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埼玉の古墳団地 『吉見百穴』

吉見百穴。川越の少し上にある吉見町。小高い丘に無数の穴があいている。
5〜7世紀に凝灰岩を掘ってつくられたいわゆる「古墳団地」だ(と勝手に呼んでいる)。そう、これはお墓なのだ。


この百穴は王族のお墓ではなく、家来や役人、今でいうミドルクラスの人たちのためのものと言われてる。
昔は、コロポックルの住居だ!という説も出て、それはそれで夢も膨らむけれど、その可能性はないみたい。
埼玉古墳群ともそう離れていないので、同じ時期にこの地に伝わったのだろう。


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古墳時代は、朝鮮半島から伝わった古墳と、この埋葬方法が大流行(渡来人プラス弥生の人たちも真似したんじゃないかと)。
その前は「甕棺墓(かめかんぼ)」という壺や瓶に入れられ埋める仕様だったから、大きな変化ではある。仏教が伝来するまではこの手法がメジャーだったのだろうな。お墓の歴史。
戦時中には、兵器の格納庫としても使われていたそうで、それ用の大きな穴も開いていた。


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百穴の形式は他の土地でも結構みつかってる。
前にみたのは、大分市にある『滝尾百穴』。学校のグランドの奥にドドーンとあり、たまにサッカーや野球のボールが中に入ってしまうこともあったらしい。
その学校に通っていたら、探検してただろうなぁ。


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