見出し画像

Shutter Vol.1  山本あゆみさん④ ~楽しさと健やかさ

私が感じたあなたを切り取り、綴る 「 Shutter 」

記念すべきお一人目は 神戸市須磨区で楽健寺酵母で焼くパン教室を主宰される 山本あゆみさん。

画像7


1話目から読む方はこちらから


初めて耳にする「楽健寺酵母」という酵母・・・菌をこよなく愛し

その「楽ちゃん」とともに主催するパン教室「ひなたぱん」からは

いつも何とも美味しそうなパンやスイーツたちが

どんどん、生まれています。


画像1

画像2

画像3

画像4

画像5

酵母・・菌というものについて

こんなにも楽しそうに嬉しそうに話す方も初めてだし

(もはや人間と同じように酵母のことを「彼ら」と呼び、

 コミュニケートしています)


彼女の写真に写されるパンたちはとにかくかわいくておいしそうだし


あゆみさんは、どんな道を経て、今ココにいるのか。


画像6


楽健寺酵母と生きてきたあゆみさんについて。


私があゆみさんと出会ったのは昨年(2019年)で

もう、十分に・・・・

自分の好きな事やものを見つけて選び取って生きている

そんな、素敵な人として、私の目には映ったけれど。


画像8

2019年12月。



ここに至るまでの道のりは、決して短くはなかったようです。



生き方を見つめ直すきっかけになったのは

今から14年前、2006年 あゆみさんが26歳の時。


家族間の問題や、祖母の死に直面したとき

人生というものは、自分で決めることができない・・・

どこか、理不尽さを突きつけるものだと、感じたそう。


原因不明の蕁麻疹が体中にでき、

病院に行っても

「医者ができることは、【症状のスイッチを切ること】だけであって

 根治は出来ない」

そんな言葉を受け


どうしたら治るのかと、アロマテラピーやリフレクソロジーなど

様々な自然療法、代替医療を試みる日々へ。


そうした中でヨガに出会います。


インドの伝統的ヨガ、超自然派に傾倒、

殺生はならぬと、そこから肉を食さない「ラクトベジタリアン」に。

超自然派で生きているはずなのに

生き方はなぜか自然にならない。なぜか、苦しい。


何かが切り拓かれることのない日々にモンモンとしていたころ


2007年のクリスマス会で、ホームベーカリーで焼いた

楽健寺酵母のパンに出会います。


とはいえ、その時、食したのは「パンの耳」(笑)


うまく焼けずに、耳だけ焼けたパンをいただいたその瞬間、

美味しさに感激。


友人から、楽健寺酵母を譲り受けます。


以来、実家からホームベーカリーを持ち帰り

楽健寺酵母のパンを焼く日々がスタート。


美味しさにはまり、手ごねで焼くことにもチャレンジします。。


ですが、これがなかなかうまく焼くことが出来ず、試行錯誤。


偶然譲り受けた酵母だけれど


上手な焼き方を教えてくれる先生もおらず

ひたすらに「どうしたら、うまく焼けるの?」


目の前の酵母に問いかけながら、ぱんを焼く日々が続きます。


当時を振り返る時になると

あゆみさんは何度もこう言うのです


「あの時私は菌(=楽健寺酵母)のことしか信じられなかった」と。


画像11


人生というものに感じてしまった、「理不尽さ」


人とわかり合いたいと願いながら、

分かり合えない現実を目の当たりにした時に感じる絶望


そして、そんな風にしか生きられないご自身に

たくさんの「ペケ(✖)」をあの当時はつけていたそう。


「どうせ、私の感じていることをわかってくれる人はいない」


そんな思いから世界に心を閉ざして

ひたすらに、ただただ、、目の前の酵母に

毎日、「どうしたらうまく焼けるの?」

そう、問いかけながら、ぱんをこねては焼いていたそうです。


この話を聞くとき、私はちょっと切なくなる。


「どうしたらうまく焼けるの?」の言葉が

「どうしたら、もっとうまく生きられるの?」という

あゆみさんの心の声なような気がして。


いつでも、うまく楽に生きられたらいいけれど

時に・・・

自分という殻の中にもぐってしまって

なかなか、その殻が破けなくて

ちょっぴり生きるのが苦しいときって

人生には、あるような、気がします。


それでも人は

自分をあきらめず、自分を見捨てず、

時には、自分にしがみつきながら

自分という命とともに生きている


他者との、世界とのつながりを、

世界に心開いて生きる自分を、心のどこかで、求めて。


「菌のことしか信じられなかった」そう語る当時のあゆみさんは

そんなときだったんじゃないかな、って。

画像9



パンの焼き方も、生き方も

教えてくれる人がいないからこそ


ただただ、酵母と向き合うしかなかった日々が

やがて、たくさんのギフトを、あゆみさんにもたらし始めます。



繰り返し繰り返しぱんをこね、生地を触っていくうちに、

少しずつ酵母の、生地の扱い方がわかってきます。


成形の仕方が、ある日突然

ひらめきとして頭の中に降りてきたり。


画像12


少しずつ、楽健寺酵母というものを理解しはじめ

パンを焼くということがわかり始め


そうしていくうちに


パンを発酵させ美味しくさせるための酵母は

ただの・・・発酵という役割を担った「モノ」ではなく

まるで意思を持つかのような「いきもの・・・命」であると

感じ始めます。


まるで自分のバロメーターかのように

あゆみさんご自身の状態とリンクして

元気がないときはパンも元気がない焼きあがりだったり


かと思えば、

根を詰めすぎるあゆみさんを、

「気楽にぱんを楽しんでよ」とでもいうかのように

冷蔵庫の中のスターターや酵母たちが

元気いっぱいおおらかに発酵していく姿を見せてくれたり。


画像10


パンを焼く、ということが

あゆみさんにとっては

「酵母との対話」になり

それはそのまま「自身との対話」へとつながり

「自分に気づき、知るための大切な時間」へと変化


そしてそれは


机上の空論

温度や分量や時間といった

ただの数値だけで出来上がるものではないもの



楽健寺酵母でぱんを焼くということは


酵母という生き物 命と

作り手である自分との

対話を繰り返して

互いの相乗作用で美味しさを生み出していくもの・・・


つまりは

焼き手である自分自身の状態がとても大切で

「楽しさの中に身を置く自分」であることが

大切であることに気づいていきます。


分量、時間、温度。

数値的な正しさばかりを追ってパンを焼くのではなく


うまく行かないことも含めて

楽健寺酵母のパンの道、過程を

目で見て耳で聞き、舌で味わい、肌で触れ

そうして、五感を、感性をフルに使って

「ともに関わり、体験し、楽しみながら育てていくこと」の

大切さに、気づかされていくのです。


画像13


そうして、美味しく焼かれたパンを

友人知人に「焼けたよ~」と手渡していくうちに

新たなストーリーが、開かれてゆきます。


次号は、ひなたぱんの歩んできた道についての、お話。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?