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これから、一途に私時間を。〜武藤恵子さん〜

私が感じたあなたの魅力を切り取り綴る shutter

この企画は、あそゆかがご依頼者様と対談、感じた魅力をあそゆか視点で遠慮なく書かせていただくというもの。2021年は100人の人の魅力を切り取る「100人ライティング」にただいま挑戦中です。



花の命は結構長い♪ オンナですもの♪ オンナのわたし・・・♪


そんな歌をはるか昔に聞いた時、私はまだまだ小娘で

その歌詞の意味は、実の所よくわかってなかったように思う、けれども。

この歳になって、あの歌の意味は、わかる気がしている最近。


そう、花のいのち、女の命の時間は、短いようで、結構長い。

そしてその長い時間の中で

女性・・・

特に、結婚、出産、子育てを経験した女性は

驚くくらいいろんなことを体験して

いろんなステージを駆け上がって

妻になり、母になり

そうしてまた、女になっていくのだろうと思う。

だからこそ

私たち女性は

その節目節目で、選択を迫られたり

今までと同じではしっくりこない気持ちになったり

突然、世界が狭くなるような感覚になることもあれば

新たな時間が与えられて、

女としての自分を取り戻し、

広い世界に羽ばたきたくなる時も、やってくる。


女の一生は、変化に富んでいる。

だから、女は、おもしろい。


誰かの子ども、娘として生き、育ち

結婚して妻になり

出産、子育ての時間を経て親となり、母として生き、

そして、

妻も母もこえて、「わたし」の時間がやってくる。


今新たな「わたし時間」を歩き始めた

そんなフェーズにいらっしゃる方を今回はご紹介します。


アラフィフ女性に寄り添うフォトグラファー武藤恵子さん。

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私が恵子さんに初めてお会いしたのは

お互いが写真を学んだ(期は別)

人柄写心家丸山嘉嗣さんの写心入門講座。


私は一足先に講座で写心を学び、

恵子さんが参加された講座に撮影スタッフとして参入した時でした。


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ただ、記録としての写真ではなく

心が動いたときに写す、心が写る「写心」を

ただ、スキルではなく、自分の心を知りながら

写真にそれを写し出していくためのあり方とスキルを学ぶこの講座で


撮影スタッフの私は(自分の自覚としては)

控えめに講座中の様子を撮っていたつもりだったのに

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座学がひと段落して、

いざ、撮ってみようとなった時

恵子さんに、ロックオンされて。笑


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それがまぁ、なんとも、楽しそうにお写真を撮られるのです。

無邪気、とはこのことか、というくらい

楽しくて楽しくて夢中。

そんなオーラが

ぱーーーーーーーんと広がっているような。


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みーーーーつけた♡

そんな言葉が、聞こえてくるよう。


だからつい、私も、、、、、、

初めての、セミナー撮影で

内心、ソワソワしてたのに


恵子さんの、

軽々ひょいと相手との境界線を飛び越えて

「ねーねー、あそぼ♪」と

目をまっすぐ覗き込んで声をかけてくれちゃうような

その、好奇心に

心の中で少しだけ構えていた距離感が溶けて、

私まで、楽しくなってしまう。


とはいえ、座学となるともちろん、真剣。

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写真に対して、きっととっても真剣な方。そんな印象もまた。


すごいなー

カメラ、写真っていう共通項があると

人って、初めましてでここまで笑い合えるんだ。


そんなことを、思った、初対面の日。


この入門講座の日以来、恵子さんは、いろんな方に写真を撮ってもらい始めたようで、それがFacebookのフィードに上がってくるように。

それがね、どんどん、可愛く女性らしくなって行かれるのです。


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全身赤に負けないところに、恵子さんの魅力があると感じた一枚。


どんどん開花していくような恵子さんの

あの軽やかに垣根をぴょんと飛び越えるような、人懐こさは

今回、対談してみて

それは、カメラという共通項があった、ということに限らず、

「恵子さんだから」のものだったのだろうなと

思う今です。


2月のある日。

「ゆかちゃんからみた私を書いて欲しい」と

このshutterにお申し込みいただいて、

横浜の老舗、馬車道に向かいました。

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レトロ感漂うこの場所で

じっくりお話しするのは実は初めてな、恵子さんとご対面。


想像は、して、いた。いました。


お会いした瞬間から、始まる、軽やかなる恵子トーク。

あの日の3時間、もはや何を話したか分からないくらい、恵子さんは喋っておりました。笑


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案内されて着席するなりもう、カメラ。笑

恵子さんの発語量、多分私の3倍はありそうです。(いや、5倍かも。もっとかも。)

