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技術を生み出す条件は 上総堀り
上総の地は台地が大半で昔から水利に恵まれず、農業用水や生活用水の確保を井戸に頼らなければならない。そんなニーズから、明治期に「上総堀り」なる技術が編み出された。
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細長い鉄管や竹製のヒゴなどを組み合わせ、用具の自重と人力で地下水を掘り当てるという簡便な仕様。にもかかわらず、この上総堀りは360m(!)まで掘ることが可能という。人力ボーリングだ。
江戸時代は穴に人が入り掘削していたが深さ30mが限界だった時代、画期的な発明だった。
素材も安価で人手も少なく掘れるということで、上総掘は爆発的に広がることになる。
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明治19年には大分県別府市にもこの技術が導入され、当時は17ヶ所の自然湧出泉のみだったのが、上総堀により76ヶ所もの掘削泉ができた。機械化が導入される昭和20年まではこの方法が使用されていたというからすごい。
僕が入っていた別府の温泉の中には、この上総堀によって掘られたものもあるのかも知れない。
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もちろん、武蔵野の地でもこの技術は多いに役立たれたはずだ。
技術は土地を越えて広がるけれど、それを生み出す条件は、土地固有の特性に拠るのかもしれない。
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