大罪抱えし王族 ツェリードニヒ

久しぶりのHUNTER×HUNTER考察。

今回はカキン王国の王族、ヤバすぎるサイコキャラとして知られるツェリードニヒについて見ていくとします。

『カキンの第四王子という立場』

まずは物事を整理する為、彼の持つ肩書から見ていこう。わたしの考察をわざわざ見に来てくれるような方は原作を読んでおられることだろうから今回も詳細は省くつもりだが、如何せん暗黒大陸編においては詳細設定がかなり多い。その為、如何に羅列していく多種の設定は、あくまで考えを補助する要素として考えていただきたい

まずカキン王国において“王子”という名称は男女の区別なく正妻との間に生まれた王位継承者そのものを指す。これは表向き王妃に序列が存在しておらず、生まれた子供は順に第○○王子といったように生まれた順番そのものが番号に影響していることもその由来となっている可能性がある。男女の別なく等しく扱われると聞けば一見理想的にも見えるが、その実態は作中でも描かれている苛烈な闘争を補助する一種の“制約”に過ぎない。

では順番に見ていくとしよう。まずはカキン王国の国土とその位置から。

ハンターハンター地図

例のごとく、今回もハンターミックスさんから引用させていただいた地図を使用して説明させていただくと、ご覧の通りカキン帝国が、そのモデルである中国同様巨大な国家であることが理解できる。またこの位置は暗黒大陸へと赴く際に理想的な立地であり、例えばベゲロセ連合国やサヘルタであればその行先をまた違った場所にせざるを得なかったであろう。

また国家の内情としてはモデルとなった中国を反映してか、モデル以上に過酷な貧富の格差が窺える。

その中でも特に印象的なのは不可持民だろう。その名の通り、一切の財産を持つことが許されないであろう、恐らくは意図的に作られた下層階級。

例えばの話ではあるが、国家を治める際上層と下層に別れた国民をまとめる際にもっとも有効な方法は意図的な外敵と内敵を作ることである。これは外敵が強大であればあるほど、内敵が惰弱であればあるほどより国家の中心となる国民らはそのまとまりを強くする。もし違和感を持たれる方がいるのであれば、諸国家の歴史を紐解いてみるといいだろう。

またHUNTER×HUNTERにはよくあることなのだが、作中に登場する架空の国家は、その見た目以上に内情は複数の国家をモデルにしているという点だ。

例えばであるが、以下の画像を見てもらいたい。

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出発の際、式典に登場した王族の多くは西洋式のスーツやドレスではあったが、軍人であるベンジャミンがひと際煌びやかな衣装を身に纏っているのがお分かりであろうか。これは下記のツェリードニヒが着用しているような民族衣装に近いものであり、これらの服装に近いものとしては、現実においては中東の諸国家に見られる特徴である。すなわち、カキンのモデルは中国のみではなく、各種アラビア圏の国家をもモデルにしている可能性もあるのだ。

画像3

これが何を意味するかというと、カキン王国における王族というのはそのイメージ以上に強力な権力を持った構造体である可能性があるということである。ツェリードニヒが数々の非道を行いながらそれが何ら罪に問われていないことには、これらのことが反映されている部分もあるということである。

さて、話を本題に戻そう。

『ツェリードニヒが唱える“無知の不知”』

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彼が唱えるこの言葉はどんな意味であるのか。それは彼の経歴や行動からその意味が見えてくる。

言葉を分解して見ると、これはすなわち「知ら無(ない)ことを知ら不(ない)」ということになる。

つまり本来知るべきことが無数にある世の中において、知ろうとしない行為はそもそも罪であるというのが彼の認識である。これは一種の衆愚政治に反発した要素であると言ってもいい。

彼はまたコミックにおける話間ページにおいても「俺が王になったらまずは“使えるゴミ”と“使えないゴミ”に分ける」と断言している。これは彼が自分以外の全存在が等しく愚かしい存在であり、ゴミとして見下していることも意味している。

