秩父の盆地コスモロジー
秩父。
この盆地は、1700万年から1500万年前の間、海だったという。そのため、標高300mの地であってもサメやクジラなどの海洋生物の化石が出てくる。
さらには、3億年前のサンゴやフズリナなどの死骸によって形成された石灰岩が採れる。
度重なる地殻変動変動や気候変動によって海から陸地へと変化していった。地球は初めから今の形ではなかった。
この地で採取される蛇紋岩は、地中奥深くマントルを構成するカンラン岩と水が結合してできた緑色の岩。地球の成り立ちにも関わる様々な地質がこの地には眠っている。
日本地質学の父であるナウマンは、明治11年にこの地を調査することから始めたという。
信仰対象である武甲山の北側は約4億トンの石灰岩の塊だ。そのため、古くは漆喰の原料、明治期から現在まではセメントの原料としてその山肌を削り続けている。
武甲山麓には、セメント会社が多くを出資した資料館がある。失われた武甲山の自然と文化の記録を残す、というのがその設立理由だ。
地域の資料館が立派な場合、そうした何かしらの事情があることが多い。
とはいえ仕事があれば人はその地で暮らすことができる。獅子踊りや夜祭りをはじめ、秩父ではまだ様々な文化や習俗が地域の人たちによって紡がれている。
自由民権運動の影響下のもと起こった秩父事件も、経済的な基盤とそれを守る意識がこの地には育まれていた。
深く複雑な秩父の土地に惹かれる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?