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ヴァイオレットエバーガーデンを観てみた。

昨日、名作と言われながら恥ずかしながら失念していたヴァイオレットエバーガーデンを観ました。


生きることの破綻可能性、苦しさ、複雑さ、個別性、予見不可能性、時間の連続性と非連続性、テクノロジーによるエコシステムへの影響、ケアリングと愛の不可思議さ、ケアリングによる成長、生きる場の創造、ひとはエコシステムの中で生きる。


以上のことが描かれていました。確かに鬼滅の刃同様、今日的な状況の中で、こうした良きものへの郷愁のようなものがあってもおかしくないなと感じました。


また、「愛してるを知ったから、愛してるを伝えたくなった」との名言は、人が集団で生きてきたことと、ケアリングが強く結びついていることを示しているように感じました。


ただし、話題の宮台真司的な解釈のような恋愛ではなく、広義のケアリングを示しているだというのが私の感想です。


確かに、現代的なクソ社会のクズ(鉄の檻と言葉の自動機械)らが形成するエコシステムにヴァイオレットを支える力が劣化している可能性はあり、その場合、こうしたストーリーにはならなかったということを考えると、少し複雑です。

テクノロジーと人間の関係についての描写がありました。テクノロジーがケアリングを支えることが明確に描かれていました。また、手紙に象徴されるクラシカルなテックとも共存可能であること、しかし、少しずつ役割が交代しながら、その背景となる社会の有り様も変化していることも重要な示唆が含まれていると感じました。

こうした良きものがたち消えてしまううちに、ケアリングとテックによって人と人との向き合い方を再び変えていかなければなりません。


私にはまだ仕事が残っていることに再確認させられました。


以上、現場の中野でした。


(ちなみに私は3回泣きました。)

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