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自分の考えを持とう

Twitterを見ていると、時々「炎上」が起こっている投稿に遭遇することがある。

それは、大抵は投稿主が間違った発言や行動をしたから起きている事だ。

ただ、炎上しているものの中では、賛否が分かれているものもあるし、”間違った賛成”で埋め尽くされていることもある。

その時、私は自分自身の考えを持ち、その賛否を客観的に判断ができるだろうか。

私が体験したある出来事について話したい。

突然だが、西野亮廣さんという方をご存知だろうか。漫才コンビ「キングコング」のツッコミで、あの「えんとつ町のプペル」を作った人物だ。

そんな西野さんは、2019年に金沢大学の卒業式ではスピーチを行っていた。卒業生がこれから送る未来を励ますような内容だ。

私がこれを初めて聞いた時、「良いスピーチだ」と思ったのだが、ふとTwitterを見るとスピーチの最初の部分だけを切り取り「これは悪いスピーチだ」と揶揄するような投稿があったのだ。

これに対して私は「最初の部分だけを切り取って悪いと判断するのはおかしいのでは無いか」という旨のリプライをする。

するとどうだ。Twitter民からは「いや、このスピーチは悪い」というリプライを多数頂いた。このリプ欄では、私がマイノリティに置かれているみたいだった。

マイノリティに置かれている自分に気づくと、私の考えは少し「このスピーチは悪い」に偏ってしまった。他人の意見…というよりは「他人が悪いと言っている」という事実だけで、私の考えは曲がってしまったのだ。

私の言う「客観的に判断ができるかどうか」は、このような意見が偏った状況の中で、如何に自分の考えを曲げないかという事なのだ。

これはTwitterに限った話ではない。ほかのSNSサイトや、ブログ、新聞、テレビ。世間はこう言っている、あの有名人はこう言っている、専門家はこう言っている。様々や情報が飛び交う中でも、自分の意見を持てるかどうか。納得して、その物事に善悪をつけれるかどうか。そしてなにより、自分が少数派だからといって、自分の考えを捨てないことが一番重要だ。

もちろん、中には簡単に理解することは難しいものもある。それでも、信頼できる情報を頼りに物事の全体像を作って、自分の視点でそれを見て判断を下す。それを面倒くさがって多数派にただついて行くのは、一番の愚行だろう。

特に、日本は民主主義だ。「選挙」と呼ばれる国民の多数決によって、国家の行方が左右される国。そんな国に生きているのに、多数派について行くなんて人がいて良い理由がどこにあるだろうか。

他人の意見に囚われず、自分自身の考えを持とう。

私は、これを心がけたいと思う。

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