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立ち漕ぎしながら感じる縄文 『水子貝塚』

富士見市、水子貝塚。
新河岸の近くに、縄文前期の貝塚がある。といっても、ここは埼玉、海無し県、東京湾まで40Km近く離れている。

それでも、5,500年前の地球温暖化による海面上昇、いわゆる「縄文海進」の時期には海が近くにあったのだ。


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この貝塚の周りには長い間集落が置かれていたけれど、縄文前期の終盤以降はピタリとなくなってしまう。
説明によると、荒川利根川から土砂が流され、海を堰き止めてしまったとのこと。その直前は干潟状態で貝の大繁殖地であったそうな。
採掘された貝塚みると、食べ過ぎでは、、と言うくらいの層が溜まってる(和田ラジオの4コマでそんなの見たことあるような)。

石灰質である貝殻は関東ローム層の酸性土に溶けることなく残っている。そのためか、縄文人の頭骨も溶けずにみつかっている。

ここ富士見市は、この縄文海進によって坂と丘が連続している土地だ。もちろんここだけではなく、武蔵野台地の東端は、坂ばかりでかなり入り組んでいるが、その多くは、この縄文海進によってリアス式海岸よろしく削り取られてできたものだ。


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「山の手」と「下町」という名称は、この縄文海進による地形によって名付けられている。一番最後の写真のような、赤羽や上野の不思議な高低差も5,500年前の名残りなのだ。

アースダイバー読んでた頃にはピンとこなかったけど、今は立ち漕ぎしながら嫌でも伝わってくるよ🚲


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