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ヘッドホンをつけないことにした

私は、毎朝1時間半ほどかけて学校に登校する。時間がかかるがために早起きをしなければならないという私の愚痴はさておき、そんな長い登校時間の中で気になるのが、その時間をどのように使うかである。

実際に使っているヘッドホン「WH-1000XM4」

この前、SONYから良いヘッドホンが出たとき。私はちょうど音楽にハマってたこともあり、それを買った。ノイキャン付きのいいヘッドホンである。話は逸れるが、このノイキャン本当にすごい。電器店で試着してみたのだが正直感動した。皆さんもぜひビッ〇カメラとかでお買い求めください。……閑話休題。

買ってからというもの、私は毎日それを付けて登校した。Apple Musicも加入して、たくさんの曲を聞いた。好きな曲、どこかで聞いたことがある曲、まだ知らなかった曲。音楽は素晴らしいもので、私の暇な時間をゆったりとリラックスできる時間に昇華させてくれたのだ。音楽を聴いて悦にひたっていれば、いつのまにか最寄り駅に着いている。そんな素晴らしいことはないだろう。

だけど、今はもうヘッドホンをしていない。音楽も聞いていない。それはなぜか?音楽は私を癒すが、ヘッドホンは私を閉ざしていたのだ。ノイズキャンセリングは、私に必要なノイズまでかき消してしまったのだ。

どうして急にそんなイキったことを考えはじめたのか。それは、最近の生活は時間を無駄にしていると感じ始めたからだ。

朝は早く起き、眠い目をこすりながら家を出る。すかさずヘッドホンをつけて、時間をスキップする。学校に着いたらヘッドホンを外し、受けたくもない授業を受ける(モチベーションが無いだけで、受ける必要が無いと思っている訳では無い)。学校が終われば、またすかさずヘッドホンをつけて、家まで時間をスキップする。家でも何をする訳でもなく、それでもなぜか結局無駄に夜更かしして寝落ちする。そんな毎日。

ヘッドホンのせいにするにはとても私の怠惰さが勝りすぎではあるが、先述した「ヘッドホンが私を閉ざす」というのは「時間をスキップ」していることにある。

ジャネーの法則というものをご存知だろうか。人は、年齢を重ねる毎に体感時間が短くなるというこの法則は、「20歳で人生の半分を終えている」という文脈で聞いたことがある人も多いだろう。
この法則が成り立つ理由は、人間が生きていく中でどんどんと新しい発見がなくなっていくからだそうだ。ありふれた退屈な風景は体感時間を短くし、刺激的で新しいものは体感時間を長くするのだとか。

その理論をもとに言えば、ノイキャンヘッドホンで音楽を聴くという行為は「聞いたことのあるありふれた音楽を聴きつつ」「周りの音を完全にシャットアウトする」というまさに体感時間を短くするような行為である。まさに、時間の無駄だ。

音楽プレイヤー「S-DAT」を持つ碇シンジ

ふと、エヴァンゲリオンの碇シンジというキャラクターに思いを馳せる。そういえば、このキャラクターも常日頃からイヤホンを付けていた。本人はその理由を「周りの嫌なことを聞かなくするため」と話す。嫌なことから逃げて、心を閉ざす。そういう選択肢もナシではないが、私はそれをあまり好ましく思わない。

音楽は心を癒す。それには間違いない。私も心を病ませた時は、いつも音楽に助けられている。ただ、それに頼りっぱなしなのもいい影響にはならないだろう(碇シンジほど壮絶な人生を送っているのならば仕方がないとも思うが…)。

では、なぜ私は時間の無駄を嫌うのか?
それは、私は死にたくないからである。

…端折りすぎた。

別に私は、不治の病を患っているわけでも、余命宣告を受けた訳でもない。殺害予告をされた訳でもなければ、デスノート保持者の恨みを買ったわけでもない。ただ、死にたくないのだ。

人はいつか死ぬ。その事実を目の当たりにしただけで、どうにもならない怒りと恐怖が沸いてくるし、どうにかして現実逃避しなければその日は眠れない。とにかく死にたくない。分かっていても。そんな状態だ。

キューブラー・ロスによる死の受容過程。

最近、公共の授業で習った「キューブラー・ロスの死の受容プロセス」。これは、人が死を宣告されてから受け入れるまでの5つの段階を示したものだが、私の状態はまさにそれの前半部分に当てはまる。

どうしようもないのに、死にたくない。まだ齢16。それなのに死について悩むとは、なんたる非効率。そう思うのは私も同じだが、どうしても死にたくない。ああもう……

話が長くなってしまったが、要は死にたくないのだ。死にたくないけど、どうせ死ぬのなら死ぬまでの時間を先送りにしたい。だから、時間を無駄にしたくない。有意義に生きたい。もっと長くこの現実を感じていたい。そう考えるようになった。

「人生は有限。だから、有意義に生きろ」という、70歳のおじいちゃんが孫に伝えるような台詞に16歳のクソガキが辿り着いたことは自分でも驚きだが、とにかく今は公共の授業担当のF先生に感謝したいところである。

とにかく、私は時間を無駄にしたくない。人生を無駄にしたくない。だから、時間が無駄に早く過ぎていくことは避けたいし、もっと有意義に時間を使いたいと思っている。

だから、私はヘッドホンをやめた。




ここまで読んで頂きありがとうございます。
正直あのタイトルでここまで筆が乗るとは思っていませんでしたが、私自身のもつ哲学をはっきりと書き記すことが出来たのではないかと思っています。

「お前はヘッドホンをやめるよりもやることがある」等、ご意見がございましたら、ぜひコメントに残していってください。受け止めます。(例に挙げたコメントについてはごもっともだと思ってます。もっと上げてこうぜQOL。)

また、意見でなくとも、感想やあなたの考えなどがございましたら、それも是非書いていただけると嬉しいです。

改めて、こんな書きなぐりに付き合って頂きありがとうございました。ここまでのお相手は、ヘリウムでした。それでは、またいつか。



……お前、ヘッドホンつけて今度はラジオかなんか聴いてるな!?
ひ、ひゃ!!ごめんなさい!!!

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