モーリシャス島沖でのWAKASHIO(わかしお)号座礁事故と油濁損害の賠償責任

Ⅰ 事実の概要

 7月26日、中国からシンガポール経由でブラジル方面に向かっていた「WAKASHIO(わかしお)」号が、インド洋南西部のモーリシャス島沖で座礁した。その後、救助作業を続けていたが、折からの悪天候による激しい揺れで右舷側の燃料タンクに亀裂が生じ、8月6日に燃料油が流出した。海難救助や事故処理の専門家らがモーリシャス政府と連携しつつ、国際タンカー船主汚染防止連盟(ITOPF)の助言も仰ぎながら、船の周囲にオイルフェンスを張って油濁損害の発生を防ごうと努めたが、すでに大量の燃料油が海岸に到達しており、遂には船体が2つに折れさらなる流出も生じている状況で、その被害は相当の規模に及んでいる。このような事故の場合、油濁による損害は誰がどの範囲で責任を負うのだろうか。

 「WAKASHIO」号は、重油を運ぶタンカーではなく、鉄鉱石や石炭などといった様々な天然資源を運搬する「ばら積み船」である。2007年に竣工された船で、全長299.5メートル、全幅50メートル、約10万トン(約20万重量トン)級の大型船である。この規模の大型ばら積み船は、一般にケープサイズと呼ばれる。大きすぎてスエズ運河やパナマ運河を通航できないため、インド洋/大西洋間を航行する時には喜望峰(Cape of Good Hope)を、大西洋/大洋間を航行する時にはホーン岬(Cape Horn)を回らなければならないことが、その呼び名の由来だ。

 「WAKASHIO」号は、船籍はパナマであるが、岡山県笠岡市に本社を持つ長鋪(ながしき)汽船の関連会社である「OKIYO MARITIME CORP.」が保有し、(株)商船三井が傭船(ようせん)して運航していた。このような場合、長鋪汽船グループ(形式的には「OKIYO MARITIME CORP.」が船舶所有者であるが、法人格が否認される余地もあるため、以下では長鋪汽船グループと称する。)は船主(船舶所有者、オーナー)、(株)商船三井は傭船者(チャータラー)と呼ばれる。

 船籍というのは船の住所のようなもので、ある特定の港を船籍として登録すると、その港のある国が、当該船舶の国籍地ということになる。日本の船主が、あえてパナマやリベリアなどに船籍を置く理由は、トン単位の登録料や法人税が安いほか、人件費の安い外国人船員を乗船させやすいなどのメリットがあるからだ。「WAKASHIO」号の20名の船員も、インド人が3名、スリランカ人が1名、フィリピン人が16名という構成になっていた。

 外航海運では、(株)商船三井のような海運会社が自社の所有する船舶(自社船)を用いるケースはむしろ少なく、6割から7割くらいは、船舶の所有者から傭船した船舶を用いている。傭船とはチャーターのことで、船長や船員付きで船舶を借り受けるものである。その点で、船長や船員の乗り組んでいない船体のみを借り受ける船舶賃貸借と異なっている(ちなみに海外では、船舶賃貸借もベアボート・チャーターと呼ばれ、日本では「裸傭船」と訳される)。バス旅行に出かける場合に、バスをチャーターすると運転手が乗車してくるのに対し、レンタカーとしてバスを借りると自分で運転しなければならないのと同じ仕組みだ。

 傭船は、航海を基準にその終了まで借りるものと、期間を基準にその満了まで借りるものとに分けられ、前者を航海傭船、後者を期間傭船という。なお、傭船者に船主に準ずる様々な権限を付与する標準約款(例えば、ニューヨーク・プロデュース・フォームなど)を用いて締結される場合もあり、それは特に「定期傭船」と呼ばれる。今回、長鋪汽船グループと(株)商船三井との間で締結されていた契約は、定期傭船契約であった。

