妹の長男として産まれ、今思えばごく普通の一般家庭よりは少し恵まれた環境だったと思うけど、下にまだ2人いることもあり、僕は親から「ウチは貧乏だから!」と育てられ、携帯、ゲーム、漫画等の娯楽用品を買ってもらえなかった。
一軒家に住んでいたし、小学校時代はサッカーやバイオリンを習わせて貰っていた(それぞれ月謝3,000円と5,000円+用具代)が、自分でお金を払うわけではない。なのでその辺の金銭感覚は当然のように持ち合わせることはなく、一方でお小遣いは貰っていなかったので、本気でウチは貧乏なんだと思っていた。
自分の欲望を抑えられる立派な少年なら良かったが、残念ながら今と同じく不出来な人間なので、僕は親の財布からお金を盗って買い物したり、酷い時には他人のモノを盗んだりしていたのである。
しかもそうやって手に入れたもの(例えば駄菓子とか飲み物とか)が親にバレたらダメなので、今度は買ったものはその辺にポイ捨てしたりして親に隠していた。
子供が産まれてからは何不自由なく育ててあげたい、という気持ちと贅沢させたくない、という相反する気持ちになっているが、過度な締め付けも考えものだなぁ、と自らの過去を振り返って思うところがある。

言葉で人を傷つける

人を傷つける意図がなくてもそうなってしまうことは往々にして起こり得る。しかし、僕は明確に意図して他人を傷つけたことがある。しかも社会人になってから。若気の至りにしても痛々しいし、ただただバカすぎる話だが、当時は新しい仕事場で働き始めたばかりで連日の深夜残業で確実に心を病んでいたのだろう、と思っている。(だからと言って人を攻撃する理由には当然ならない)
ことが起こったのは大学時代の友人の結婚式だった。みんな社会人になって一堂に会す中、メーカー勤めの友人がどうもパワハラにあってるようで、上司や会社への恨みつらみ、社内制度への不満を口にしていた。普通ならここで「辛いよね、無理すなよ。でも頑張ろうね」って言って話を聞くんだろうけど、当時の僕は「は?それくらいで?不満?甘えてんの?不満をこんな場で言うくらいならパワハラするやつと戦えよ」みたいなことを言ってしまった。要は「自分はもっと忙しいんだアピール」し、「自分のことを慰めて欲しかった」のである。一緒にいたメンバーはなんで僕が強い言葉で言ってるのか理解不能だっただろうし、そのようなめでたい場所で輪を乱したことを心底恥じている。

営業先で不義理

営業マンとして色々な会社を担当したが、新規営業先のとある会社があった。そこは掘れば色々お仕事を貰えそうだったが、いかんせん遠い。でも新人には何をやってもダメージがないので、色んな営業をかけた。その中である商材を持って行く、と伝えたところ、その会社の反応はイマイチだった。イマイチだったし、それだったら他の会社に営業をかけよう!と新人の僕はエネルギーを他社に振り向けた。しかしである。1ヶ月後にその商材を持ってこい、と言われた。本来はこっちから営業をかけたので、そのご依頼には応えるべき話である。だが1ヶ月経って営業先や身近で仕事を下さるお客様が増え、その会社に割くエネルギーは奪われた。奪われたように思われた。だがそれはただの言い訳で、今考えるとそっちのお客様に割くエネルギーは十分あった。にも関わらず、あろうことが僕はそこでそのオーダーを断った。当然ながらそれ以降、その会社からの信頼はなくなり、もはや電話も取ってもらえない関係性に陥ったのである。新規顧客だったので会社としてのダメージはゼロに近いが、個人的な信頼度は地に落ちた振る舞いだった、と当時の自分を殴ってやりたく思っている。

まとめ

何が言いたいかと言うと、人は過ちを犯しながら生きて行く。僕が書いた過ちは人間の初歩の初歩の間違いで、なんでそんなバカなの?と思った人も多々いるだろう。それくらい僕はバカなんだけれども、一方でこれを読んでくれた人の中にも完全無欠な人間はいないはず。

そんな我々が憧れる職業の1つにサッカー選手が挙げられる。それはもうホントにカッコ良い。一つのパス、一つのトラップ、スーパーゴール。挙げたらキリがない。自分がなりたくてもなれなかったプロサッカー選手はピッチの上で本当に輝かしい存在だ。
同時に「自分と違って彼らは完全無欠に違いない」と勘違いをしてしまう。だが、彼らも人間だ。しかも年齢も大して変わらない、世間的に見れば若造に分類される人間だ。輝かしい才能と収入の裏側にはクビ制度があり、いつ収入がゼロになるかわからない、何の保証もない世界で一年を必死に戦っているに違いないし、それは大凡仕事が保証されている我々と大きく違う。つまり我々のような社会人と同じ世界観で物差しを使えない側面が確かにある。
そんな世界であれば形は色々あるにせよ、乾のような過ちも起こり得る。断片を取れば乾が暴れて契約解除になっただけだが、セレッソ側、乾側、同じ事象であっても見る人や角度が違えば受け取る印象も大きく異なるだろう。
繰り返しになるが、サッカー選手も完全無欠でないし、人なので過ちを犯す。だがそれは当然のことだと受け入れなければならない。あなたは30代前半で感情を剥き出しにすることなく、ヒリヒリとした世界で生きたことがありますか?
一旦自らに問いかけつつ、それでも人は生きて行く。生きていかなければならないのである。

なんだか纏まり切らない駄文になってしまいました。乾がどうこう、セレッソがどうこう、と勝手に言っても真相は出てこない以上、それはあってないに等しく、しかも表には出て来ないでしょう。だが我々の推しているチームには力強い選手もいっぱいいます。切り替えるのは難しいですが、それでも前を向いて生きなければいけないのです。湘南戦、出たメンバーも出なかったメンバーもみんなでセレッソなんだ、と改めて思いながら試合を観たいですね。

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