すなわち「知ら無(ない)ことを知ら不(ない)」時点でありとあらゆる存在は大罪を抱えたゴミクズ同然であるというのが彼の主張なのだ。

ひょっとしたら経験がある方もいるのではないだろうか。

「なぜこの人はワタシが話していることを知ろうともしないのだろうか」

という思考である。この考えそのものは相手を見下すものではあるが、さりとて悪であるともわたしは思わない。この考えだけであるならばそれはきっかけであり、相互理解へ踏み出す為の一助になるからだ。問題はそこからである。

「この人はわたしがとうに知っていることを知ろうとしない。ゆえに愚かであり自分より格下の相手である」

考えがここに至ると、一気に思考がツェリードニヒに近くなる。彼はそこからさらに発展させ、世の中に存在するありとあらゆる群衆がバカでゴミとしか思えなくなってしまっているのだ。

ではここで問うとしよう。彼は正しいのか。そして王として相応しいのか。

前者は是でもあるが否であり、後者もまた同様である。

『大物ポジションにいる天才肌の小物』

彼の存在を総評すると、この一言で終わってしまう。では上記の答え合わせを含めて彼の人物像をおさらいしておこう。

彼の知能指数、もとい知識レベルが相当な位置にあるのは作中でも示されている通りである。それは同様に学力が相当に高かったハルケンブルグが唯一相互理解できる存在として賞賛したことからも見て取れる。

だが、実際には上記の考えは非常に偏ったものであり決して正解ではない。作中でもそれを示すかのように念能力を彼はまったく知っておらず、むしろそれを知っていながら教えなかった部下を恫喝するような仕草を見せている。

これは彼にとって知識とは自然と身の回りに存在するべきであり、知るきっかけそのものは与えられるものという前提の証拠でもある。すなわち彼の持つ持論「知ら無(ない)ことを知ら不(ない)」というのは、彼が王族であるからこそ唱えられるものでしかないのだ。

彼が断じて切り捨てた無知の不知とはすなわち彼以下という前提が存在しなければ存在することすら出来ない理屈なのである。

そして人間とは相互に情報を交換することでその知識をより増やしていく存在であるにも拘わらず、彼は自らの立場を当然と甘受している為、実は彼自身が「知ら無(ない)ことを知ら不(ない)」存在であることを成立させてしまっているのである。

ゆえに彼その人は彼が思うほどの大物ですらない。天才ではあるが、その器は王として見なすには非常に小さく自分一人すら満たすことの出来ない矮小な小物に過ぎないのだ。

『有能にして凶悪』

──が、小物であること無能であることが比例しないように、彼自身の能力はむしろ非常に高い。その恐ろしさが最も発揮されているのは、彼自身が無知であると自覚したものに対して非常に貪欲なことである。

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一時期話題になったこの水見式であるが、お気づきだろうか。特質系であるとは誰もが思ったであろうこの変化であるが、その様子は実はあらゆる性質を満たしているのである。

まず、コップに満たした水がこぼれている……これは彼が強化系の性質を持つことを示している。次に水の状態……これは味わうことが困難である為わかりにくいが、激臭が漂っていることからその味が変化している可能性も高い……すなわち変化系である。そして葉は腐りながら動いている……すなわち操作系。そして不純物(どころではない何か)が発生していることから具現化系。ヘドロのように濁り変色していることから、放出系であるのも確定である。

……ここまで述べてきて、同様に“全ての系統の特徴”が現れた可能性が高い人物が浮かばないだろうか。

そう、クラピカである。

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恐らく起きた現象はツェリードニヒとはまた異なったものであろうことは創造に難くないが、その現象の本質自体は彼とほぼ同じであっただろう。

これがツェリードニヒが緋の目を蒐集したことによる呪いめいた概念が働いた結果も影響しているのか……それを確定する情報はない。だが彼の守護念獣に飲まれたパイロらしき人物の頭部や、他と比べて圧倒的な数が集められた緋の目と無関係だとは言えないだろう。

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彼自身がどんな最後を迎えるのか。

それは本編が進まない限りわかることはない。だがカキンの王を決めるあの儀式そのものが蟲毒という性質を持つ以上、例え彼が死したところでその性質が誰かに受け継がれるのは間違いないだろう。

画像8

壺中卵の儀で死した者は、カキン大樹の礎となるのだから。

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