ウォッチメン感想 恐怖の対称形 ロールシャッハという男

以下、ネタバレを含みます

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チャプター5。この章に入る前、コラムのように差し込まれたのは、ホリスメイソンの回顧録に代わって始まったミルトン・グラスなる人物によるDr. マンハッタンの記事だ。
あまりにも超人的な業績を成し遂げるDr. マンハッタン。アメリカという国家は、そこにいる国民全てを含めて彼の影に隠れた矮小な存在に過ぎなくなってしまったことを示唆している。
そして始まったチャプターⅤ。水たまりに映ったネオンサインは左右対称であり、この章がロールシャッハのものであることを示唆している。そして水たまりの横に落ちた新聞には、ロシアがアフガニスタンに侵攻したことが書かれていた。世界の終わりが近づいている。
……そして、そんな水溜まりを踏みつつ、ある男が住むアパートへとやってきた。もちろん、ロールシャッハだ。
「卵を割らないとオムレツは作れない」と彼は言う。ロールシャッハにとって、悪党の口を割らせることは卵を割るようなものなのだということが窺える。それは紛れもなく狂気に過ぎない。人は卵ではないのだから。
土曜から寝ていないという彼のモノローグから、彼がこの問題を真摯に捉えていることがわかる。彼にとっての後悔はDr. マンハッタンとの時間が取れなかったことだろう。だが彼の真摯さはことごとく空振っている。何故なら彼は事実しか終えていないからだ。その心にあるのは絶え間ない猜疑心。それこそがロールシャッハという男の存在意義であるとでも言うように。

そして、世間では残虐な事件が起きていた。親が子供を殺す。この世の終わりを目前にして絶望するというのは、ある意味で自然なのかもしれない。だがその結果は、自分が正気だと考える人間からすれば“頭がイカれているだけ”なのだ。

先だって起きたDr. マンハッタンの失踪。結局、世間にとって象徴とされたDr. マンハッタンも、ある意味では世間に踊らされた存在に過ぎなかった。同時進行するコミックの話も進行している。彼は何かから逃げているようにも見える。そして今回コミックの主人公が示した行動は、倫理にもとる手段はどのような状況であれば正当化されるのかという問題提起だ。
正当化されるのであれば、そこには理由さえあればいいのか。ならばロールシャッハの行動は彼にとって理由がある行動だ。
それが他人にとって理解不能というだけであって。

ロールシャッハ。彼の言う言葉はどこか空虚だ。確かにその理屈はレポートにまとめれば、なるほどと読めるかもしれない。だが彼の口から発せられる言葉には、名前は出てきても本人の息遣いはない。彼は何を見ている?何に怯えているんだ。彼を動かす原動力は映画では知っている。だがそれ以上に、この原作から感じる彼の様子は恐怖だ。問題を解決する手段として彼が暴力を用いるのは、彼が絶えず恐怖という名の暴力に晒されているように思えてならない。彼は何に怯えている……?

彼にとってマスクは顔そのもの。顔を剥ぐという表現が、彼からマスクが到底切り離せない存在になっているのがわかる。彼にはこの世の全てが疑わしく思えている。
郵便受けがゴミ箱のように扱われている。
この世界は、人同士の繋がりがどうも希薄に思える。
テレビは人と人を繋ぐ媒体ではない。そう見えるかもしれないが。

新聞には「アフガンの次はパキスタンだ」と書かれていた。しかしアメリカから核ミサイルの発射時刻は迫っている。世界の破滅が迫っている。
街頭で雑誌を売る中年男性は「自分には世界の動きが全部見えている」と語る。だが彼は大きな視点を持ったつもりで、もっと小さな視点に気付いていない気がするのだ。

エイドリアン・ヴェイトを襲った事件は時系列から前後しているのだろうか。ニュースになっているところから見るに、Dr. マンハッタンが姿を消すのと前後して起きているように見える。少なくとも事件は速報だろう。だがやはり、ニュースはこの世界においてまだ新聞が主流だ。それは致命的なズレを生んでいる。
彼は、ロールシャッハは自分を「唯一正気の人間」だと言っている。彼にとって世界とは狂気なのだ。世界を救うには、世界が狂っていると思うしかないというのはなるほど都合がいい話だ。だが、我々が狂っていない証明はどうやってするのだろう。
ロールシャッハとは、恐怖も弱さも欲望もない存在だという。事実そうなのだろう。彼にとって暴力が卵を割る程度の単なる手段に過ぎないように。
レイプに反対するゲイウーマンという言葉が出てきた。彼女のような厚かましい人間は紛れもなくロールシャッハが嫌うであろう存在だ。歪んだ自認者と言ってもいい。暴力をちらつかせて要求するその態度は、ロールシャッハという男と何が違うというのか。
それにしても、あまりにも全てが何かを象徴しているように見える。しかしその本質が、わからない。この章は、あまりにわからないことだらけだ。
まるで狂った世界を延々と見せつけられている気分になる。ひどい気分だ。

……事態は進む。序盤における場面と同じ、地面の水たまりに映った対称形のネオン看板。モーロックことジャコビの下へとやってきた彼は、相手がとうに死んでいることと、そして彼がここへ来たことそのものが罠であることに気付く。本来ならそれはいつも通りの狂気だろう。だが今回に限っては、それは狂気ではなかった。警察が家へと入ったロールシャッハを取り囲んだのだ。
────狂気の世界が、極彩色の世界が途端にトーンダウンした。してしまった。
彼は現実の世界において、彼が狂っているとする世界においては犯罪者だ。彼はそれを否定するが、果たして否定しているのは何なのだろうか。社会が狂っているのなら、世界が狂っているのなら、彼が為す行動はことごとく正しいものとなる。なってしまう。
それでも、ロールシャッハの行動には最後まで自主性がない。彼は追い詰められる。だが全ての状況に、彼は逆らっている。しかしそれはあくまで世界があっての話だ。狂った世界がなければ、彼は存在することすら出来ない。彼は狂人だ。それは間違いない。ただし、狂気を与えられなければ狂っていることすら証明することのない、悲しい狂人だ。
顔を剥がされ、靴を奪われ、「返せ」と叫ぶ小汚い男に過ぎないのだ。

虎よ虎よ
ぬばたまの夜の
森に燃える炎よ
いかなる神の手が、また目が、
その恐怖の対称形を
捉えることができようか?
        ──ウィリアム・ブレイク──

と書かれた一文は、ロールシャッハの被る顔の正体を物語っている。そしてこの章のタイトルは、まさに恐怖の対称形( fearful symmetry)なのだ。

Tyger! Tyger! burning bright,
In the forests of the night,
What immortal hand or eye
Could frame thy fearful symmetry?
In what distant deeps or skies
Burnt the fire of thine eyes?
On what wings dare he aspire?
What the hand dare sieze the fire?
And what shoulder, & what art,
Could twist the sinews of thy heart?
And when thy heart began to beat,
What dread hand? & what dread feet?
What the hammer? what the chain?
In what furnace was thy brain?
What the anvil? what dread grasp
Dare its deadly terrors clasp?
When the stars threw down their spears,
And water'd heaven with their tears,
Did he smile his work to see?
Did he who made the Lamb make thee?
Tyger! Tyger! burning bright
In the forests of the night,
What immortal hand or eye
Dare frame thy fearful symmetry?


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