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民俗学、民族学、文化人類学の関心ごとについての記事をまとめてみました。
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#民俗学

西国と東国を分つ坂 足利峠

足柄峠は伊豆半島に位置し、相模国と駿河国とを分ける古代からの重要な関所である。万葉集に見…

shuzo_kumagai
4か月前
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海人たちの技術と歴史 糸満

糸満。 優れた漁法と道具を生み出した海人たちの歴史を伝える資料館に立ち寄る。 その漁法とは…

shuzo_kumagai
1年前
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秩父の盆地コスモロジー

秩父。 この盆地は、1700万年から1500万年前の間、海だったという。そのため、標高300mの地で…

shuzo_kumagai
1年前
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宮本常一と岡本太郎の写真

宮本常一の写真 周防の宮本常一記念館(周防大島文化交流センター)へ行った時に、宮本常一の…

shuzo_kumagai
1年前
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武蔵野の(推し)富士塚

富士塚とは? 江戸時代に富士講が武蔵野の地に広まり、「富士塚」がつくられるようになりまし…

shuzo_kumagai
1年前
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上総下総 フセギの風景 

袖ヶ浦市阿部のカシマ人形 等身大サイズのものは東北のもの以外見たことがなかったな。といっ…

shuzo_kumagai
1年前
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会津 白河の関の、奥の細道の、先

以前に行った白河の関の、奥の細道の先にある地、会津へ。 縄文期から近代に至るまで、特異な存在であり続けた土地だ。 武蔵野と陸奥(みちのく)。その界面を行き来することでお互いが逆照射されその姿が顕になっていくような。

土地とともに生きる、おらほの神さま「秋田人形道祖神」

秋田人形道祖神。 秋田には、藁でつくる道祖神の習俗が多く残されている。湯沢地域では「鹿島…

shuzo_kumagai
3年前
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ダイダラボッチの来た道 「大串貝塚」

茨城、大串貝塚。古事記(712年)と同時期に書かれたと言われる常陸国風土記(713年)に、貝を食べ…

shuzo_kumagai
3年前
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多摩地区のものづくり クチノカミ

この、竹でできたつくりもの、なんていう名前だったか、思い出せない、、と言っていたら友人に…

shuzo_kumagai
3年前
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村の陰陽師さんのあれこれ 東村山教育委員会『指田日記』

江戸時代末期の天保5年から明治4年までの38年間にわたり、村の陰陽師「指田摂津正藤詮(さし…

shuzo_kumagai
3年前
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"場"の説得力、演出力 下北半島『恐山』

少し前に行ったときのこと。 かつてこの山は宇曽利山「うそりやま」という名前だった。 「う…

shuzo_kumagai
3年前
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蚕が東京タワーに繭をつくる日

武蔵野にも養蚕の歴史はたくさんある。 埼玉西部の飯能は、平地が少ないかわりに桑畑を植え、…

shuzo_kumagai
3年前
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この土地のうどん、かなり好きかもしれない 「武蔵野うどん」

陸稲(おかぼ)と麦が主要穀物だった武蔵野台地には、うどん文化が根付いている。 文化というか、習俗として根付いているという方が正しいかもしれない。少し前の時代には、集落の神事や正式な会合の際は、朝からお父さん達がうどんを捏ね、お母さん達がそれを茹で、会が済んだら皆で食べる習わしがあった。つけ麺タイプが多いようで、養蚕のツクリモノ『繭玉』を始め、神仏前にもうどんが供えられていた。 今は市販のうどんで行うことが多いみたいだけれど、それでも、この土地の人たちにとって、うどんは御馳