 ちなみに、2019年4月1日に施行された改正商法では「定期傭船契約は、当事者の一方が艤装(ぎそう)した船舶に船員を乗り組ませて当該船舶を一定の期間相手方の利用に供することを約し、相手方がこれに対してその傭船料を支払うことを約することによって、その効力を生ずる。」と定義され(商法 704 条)、船舶賃貸借とは異なる契約類型として規定された。すなわち、船舶賃借人の場合には船舶の利用に関して生じた第三者に対する不法行為責任を負担するのに対し(商法703 条 1 項)、定期傭船契約の場合にはこの条文が準用されていない(707 条)。ただし、これにより、定期傭船者の不法行為責任に関する従来の判例(最高裁平成 4 年 4 月 28 日)が完全に否定されたかどうかについては争いがある。

Ⅱ 油濁損害の賠償責任

 今後、モーリシャス政府は、今回の油濁損害に関する賠償を求めて提訴することが予想される。その場合、まず問題となるのが国際裁判管轄である。国境を跨ぐ紛争に関し訴状を受け取った裁判所が、その事件を審理できるかどうかの問題である。 

 油濁損害の賠償については、国際条約で規律されている。まずはタンカーからの流出を想定した条約が先行して成立したが、タンカー以外の船舶でも、座礁等によって燃料油が大量に流出することから、1996年10月に国際海事機関(IMO)の法律委員会で議論が始まり、2001 年3月のロンドン会議において、「2001 年の燃料油による汚染損害についての民事責任に関する国際条約(燃料油汚染損害の民事責任条約)」が採択された。この条約は、外航船の燃料をバンカーと言うことから、一般に「バンカー条約」と呼ばれている。この条約の発効要件は 18 か国の国内手続の完了であったが、2008 年 11 月 21 日にその条件を満たして発効した。

 今回「WAKASHIO」号が座礁した場所であるモーリシャス共和国も、船主や傭船者の所在地である日本も、ともにバンカー条約の締約国である。バンカー条約は、その9条で、燃料油の流出事故が締約国の領海もしくは排他的経済水域で起こった場合には、その事故が起こった締約国の裁判所が専属管轄権を持つと定めている。したがって、今回の「WAKASHIO」号の事故については、モーリシャスの裁判所で審理されることになる。

 では、今回の事故に関する賠償責任については、いかなるルールを基準に裁かれることになるのだろうか。一般に、国境を跨ぐ紛争については、それぞれの国の法律(講学上、国際私法とか抵触法などと呼ばれる)で、国際紛争の類型ごとに適用すべき法律(これを準拠法という)を決めている。しかし、バンカー条約の場合は、P&Iクラブ(船主責任相互保険組合)が提供する責任保険(P&I保険)への強制加入や基金の創設を求めるにあたり、同条約が定める統一的な民事責任のルールに服することを前提としている。そのため、バンカー条約の適用される事故については、同条約に定められた民事責任のルールを統一的に適用すべきであって、各国の国際私法を介在させるべきではないと考えられている。言い換えれば、バンカー条約第2条は、単に同条約の適用範囲を定めただけではなく、抵触法的なルールを含んでいるとみて、バンカー条約が適用される事故については、同条約ないしはそれを国内法化した法廷地法が適用されることになる。

 そこで、バンカー条約に定められた民事ルールを今回の「WAKASHIO」号の事故に当てはめるならば、「船舶所有者」が無過失責任を負うことになる(条約第3条1項)。ここに「船舶所有者」とは「船舶の所有者(登録所有者を含む。)」のみならず、「管理人(manager)及び運航者(operator)並びに裸傭船者(bareboat charterer)をいう。」とされているので(同条約 1 条 3 項)、船主である長鋪汽船グループと定期傭船者である(株)商船三井のどちらが無過失責任を負うのかが問題となる。既に述べたようにわが国では、船舶衝突の事例で船主ではなく定期傭船者に不法行為責任を負わせる判例があるが、船主に責任を集中させてP&Iクラブ(船主責任相互保険組合)への強制加入によって賠償資金を担保しようとするバンカー条約の趣旨からすれば、ここに言う「船舶所有者」には「定期傭船者」は含まれないと解するのが一般的理解だと思われる。したがって、今回の「WAKASHIO」号の事故では、定期傭船者である(株)商船三井ではなく、船主である長鋪汽船グループが無過失責任を負うことになると考えられる。

