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様々なものを受け入れる”湿った土地” 新大久保の現在
新大久保。
今や韓流カルチャーのメッカとして名高いこの地には、異なる顔が存在する。新大久保と大久保駅にまたがるエリアには、韓国人ではなく、ベトナム、ネパール、ミャンマー、バングラデシュといったアジアの国々からの移民が住み商売を営んでいる。
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駅からすぐ先にある「イスラム横丁」には、ハラルフードのお店が立ち並び、POPには様々な国の言葉が書かれている。店の前にはアジアや中東系の若者がスマホをいじりながら佇んでいる。
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商店だけではない。自国へ送金するための送金所、外国籍の人に特化した不動産会社や行政書士事務所など、生活インフラもかなり整っている。
それだけではない。イスラム横丁のビルの上階にはモスクもある。百人町には台湾人によるビル4階建て分の媽祖廟もある。バングラデシュ人によるヒンドゥー廟まである。
信仰は心のインフラなのだ。
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いつからこうしたアジアコミュニティが新大久保でできたのか。それは2011年の東日本大震災と関わりがある。同時、韓流ブームにより多くの韓国人がこの地に住み商売を営んでいたが、震災による原発事故を機に自国へ戻った人が大勢いた。
居住者と店舗が減り困った自治体は、韓国以外の国々への誘致を行う。そこで来たのが彼らアジア系の人々で、その多くが留学生などの若者だ。彼らは日本語とビジネスを学びすぐにこの地で商売をスタートさせる。その勢いは凄まじく、みるみるうちに街の風景を変えていった。
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もちろん、コンクリフトがなかったわけではない。ゴミ捨てのルールを始め、各国の文化やマナー、習慣や考え方はさまざまで、トラブルも絶えなかった。
「トラブルに向き合い続けてきた、その厚みがこの街にはあるんです」
と、今回、新大久保をアテンドしてくださったルポライター室橋さんは話してくれた。
トラブルが生じるのは当たり前。お互い嫌なことも経験する。分かり合えないこともある。その上で、個別具体的な事案に一つひとつ向き合い続けて来たのが、ここ新大久保だ。その蓄積がこの街をつくっている。
「私はいま、日本の神社やお寺について勉強しているんですよ」
ヒンドゥー廟管理人のバングラデシュの男性は、流暢な日本語とご朱印帳を披露してくれた。
異なる宗教であっても、歩み寄るかどうかは人の意思による。彼に習って僕もヒンドゥー教(ここではシヴァ神信仰)のお詣りの方法を教えてもらった。
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大久保の地名の由来は、この地一帯が大きな窪地であったことから来ているそうだ。かつては湧水が湧き太古の集落もあった。江戸の郊外として守衛する鉄砲同心百名(百人町の由来)も、国木田独歩、小泉八雲もこの地に居を構えた。大歓楽街である歌舞伎町で働く人々の居住地でもあった(もちろん今も)。
この湿った土地(アースダイバー的に言うと)は、様々な人を受け入れる大きな器なのかも知れない。
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