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仏壇の部屋のサンスベリアがエロすぎるのに龍神様やご先祖様が私を見てる、かれらの質感に欲情してるのに親と同じ寝室

午前0時、大みそかなりたて。私しかいない居間。仏壇の部屋のサンスベリアがエロすぎるのに、龍神様やご先祖様が私を見ている。

黒光りする緑と溌剌に明るいレモン色の縦のラインの過剰な連なり・コントラストの強さが、暗緑色の重たいツヤが、シャバシャバの絵の具を垂らした時にできそうな南米アマゾン的模様が、私を欲情させるのに充分なようであった。
(サンスベリアの原産地はアフリカや南アジアの乾燥地らしいです)

こういう時、どうすればいい。人はいないけどみんな私に注目しているので、ただれた瞳で彼らを睨め回しながら愛撫し、よだれを垂らすことはできない。


真夜中に居間で本を読んでるのに、おばあちゃんが私を見ている。おばあちゃんの部屋は居間に近くてドアがなくて、電気がついてるとまぶしいらしく私がここにいてはよくないらしかった。


そこで寝室に行くとお母さんがいる。おばあちゃんちは私の普段の生活に比べてプライベートの場が少なく社会的な要素がより重視される監視社会的な家庭です。
なので非常にやりづらい。お母さんも寝れないらしくて私の横でスマホをいじってる。私はお母さんの横で一人になれない不自由さに若干憤りを感じながら文章を打っているのだけれど、お母さんも一人になれないことにストレスを感じてるのは同じなのかもしれない。知らんけど。まあたまにはこういうのもありなのでしょう。何十日もここにいる訳ではないし、年明けたら帰るし。我慢しましょう。我慢することに一種の喜びを感じよう(これはね、ドMになるための訓練のひとつよ、がんばれ、モボみ…!)
ガキみてぇにイライラを表出しないようにがんばる!(目標)



ところで、最近私は自分が思っていたよりも相当な質感フェチなんだなぁと気づいた。

油絵を描く時にマチエール(画面の質感)にこだわるのが好きで、ぬるぬるテカテカさせたりゴリゴリさせたり逆にスカスカにしたりいろいろ操作するのが好きなんだけれど、絵を描く時とかに「この質感、良い!」と感じるだけにとどまらず、結構ものの質感や存在感自体に欲情してることって多いなーって最近気づきやした。

例えばこの緑色の壁を厚い絵の具でゴリゴリみちみちに塗ってる時とか。見てるだけでまじで気持ちええ。今の私の感覚が繊細すぎて発情期なだけなのか!?

マットなのが好きとかカサカサなのが好きとかふわふわなのが好きとかいろいろ人によってあると思いますが、私の特に好きな質感は「ゴリゴリ」「ぬるぬる」「むにょむにょ」などです!

あとこれってゴリゴリとかぬるぬるとか、物理的な質感だけじゃなくて、空気感とかも関係してる。熱帯雨林みたいな湿度の高いじめ~~~っとした空気感に魅力を感じたりします。物理的な質感と、空気の質感が私にとってすごく重要なものなんだろうなーって気づきがありました。

物理的な質感って絵の具(特に油絵の具)の質感を使ってすごく直接的に表現できるし、絵画って平面の中に別の空間を作り出せるものだから空気の質感も表せるから、私のやりたいことにピンポイントにはまってるんだろうなーっておもった。

質感とかばかり見てる感覚的な世界で生きていても怒られたりしなくて、むしろ評価してもらえたり共感してもらえたりする絵画の界隈があるのって、ありがたいね…………………。

お昼のおさんぽ。おばあちゃんちはホタテ漁師の家系。

おいバカ!閉じこもるな!!!

明日もドMだから明るいモボちゃんぬ❤️

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