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Shutter Vol.2 ヒモ解き職人 鈴木深雪さんの編集後記。

「竹の上から下まです~っと水が流れるように

 筋道が通ると、美しい」


「ロジカルは、美です」


初めてのご対面でお話をした時に

そう私に伝えてくださった深雪さん。

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思考を整理すること

誰かの話の筋道を整理して整えていくこと


その時どんなふうにしているのか

私に伝えてくださるそのお姿は


本当に楽しそうでうれしそうで

軽やかにくぎを打つ大工さんのように

「こっちの思考をとんとんってしてね」

「あっちの思考は、ちょっと休んでもらってね」

「それで、これを、こーすると、こういう筋が見えてくるの☆」

軽やかなゼスチャーに合わせて話す姿は


「論理的であることを

 こんなに楽しそうに語る方がいらっしゃるとは」と

私に衝撃を与えてくれました。


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感覚派の私にとっては

「論理的=こ難しくて堅苦しいもの」であり

人生を、窮屈にさえするもの、だと思っていたから。


(そのくせ、感覚ばかりで論理にできなくて困ることがたくさんあるんですけどね。)


でも、その深雪さんも、私と出会った2020年の数年前は

今とは全く違うご自身だったそうです。


話筋道を見つけ整えることが得意だった深雪さんにとっての「論理的美学」


それは、確かに美学ではあったけれど

「深雪さんにとって正しい美学」であり


正しさの美学、その型にはめていくような

思考整理、ヒモ解きの頃もあったそうです。



これは、深雪さんに限らず、

きっと誰もがつい、してしまうこと。



「相手のあるがままの美しさを見るより

相手のどこが美しくどこが美しくないのか

だから、どこを【直さなくてはいけないのか】」



自分の物差しで相手を図ってみてしまう時

実は私たちは相手を見ているようで見ていないし

理解できていなくて。


でも、そもそも


「私の物差しで測れる誰か」なんて

人生には、存在しないのですヨネ。


私が私であるように

あなたはあなたであり、それこそが、あなたそのもの。

誰の物差しでも測れない、唯一の存在。


でも、つい人は「正誤の世界」に身を置いてしまう。


幼いころから、

何が正しくて何が間違っているのか

そんなことをたくさん教育されてきた私たちは

気を付けていないと知らず知らずのうちに

「感性を置き去りにした正解を探し求める世界」を生き抜いてしまう。



でも、本当は人生はそうではないはず。



私たちはあらゆる感覚やセンサーを持ち

世界のいろんなことを

不思議に思ったり、興味を持ったり

知りたいと思ったり、探求したくなったり

誰かとそれを分かち合ったり、感じ合ったりしたい


それが正解かどうか、が大切なのではなく


ただただ、感じ、心が目指すもののために

自分の命を発動させ輝きたい


そんな自分で、誰かの力になりたい

つながりたい


そう思っている生き物だと、思うのです。


「私という命から発動される

 湧き上がるものに従って生き抜くことが出来たなら」


きっと誰もが、そんな願いを抱きしめているのではないでしょうか。


そしてその一方で


「でも、そんな生き方ができるのだろうか」とも、思ってる。




そんな思いから人生の何かを妥協しあきらめている時


社会の常識や価値観

誰かや何かの評価や人目

嫌われることを恐れて

「(実は妄想かもしれない)正誤の世界にハマっている」のかも、

知れません。




今回、ヒモ解き職人としての鈴木深雪さんを紹介させていただくにあたり、

深雪さんからはたくさんのお話をお聞かせいただき、

また、この記事が出来上がるまでにも

数えきれないほどのメッセージのやりとりを重ねました。


・子どものころから話の筋道をすごく気にする子どもだったこと

・お父様の影響で物事を構図でとらえるようになったこと

・16年間の企業人生で鍛え上げられた、ロジカルシンキングと思考整理のスキル


生まれ持った「論理的思考傾向」を鍛え活用しながらも

どこかそれを活かしきれず、

何かに居心地の悪さを感じたこともあった企業での時間は

もしかしたら・・・・・

鉄パイプのような、まっすぐさだったのかも、知れません。


「論理的であるとは、こうであるべき」と。

「美学あるからこその信念」が

時に深雪さんを

生きづらくさせていた時も、あったかも、しれなくて。


でも、出産、育児をきっかけに、

そんなご自身の生き方と、彼女は少しずつ向き合い始めるんですよね。


・仕事しかしてこなかった自分の小ささに気づき

・子育てに、家事に追われるばかりの日々の中で

