見出し画像

『俺妹』が文学的に問いかけてくる社会のあり方

作家は、ある種の「素敵な狂気」を身にまとっているというのが、筒井康隆さんの『創作の極意と掟』で学んだことの一つです。『俺妹』という作品が、社会的に一部受け入れられなかった背景には、この素敵な狂気があるのでしょう。俺妹の最終回が当時波紋を呼んだのは、伏見つかささんのその「素敵な狂気」によるものでしょう。

話を少しだけ脱線させると、俺妹の中では黒猫が一番好きです。理由はビジュアルですね。あと、先に見た『ゼーガペイン』の花澤香菜さん演じる、カミナギの声が刷り込まれていた関係で、飛びついたのかもしれません。今となっては早見沙織さんも好きな声の一つですが。

これだけキャラクターのビジュアル的にも、声優さん的にも素敵な人々に囲まれたなかで、高坂京介という人間は、最終的にアニメ上で桐乃を選択するようにセッティングされます。そこに伏見つかさならではの、「素敵な狂気」の存在が見え隠れします。

今日はそんな近親恋愛に関する「素敵な狂気」が社会に問いかけてくるものをのぞいてみようと思います。多分、受け付けない人もいるかと思いますのでここでごあいさつを。よろしければnoteのフォローとスキお願いいたします。

『俺妹』のアニメ二期最終回が波紋を呼んだ理由

端的に述べてしまえば、「近親間の恋愛を描いたから」この一言につきます。通常の兄妹の関係を超えて、その関係性をlike以上にLOVEとして描いたことが波紋を呼んだ理由になります。

波紋を呼ぶということは、良くも悪くもなんかしら人間の価値観に問いかけてきたことになります。例えば、『俺妹』という作品を最終回まで見て「気持ち悪い」と判断する人は、「兄妹で恋愛するものでない」という価値観に触れられ、揺さぶられたのです。

この「兄妹で恋愛するものでない」という価値観は、社会に広くあるものだと認識しています。そしてそれは、本能的に作られるものであったり、社会的に再生産されるものであったりします。

ある研究によると、人間は自分と似たにおいを持った人をパートナーとして選ばない傾向にあるそうです。これが本能的な部分で、近親のそういった恋愛が忌避される一つの原因と考えられます。

また、社会的に再生産されるのは、こうした本能的な部分や、過去近親婚によって生まれた子供に遺伝的欠陥が多かったことから人間が、兄妹間とかそういった近しい間で結婚してはいけない等と取り決めたことによります。(そしてそれは、現代において法律という形で存在している) こうした社会的な取り決めは、人間のあり方を規定します。

例えば、現代の人々がある程度「結婚」という概念に囚われいるのがその証拠でしょう。結婚という社会的なシステムが存在することによって、人々がそこを志向したりする構図が社会の中には一定程度存在します。

人間は、歴史的にも、現代的にも、社会的な動物であるため、こうした社会的な取り決めに基づいて規定され、そこに従おうとします。

近親間の恋愛の是非

ここまでくると、伏見つかささんが問いかけてくるものの正体が見えてきます。小見出しの通りで「今の社会では近親間の恋愛が否定されてるけど、それってどうなの?」ということです。

私の結論としては、「3世紀くらい人類が近親婚を議論するには早いかな?」です。個人的にはもうあってもいいと思いますが、人々が受け入れるには社会的な土壌ができていません。これには2点理由があります。

一つは、社会が「狂気」と定めたものに対して、実はそれが狂気でない可能性があると提示されたときに、覆すには、相当な時間を要するのです。例えば、古くから文学的な世界として存在するBLや百合といった分野の愛は、21世紀になってやっと同性婚という形で社会に認められつつあります。兄妹愛を描く作品が少ないところをみると、あるいは『俺妹』の最終回に対する反応をみると、議論はまださきなのかなと考えます。

もう一つは、生命倫理的な議論の醸成です。今の話題で言えば、出生前診断とかがホットですが、それ以前の問題、人間が遺伝的欠陥とされる人々を生み出していいのか?という疑問に明確に答える必要があります。

これら二点から社会がその「素敵な狂気」を議論するにはまだ時間がかかると見えます。

私個人の考えを述べれば・・・

ここまで読んでくださった方であれば、薄々感じとっているとは思いますが、私個人の見解を述べれば、近親の恋愛は認めてもいいんじゃないかな?です。(私自身は現代における社会的な制裁が怖いので、手をつける気はありませんが)

その理由は、社会で議論されない理由として提示した二つの話の延長線上に存在します。

一つ目の本能的に兄妹間の恋愛を一般の人が避ける傾向にあるというのは、BLや百合が現代において承認されつつあることで、将来的には承認される可能性はあるかなと見ています。同性婚自体に対しては、割と悪くないという立場をとるので、同様に近親の恋愛についても同じような立場をとります。これは私が異性が恋愛対象であってもです。(現にそうである。)

二つ目の生命倫理的な議論の視点ですが、こちらは、出生前診断で、命の選別を行うべきではないという議論があることから、近親間の子供を認めてもいいのではないでしょうか? 当然、それによって生じる遺伝的欠陥に対して社会がどれくらいケアするかは議論の余地がありますが。

兄妹愛を描いてもいいのかもしれません

作家としては、この分野に取り組んでみてもいいのかもしれないと考えています。3世紀後の教科書にのってるかもしれませんね。

文学的な問いかけは、人間のあり方を根本的に問いかけてきます。社会的に規定されがちな人間ですが、IFの世界を考えることは人間社会の広がりをもたらすと考えています。

現代の流れであれば、先にも述べた通り理屈だけで考えれば、認めた方がいいと考えるのが私の考えです。社会には受け入れられにくいとは思いますが。

そうしたものを描いていくのが、作家なのでしょう。そしてその姿勢には狂気がまとわりつくのでしょう。そろそろマックの冷房がきつくなってきました。お前らゆっくりお過ごしくださいゆうてたやろ。

よろしければnoteのフォローとスキお願いいたします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?