なので、正直・・・内容、覚えてられないくらい、ずっとお喋りしてます。

もし、レコーダーで録音したとしても、多分、私のキャパでは拾い切れないんじゃないか・・・というくらい。


せっかくきたんだからゆっくりしようねー。○※▲!〜□※▲○!(なんか言ってた) あ、ゆかちゃんちょっとそっちの席座ってくれる??撮りたい。


うん。笑 ゆっくり、、、、とか言ってたのに、そっちに座れと。笑

はいはい、もちろん座りますよー笑

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そうしてパシャリ。

ちょっとこっち向いて、うんうん、あ、もうちょっとこっち。うんうん、パシャリ。

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お店が空いているうちに、ちょっとお席を借りて撮っちゃおう、と遠慮がない。笑


かと思えば「おトイレ行ってくるね。」


戻ってきたらもう、お喋りしてる。


ゆかちゃんはさ、なんでこの仕事することになったの??どんなふうに生きてきたの??と、聞きたいことも、サクサク、ストンストンと聞いてくる。


だからと言って、不躾かというと、そうでもない。

押し付けがましい圧があるかというと、違う。


聞きたいことは聞いてくるんだけど

こじ開けるとか、えぐってくるとか

そういうことではなくて、

今日朝ごはん食べた?くらいに、サクッと

興味を持ったことを聞いてくれる感じ。

だから私も、トコトコ、話す。

なんとも、軽やか、なんですよね。

恵子さんの興味、は

「パパとママからどうやって私が生まれたの?」って聞いてくる子どもみたいに、曇りがない。気がする。

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私の話を

うんうん、そうなんだねー、と聞いてくれていたかと思ったら

また、話題は変わって、突進していく。


うーん、なんて言ったらいいんだろう。

おしゃべりの賑やかなラジオを聴いているような、感じ??

ラジオって、自分で選局して聞くから、基本「自分の好きなこと」が耳に届く。ずっと音が流れてても、さほど気にならないし、時にはBGMになる。なんならその音を自ら聞きに行く。ふんふん、そーかそーか、なんて。

なんか、そんな感じ、恵子さんのお喋りって。(だいぶ失礼かもしれない・・・いや、これは失礼すぎるだろうか・・・けど、けれども。親愛をこめてこれは書いてるのです!!)

うんうん、と聞きながら、この滑舌、この会話量をずっとキープできていることが、私はただただすごいと思ってしまう。ずっと脳が動いている。いや、脳の自動運転、なのかな??言葉が湧いてくる感じ(に、わたしには見える。)きっととても賢い方なんだろうな、と思わずにはいられない。

そんな彼女は、入門講座の先生であり、人柄写心家として撮影もしている丸山嘉嗣さんに写真を撮ってもらった時、


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ずーーっとお喋りしすぎてて




    お口にチャック。



と、言われたらしい。笑 (おそらく、恵子さんの方が、ひとまわり以上大人。)


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納得。その時の光景があまりに想像に容易くて、笑ってしまう。(恵子さんのFacebookからお借りした上の写真はおそらくその瞬間のものでしょう。)とっても、微笑ましい苦笑と共に、その様子を思い描いてしまう。

私のこのshutterは、ご依頼者様と対談させていただき、その時のご様子から感じたこと、その方の魅力や個性と感じたものや、その時のその方から生まれた言葉から感じた「きっと何か大切なこと」をあそゆか視点で書かせていただく、というもの。その対談時、私はメモは極力取らないし、録音も、なし。できるだけ「その時」「目の前の人から感じること」に全集中して、そうして受け取り感じたもの、を言葉にしています。

だから、言葉一つ一つを覚えることはもちろん不可能で、共に過ごした時間の中で、その方の印象的だった部分・・・表情や言葉の温度がグッと変わった時、目の輝き、そういったものを、頭上のフィーリングセンターに残しておくような感じ、でやっている、かなり・・・・パーソナルで、刹那的(お一人お一人、その時々で違う)で、感覚的な、再現性のないもの。だけど。

恵子さんとのあの時間は、彼女のお喋りが常に渦巻いている状態だったので、

正直申し上げてしまうと、恵子さんの言葉に全力全集中していたら、私はおそらく、、、、、、、、キャパオーバーからのパンクを起こし、昇天していたと、思う。苦笑


え、これ、悪口??・・・ではない。断じてないのです!