 ただし、バンカー条約は、船主責任制限条約の適用を排除していないため、その適用が問題となる。ひとたび海運事故が起こるとその被害は甚大なものとなるため、船舶所有者や海運会社に全額の賠償を要求すると会社を存続することが難しいことから、海運の世界では、古くからその責任を一定額に制限する仕組みが作られてきた。この種の制度は中世の頃から存在するが、国際条約としては、1957 年に採択され1968年に発効した「海上航行の船舶の所有者の責任の制限に関する国際条約」が最初である。その後のインフレーションと金兌換制の廃止等に伴い、1976 年に IMCO(政府間海事協議機関。現 IMO)に採択された新たな条約が、1986年に発効された「1976年の海事債権についての責任の制限に関する条約」 (以下、1976 年責任制限条約という)である。この条約では、責任制限限度額が引き上げられるとともに、単位が金フランから比較的安定的に変動する SDR(IMFの特別引出権)に変更された(SDRのレートは次のIMFのサイトで確認できる。
https://www.imf.org/external/np/fin/data/rms_sdrv.aspx)。しかし、その後の更なるインフレーションを受けて、IMOは、1996 年に「1976 年の海事債権についての責任の制限に関する条約を改定する 1996 年の議定書」(以下、1996年議定書という)を採択した。

 これによって船主の責任限度は引き上げられたのであるが、2009年3月、オーストラリアの東部沖で起こったパシフィック・アドベンチャラー号の燃料油流出事件で、さらなる疑問が提起された。約270トンの燃料油の流出によって生じた油濁損害が、96年議定書が定める責任限度額の約2倍に上ったからである。そのため、2010年にオーストラリアを含む20ヶ国が、IMOに対し、責任限度額を1.51倍に引き上げる旨の提案を行った。この1.51倍という引き上げ率は、各締約国の通貨価値が1996年から2012年までどの程度変動したかを踏まえ、その変動率を加重平均して算出されたものである。この改正は、改正案の採択後一定期間内に一定数の異議通知がない限り改正が受諾されたとみなされる、いわゆるタシット方式(tacit acceptance procedure)によるものだった。そのため、2012年4月にIMOで採択され、同年6月8日に各締約国に通告、18ヶ月目に当たる2013年12月8日までに4分の1以上の異議通知がなかったため、その18ヶ月後の2015年6月8日に、全ての締約国で改正(以下、2015年改正という)の効力が生じることになった。

 日本は、1996年議定書の締約国なので、この2015年改正も既に国内法に取り込んでいる。すなわち、同年4月24日に船主責任制限法を改正し、条約改正の効力発生日である同年6月8日に施行された。それに対し、モーリシャスは、2015年に改正された1996年議定書ではなく、1976年船主責任制限条約しか批准していない。そのため、どちらの条約が適用されるかによって、長鋪汽船グループが負うべき損害賠償責任の限度額が違ってくる。責任限度額は加害船舶のトン数によって決まってくるが、「WAKASHIO」号は約10万トンなので、モーリシャスが批准している1976年船主責任制限条約ならば約20億円、日本が批准している2015年に改正された1996年議定書によれば約70億円が上限になる。モーリシャスは、その上限額まで、長鋪汽船グループに対し損害賠償を請求できるが、その一部をP&Iクラブに直接請求することもできる。

Ⅲ 今後の争点

 船主責任制限条約については、一般に、法定地法が準拠法になると解されている。したがって、通常であれば、モーリシャスの裁判所は、同国が批准している1976年船主責任制限条約を適用することになると思われるが、油濁損害を契機として船主責任制限条約の上限が引き上げられてきた経緯や、日本が既に2015年に改正された1996年議定書の国内法化を済ませていることにかんがみ、異なる判断を下す可能性は残されている。

 より深刻な問題は、船主責任制限条約には、適用が除外されるケースがあるという点だ。具体的には、船長や船員が、損害が生ずるであろうと知りながら「無謀な行為」を行い、それによって損害が生じた場合には、船主は責任制限を主張できず、損害額全額を賠償する責任を負うことになる(船主責任制限法第3条3項参照)。報道では、座礁の直前に船上で船員の誕生会が行われていたことや、WiFiに繋ぐためにモーリシャス島に近づいたことなどが報じられている。その真偽は不明であるが、これが適用除外事由に当たるかどうかは、今後大きな争点になるだろう。


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