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農業について思うこと

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大学農学部卒業後、高等学校の農業教員を25年間勤め、2009年に47歳で有機野菜を生産直売する株式会社しあわせ野菜畑を起業しました。 この間、農業について学んだこと、考えたことを…
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#創作大賞2024

お届けするのは「生きる力」

 温室やハウス栽培、あるいは農薬や化学肥料を使う慣行栽培と違って、露地栽培のオーガニック野菜は植えた野菜全部が大きく育つことは期待できません。  「オーガニック野菜は味が濃い、香りがする」、「オーガニック野菜でアトピーが治った、健康になった」などと言っていただけることがありますが、それは生産技術によるものではなく、オーガニックというフィルターを通して「生きる力」を持っている野菜が残ったという結果ではないかと思います。  太陽や風や病害虫に負けないで育ったということが、露地栽

農業から学んだこと(その2)・・・「教えることは学ぶこと」

農業高校の教員時代に教えていた生徒が、環境大賞として県知事から表彰された作文です。 「教えることは学ぶこと」、そんなふうに思います。 7月15日投稿の「農業から学んだこと(その1)」の続編です。 最初にそちらからお読みください。 この作文は、生徒が読売新聞社の「農業に関する想い」(そんな感じの)コンクールに応募したいというので、いろいろなテーマを与えては書かせて、それをまとめて推敲してという手順で生徒が書き上げたものです。 良くできた作文だなぁと思いながら、生徒と一緒にポス

農業から学んだこと(その1)・・・「教えることは学ぶこと」

農業高校の教員時代に教えていた生徒が、環境大賞として静岡県知事から表彰された作文です。 「教えることは学ぶこと」、そんなふうに思います。   農業から学んだこと(その1) 静岡県立小笠高等学校 3年 中林由佳   「よし、それじゃあ、今収穫したトウモロコシを生のまま食べてみよう」、先生の言っているその話の意味が私は最初理解できませんでした。「きっと、だましているんだ」と思いながら、そっとかじった一粒の生のトウモロコシはとても甘くておいしく、私はとても感動してしまいました

有機農業の本質

当社は年間50品目の有機野菜を育てています。参考にしているのは農業高校の教員時代に行かせていただいたヨーロッパ環境保全型農業の視察研修です。 研修の中で感じたことは、日本とヨーロッパでは有機農業の捉え方が異なるということでした。日本の有機農業は無農薬で味が良いことを目的としていますが、  ヨーロッパの有機農業は「環境保全のために持続的な生産が行われること」(Sustinability)が目的です。その土地が本来持っている力で作物が作られていることが重要で、味が良いことは目的で

お届けするのは「生きる力」・・お客様からの手紙

写真は農場の桜です。 春は出会いの時、楽しくもあり不安な時です。 今年はどんなお客様にお届けできるかと楽しみながらも、何のために農業をやっているのだろうと自問したりもします。 下記は野菜宅配を始めた頃にいただいた手紙です。 自分の農業の原点です。         □  □  □ (その1) いつもおいしい野菜を届けてくださりありがとうございます。 なのに・・・なのに・・・申し訳ないのですが野菜の宅配をやめさせていただきたいと思います。 実は、私は病気です。 新鮮な野菜を食べ

子供の時の食育が大切っていうけど、それじゃあ、遅いわよね。

「人間の体は何からできていますか?」そう質問されたら、なんと答えますか。 「水とタンパク質と炭水化物と・・・・」とか、「炭素と酸素と窒素と・・・」と答えたりしますが、もっとも端的な答えは「食べたもの」です。 そうなんです。人間の体は食べたものからできているのです。ですから、自給率40%ということは「私たちの体の6割は外国製である」ということなんですよね。 さて、自分自身がアトピーであったことから、食に関心を持ち、当社の有機野菜を利用していただいている若いお母さんがいます。数

伝えたいのは”野菜の物語”・・シルクロードの村で考えたこと

 私は農業高校の教員を経て47歳の時に農業を始めました。  オーガニックをやろうとしたのは、かつてのシルクロード、中央アジアのオアシス都市の衣食住に関する学術調査隊へ参加した時の経験がきっかけです。  オアシスというと砂漠の真ん中に泉があり、その周辺に小さな集落があるというイメージですが、現実のオアシス都市はとても大きく、巨大な山脈からの雪解け水を使ってたくさんの農作物が作られていました。  ある日、訪れた村で私たちは昼食の招待を受けました。とてもおいしく、楽しい食事会でし

農業を始めたきっかけ その1

 自分は25年間の農業高校の教員を経て、47歳で農業を始めました。 農家の長男であった自分は、卒業したら農業を継ぐつもりで大学の農学部に進みました。専攻は農業経営学、 指導教官の教授もとてもいい先生でした。卒業後の農業経営を念頭に卒論は「企業的農業の可能性」としました。 ところが、どう考えても農業をやって楽しくて豊かな生活が送れるとは思えません。休みもなければお金もない、そんな農業しかイメージできませんでした。  農学部の友人たちは公務員か食品会社の研究室に進みました。自分も