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だいたいこんな感じの話。マイケル・サンデル 〜朝日地球会議2021〜

一部の限られた人たちが教育の機会を得て、そして巨大な富を得ていくという構造がある。アイビーリーグの学生たちの2/3が米国の所得上位20%の家庭から進学してきている。確かに誰でも試験を受けられるということは一見公平に見えるが、世帯所得が高ければ高いほど、大学入試で高得点を取る可能性は高まる。


こうした格差はひと世代の中でひっくり返すことは極めて困難であり、格差は固定化されていく。問題は格差だけでなく、自分たちは努力したのだから成功して富を得るのは当然だという考え方、能力主義・メリトクラシー。
だから多くの専門家が憤っている格差も正当化される。エリートが彼らを見下しても仕方がないと。メリトクラシーのような極端な個人主義的な考え方のよくないのは謙虚さをうしなうことだ。


そこに運がはたす役割を忘れ、助けてくれた人への恩を忘れたら、謙虚さという美徳が失われる。


苦しんでいる人たち、大学入試でうまくいかなかった人たちに対する責任を思い起こすためには謙虚さが必要だ。


私たちは社会やコミュニティに対する責任を忘れ、人々をむず美つける社会的連帯が損なわれようとしている。


こうした構造は権威主義的ポピュリズムを台頭させ、2016年ごろから社会の分断を産んでおり、社会の発展を阻んでいる。


コロナは科学の問題ではなく、科学の限界の問題であることが明らかになってきた。科学は科学を使えば自然を制御し道具として使えると誘惑してくる。私たちはこうした誘惑を断ち切らないといけない。


文化系の知とは、答えがない問題に対して、解決を模索する問いを立てることができることだ。


今こそ学問分野横断的な会話を繰り返し、新たな知を作っていくことが求められる。


重要な問いかけをしなさいと若者に教えるそんな優れた教育制度が必要だ。
相手が話している言葉を聞くだけでなく、その言葉の背後にある信念や根拠、思考を理解しようとすること


それが聞く力だ。


民主的で充実した暮らしを望むなら、そうした市民的スキルを身につけなければならない。


パンデミックが始まった時、みんなが同じ苦境にいるみたいなスローガンがよく聞かれた。


つまり、誰もがコロナに対して脆弱だという意見だ。
ところがパンデミックが長引くにつれ、実はみんな同じ苦境の中ではないことが明らかになった。


パンデミック前から存在していた社会の格差が露呈したのだ。


格差が最も激しく現れたのは、リモートワークができる人と失業した人
または仕事をするためにみんなに変わって危険を冒さざるを得なかった人の間です。

パンデミック中に在宅勤務する余裕があった人は、普段見過ごしている働き手にジブ運たちがいかに依存しているかを思い知ることになった。
例えば、配達員、倉庫の作業員、店員、保育士など。


必ずしも高級鳥でも、社会で格段に敬われている仕事でもないかもしれないが、私たちは彼らをエッセンシャルワーカーと呼び、賞賛の拍手を送り、感謝の念を新たにした。


彼らの仕事の重要性にみあった賃金や社会的評価を実現するかについてもっと幅広い議論が行われるかもしれない。


これがパンデミックの成果になるか、それともパンデミックが終われば、エッセンシャルワーカーのことなど忘れ去られてしまうのか、


それはわからない。私たち次第だ。


しかし、パンデミックはそれ以前からあった社会的格差を明らかにした。
パンデミックから脱却する時、そうした格差への対応責任も高まって欲しいと思う。


後略

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