 「私の人生は、誰のための人生なのか」そんな問いが発動したり

・ボランティア活動やフリーペーパー作成、茶道を始めたり。

・その時のご自身でできるWSやセミナーを開催したり。

・その日々の連続の中で、思考・体系整理が強みと気づき

 ヒモ解き職人 鈴木深雪が誕生して。

・一生懸命だったけど、誰かのニーズに応える後ろで

 何かを置き去りにしている感覚を感じて。

・自分発信で来ていないことに気づいて、一念発起して自分を棚卸たり。

・HPを作り、ヒモ解き100人斬りやる!って決めて。


そうやって、「本当は、どう生きていきたいのか、何をしたいのか」

彼女はきっとひたむきに、まっすぐに

ご自身の望む生き方と

トライアンドエラーを重ね、向き合い続けてこられた。


自分を知り、活かすために

深雪さんが一番まっすぐにヒモ解き続けているのは

実は、きっと・・・・

誰よりも、彼女ご自身だった。



そんな彼女のブレイクスルーになったきっかけが

「アトリエモードの時間」だったんですよね。



正しさを脇に置いて

ただただ、自分が感じるまま

興味のままに任せて、生きる時間を

少しずつ暮らしに取り入れたことが


正しさの中で生きようとする彼女の枠を

少しずつ溶かし、柔らかにしていった。


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お着物を選んでいる一枚。



正しくなくていい

採算なんてなくてもいい


ただ、私の心の喜びのために。


そんな選択の積み重ねが


「正しさより楽しさで生きる喜び」

いわば

輝く命の発動を、きっと促したんじゃないかな。


私は、そう思うのです。



深雪さんの名言に


「人は自分の解像度でしか人を見れない」


というものがあります。



本当に、言い得て妙だなと。


正誤の中で生きている人は

他人も、正誤で見てしまう(それも、自分の物差しの正誤で)

それって実は「正しいようで、窮屈な世界」でもあって。


深雪さんは、ご自身に「アトリエモードの時間」を与えたことで

「楽しさを生きる時間であり視点」を持った。

だからこそ、他者の

「さらに人生を楽しめむための、命、可能性が発動するポイント」を

見つけられるようになったのだと思うのです。


これによって、彼女は、


論理的に世界を捉える目と、

感性のままに生きる自由さ

両方のバランスを取り始めることが、きっとできた。


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論理を活かしながら、

アーティスティックなヒモ解きシートが生まれたのも

こんな背景があり


これが、彼女のヒモ解きを、大きく進化させたのだと。^^


論理的である自分を最大限生かすために必要だったのは

感性的な自分の存在だった。



相反するものの中でこんなに輝かしく生きれるのだと

深雪さんを見ていて、私が感じたことです。


自由さの中で論理を最大限武器にできる彼女がこれから作る世界は


きっと、


おおらかさと緻密さを兼ね揃えた

すごいプロ集団になっていくのではないかと

私は勝手に、期待しております。




かくいう私も、

深雪さんのヒモ解きによって


長年続けてきた「書くこと」を

こうして、誰かの紹介で活かすという形で

発動させることが出来ました。



これはね、

「いつかエッセイを出したい」

そう願っている私の、夢の一歩でも、あって。


noteって、いわば

電子エッセイ、みたいなものですものね♪


彼女とのやり取りを重ねて

私が受け取ったことは本当に大きく


感性ばかりに頼っていた私も


これからはもう少し


「論理を楽しんで取り入れる」ということに

挑戦してみようかな


なんて、思うのです。



お互い、言葉が好き、というところで一致した私たち。


出来事や、誰かのことを

ドラマチックに想像したり、語ったりすることが

とっても好きで、得意です。


終盤のやり取りで出てきたのは


「Aスタジオ」の笑福亭鶴瓶の編集後記が好き、という話。


まったく同感。


その話をしていて私は思わず、想像してしまったのです。


ご自身のロジカルシンキングを最大限に活用して

ヒモ解いた誰かのことを

楽しく、かつ、素晴らしく端的でユニークなロジックで

編集後記として語る、深雪さんの姿を。


なんともなんとも楽しそうに、しみじみと


「一本筋が通った人は、美しい。」


笑顔満面で語るだろう、彼女を。


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これからもますます広がってゆくだろう、彼女のこれからを

これからも見てゆきたい。

そう、思います。




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