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音楽と空


2014年に解散したロックバンドandymoriのボーカル、小山田壮平はその曲の歌詞の中で空について触れる節がある___

例えば1stアルバムに収録された「青い空」という曲の中では

青い空をいつか僕らは忘れるよ___

と歌ってみたり、

同じく1stアルバムの「Life is party」の中では

あの日の空は言うさ
いつの日か悲しみは消えるよって___

と、歌ってみれば

代表曲「16」では

空がこんなに青すぎるとこのまま眠ってしまいたい___

などと、歌詞の中で空に触れることが多い。人は人生という長い旅路を歩くとき、ふと、目下に広がる空に目をやることがある。
それはバイトや学校からの帰り道、落ち込んでいるとき、気分が良いとき、立ち止まってしまいたい時、すべてを投げ出したいとき、旅の途中、過去を懐かしむとき。
人は空と遠いようで近い関係にあると思う。僕たちが生まれる遥か昔から、人々は遠い空に祈りを捧げ、思いを託してきた。そんな人間の無意識的な空への憧憬のような部分を僕らに近しい感覚で詞に落とし込み、メロディーをのせてくれるから、僕は小山田壮平が大好きだ。


僕は空が好きだ。果てしなく広がる青い空を見ているときに、吸い込まれそうになるあの感覚が、絵の具では表現できないあの青が。


僕にとっての空は智恵子が愛した故郷東北の広い空であり、東京の小さな空であり、ジャイサルメールの空でもある。僕には僕の空があって、あなたにはあなたの空があるはず。

2023年の2月、僕の人生で1番と言ってもいいほど苦しい時期があった。他人から言わせてみればなんてことはないのかもしれない。大学での人間関係やアルバイトがうまくいかず、自分の殻に入り、人を遠ざけ、孤独と仲を深めた。苦労して入った大学を辞め、編入することを考えたりもした。
その時期に出逢ったのがandymoriだった。バイトへの通勤に使う富士急行での行き帰り道、よく「16」を聴いた。本当によく聴いた。初めて聴いたとき、そんなはずが無いのにどこか懐かしい気がした。

空がこんなに青すぎるとこのまま眠ってしまいたい

なんでこの人(小山田壮平)はこんなにも素直で、詩的で、それでいてこんなにも綺麗にメロディーに乗せられるのだろうと思った。それまでなんとなく見上げては綺麗だな、と思う空が音楽の中の空に変わった瞬間でもあった。僕にとって音楽と空は切っても切り離せないものになった。
今でもこの曲を聴くとその時期に見ていた空や空気、匂いを鮮明に思い出すことが出来る。音楽は時間を閉じ込めるだなんて昔言ってる人がいた。今でもたまに思い出しては、いい言葉だと思ったりする。

音楽は人を救わない。当たり前だ。もしもそうならば、音楽に身を委ねる生活を送っていたにも関わらず、自ら命を断たなければならなかった人々をもっと救えていたはずだ。音楽にそこまでの力はない。音楽で目の前の生活が一変することなんてきっとない。
けれども、僕は音楽は祈りだと思う。大切な人を思い、美しい未来を望み、過去を慈しむ。そんな愛しい生活の些細な隙間にメロディーを、思いをのせる。だからこそ多くの人々が音楽に身を委ね、生活の中に、人生の中に、様々な対象の中に音楽があり、その普遍性こそが音楽の素晴らしさなんだと思う。僕にとっての空が音楽であるように。

音楽は人を救わないけど、祈りだ。アパートの部屋から出たときに、目の前に広がる青い空を見て、そんなことを考えている。



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