「宗教」とは何か? ~『日本語のレトリック』練習シリーズ①隠喩~ B
表現力の強化のために一日(できれば)一つ。(追記:このときは勢い余った、当分は一週間に一つで行こうと思う)
日本語のレトリックを練習する。教科書はズバリこれ↓。『日本語のレトリック』。
ということで、今日のテーマは「隠喩」。作者は隠喩を本書の中でこう表現している。
隠喩は、比喩の中の比喩、比喩の女王です。ずばり喩えます。一瞬のうちに別なものに見立てるのです。雪はあっというまに花や宝石と結びつくーこの電光石火の結びつきを保証するのが、似ているという感覚です。
それでは早速、「宗教」とは何か?隠喩で喩えてみましょう。(伝わってない可能性もあるので後ろに説明っぽい文章をのせときます[逃げ])
「宗教」は「地図」
宗教は地図である。宗教には、人々が生きてきた知恵が含まれていて宗教を信じることによってその知恵を受け取ることができる。先人たちが積み上げてきた知恵を宗教という人生の地図に落とし込むことによって、我々はより生きていきやすくなるのかもしれない。地図というのは、読むのが意外と大変である。そこに示された地図記号の意味を知らなければ読むことができない。また間違った地図というのも存在する。間違った地図にしたがってしまうと、思ったところと違う目的地についてしまうことがある。そして地図には噓が含まれているかもしれない。それは地図に「財宝が隠されている」と思わせて人々の時間を浪費させるためかもしれない。
「宗教」は「心の宿」
宗教は心の宿である。宗教は人々の心に寄り添って休息を与える。人は生きていると中々大変なことも多いので、心の宿に泊まる人も多い。色々な種類の宿がある。様々な人がもてなしてくれる宿では、一緒に生活することでやすらぎを得たりもする。ぼったくりの宿もある。心のやすらぎと引き換えに色々な物品を要求してくる宿である。全国に広がる宿もある。最初は山奥の小さな小屋ではじまった宿が、しまいには全国各地の様々なところへ広がることもある。心の宿というのは一度泊まってみたい気もするし、泊まるのが怖い気もする。
「宗教」は「基礎の一種」
宗教は基礎の一種である。人々の基礎には宗教が置かれていることがある。立派な基礎の上には、豪華なお城が建っているかもしれない。また、小さな基礎の上には風情ある小屋が建っているかもしれない。当然ちゃんとした工事がされてない基礎の上の建物は、崩れてしまう可能性がある。人生という名の積み木の下の部分にあたる基礎にどういうものを置くかは重要なのである。
「宗教」は「母」
宗教はお母さんである。ごはんを自分で食べられない赤ちゃんである私たちにお乳を与えてくれる。宗教は弱いものに助けを与えようとするのである。またもしかしたら悪いお母さんかもしれない。子供に寄生して自分は豪華な生活をする悪いお母さんかもしれない。良いお母さんかもしれない。子供のことを第一に考えて、生きる術を与えてくれているのかもしれない。どうやってごはんを食べるのか、人とはどうやって接するのか。教えてくれるのかもしれない。
「宗教」は「言語」
宗教は言語である。みんなで仏壇に向かって拝むのは、拝むという同じ動作をみんなで行うことによってみんな「私は仏様を信じてますよ」と叫んでいるのかもしれない。言葉を記号として使うように、儀式を記号として使うことによってみんなでおしゃべりしているのかもしれない。
なんかうまくできなくなってきたので、今日はこんなところだろうか。
このシリーズに関しては、友達から箇条書きのフレームワークを批判されたので項目をそんな明確に区切らずに行おうと思う。いい意味でちょっとムカついたので(笑)
隠喩が上手くなっていることを願おう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?