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異人を歓待すること 宮古島『パーントゥ』

山形にいた頃、東北芸工大で開催していた石川直樹さんの展覧会(宮本さんの企画だったはず。いい展示だったなあ)で、強烈な印象を受けたこの仮面の異人の様子を現地でみてみたかった。どうしてこの地域にこのような異人来訪の行事が生まれて、残って(必要とされて)いるのかを知りたいと。それで昨年初め訪れた宮古島のパーントゥ。聖なる泥を身に纏った異人が集落に訪れ(音擦れ)る日。

印象的なのは、いくつかの家の庭に宴会の場を作ってパーントゥを待っている風景。集落の住民がまったりと酒盛りをしていると、パーントゥが現れ、臭い泥をなすりつけながら酒をもらう。
乱暴な異人を歓待するのは、なまはげや修正鬼会などにもあって、今回はそれを観れたのが良かった。

"コミュニティや秩序を攪拌する異人を歓待することでその健全さを保つ"というのは色んな本で読んで知っていたけれど、自分には実感もなく半信半疑でもあった(生まれ育った北海道にはそう言ったものはなかった。いたのはせいぜいロシア人くらいで、彼らを歓待した事もない)。

でも、今回の様な光景を目の当たりにする事で、少しずつ理解してきている様な気がする。同時に、異人を歓待する術を失ったコミュニティは、それを新たに生み出すことは難しそうだなとも(端的に犯罪行為だとして認められないはず)。

現代の社会規律や法律の外側にある世界を許容できるのは、近代的な規律が整う前の行事だけかもしれないし、今の社会ではもうその許容は必要ないという事なのかな。

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