見出し画像

正反対?よくわからなくなった 『国立療養所多摩全生園』

東村山市にある、ハンセン病患者の療養施設。1909年設立。
『いのちの初夜』を書いた北条民雄が入所していた場所で、1929年 (昭和4年)に広まった「無らい県運動」で収容されてしまったハンセン病患者の方々が今も生活しておられる。

画像2

画像1

この日の全生園は静かだった。瀬戸内海の大島でみたものと同じような、スピーカーや道路の白線、宗教地区(富士塚もある)があって、その全体が雑木林に囲まれ外からの視線を遮っていた。この雑木林は「患者作業」として、患者自らが植えていったものだ。
休館中の資料館の前には、お遍路へ旅立つ中世のらい病者の銅像が立っていた。

ここの近くには、国立感染症研究所、結核予防会結核研究所もある。かつてここは結核サナトリウムも点在していて、東京病院は、傷痍軍人と結核患者隔離の施設でもあった。
「となりのトトロ」のメイの母親が入院していた病院のモデルと言われる「新山手病院」はそうしたサナトリウムのひとつだったという。宮崎駿の作品には時折ハンセン病や結核を患ったキャラクターが登場する。

郊外が担ったもう一つの役割。
隣町にある清瀬下宿の「ふせぎ」が生々しく思い出される。当時、こうした施設をつくることに地元住民は強く反対したそう。

ここはあの滝山団地ともとても近い。
まるで正反対に思えるこれらの施設が、ほぼ同じ場所にある。
正反対?よくわからなくなった。

画像4

画像3



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?