というのも、恵子さんは、あんなにとめどなく喋りまくっているのに

その合間合間に、なんとも細やかな気遣いをちょいちょい、でも確実に、挟み込んでくるのです。


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ぼーっと(話の全てを確実に聞き取ることから早々に降参、そして、頼んだサバランが過去最高に美味しかったけど洋酒がしっかり利いていて実は酔いが回ってホワーンと)している私に向かって


お手拭きはそこよ。
レンズ、大丈夫?(私がちょっと危なっかしいところに置いていた)
お手洗いは、大丈夫??
そろそろ時間だよね。


もう、あの日の細かい会話は忘れてしまったけれど

でも、これは確かな記憶。


実は恵子さんは

ただただ空気が読めずに自分のことばっかり喋る圧強めな人、ではなく


案外、ものすごく相手のことや周りの状況は見ていて、かなり気を配っているし、そのための一言の声がけは、結構多い。(私自身も意識してないほどの次の一手の行動を、さっと読み取るような声がけすらある)


「え、見てたんだ。」


思わず、そう言ってしまいそうになる感じ。


自分に集中しているかと思いきや

実はいろんなことを見ていて他者への気配りは欠かさない。

そして、確認もする。


どれだけのセンサーを持ってるんだろう、と

その気配りの一言が差し込まれるたびに、私はハッとする。


どこまでも果てしなく拡散していく、その恵子ワードワールドの中で、

突然ど真ん中のセンターに

しゅたっ!!!と一瞬で戻ってきて正座して相手をキュッと見定める


みたいな方でもあるんですよね、私から見てると。


楽しくて嬉しくていっぱい喋ってるときは


ご機嫌すぎて振っているシッポの、その遠心力で体が宙に浮いちゃってる


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みたいな感じ、なのに。


だから・・・・

圧倒的な言葉の滝行を受けてざぶざぶのびしょ濡れになったのに、

なぜか「気にかけてもらえた」あたたかさもしっかり残ってる。

滝行の後なのに、なぜか、あったかくてほかほか。

ちょっと不思議な感じ。


そんな恵子さんを目の前にして見ていることが(話も聞いてる!)とても面白いのです。


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「やだー、くまが写っちゃうんだからー」とか言ってこんなポーズを突然する。笑

わたし、何も言ってないのに。そんなこと全然気にしてなかったのに。


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嬉しそう。


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「うーん、そうだなぁ〜〜」あの時を、振り返る。


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写真のことを話すときの、ムフムフ顔。


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「あ、その顔いい。撮っちゃお。」突然カメラを構え、ずいずいくる。(思わず笑っちゃう)


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油断しまくり、サバランの洋酒もまわり、大福みたいな顔になる。笑


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「でもね、私もね、こんなことを決断して、挑戦してね・・・聞いてくれる??いくらだったと思う?!!それ??」いきなり始まる恵子のクイズ。


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「正解は、 ○○えん。」のお顔。笑

とにかく表情がくるくる変わって、話題もぐるぐる登ってく。恵子上昇気流が、そこにある。

聞いてる私は笑いが絶えない。


そんな恵子さんだけど。(どんなだ。)


お母様の「大切な娘」として生き、そしてまた、お母様のことを思って生きた時間も、どうやら、長かったよう。

結婚して親になって子育てをする中では、お子さんの不登校も体験。

お母様との同居と、別居の決断。

ご病気をされたこと。その後遺症のことが、気になっていること。

わちゃーって話しているその合間合間で、一瞬、ひゅんと小さくて健気な恵子さんが出てきて、そんなことを、ひょこりと話す。

「自信なんて、なかったからさ。」なんて。

人生は、関わり合いの時間の中で、たくさんの体験を重ねる。

恵子さんの人生も、きっとそうだったのだろうと思う。きっと、いろんなことがあって、いろんなことを、超えてこられた。いろんなことを、その時々のご自身で受け止めてこられて、娘として、妻として、母としての時間を過ごし、お子さんも育ち、時間と労力にゆとりが出てきた頃に撮り始めたのが、スマホの写真。

手のひらにおさまるこの小さな四角い画面で写せる世界が楽しくて、撮り始めた写真は、いつ頃からか、プロフィールを撮ってと言われるようにもなったけど、最初に感じたのは、「引け目」。周りの人は立派な一眼レフカメラで撮っているのに、スマホで撮ってる私が、仕事になんてしていいの??

そう思う中でもやってくるそうした声を「わたしのスマホ写真でもいいなら」と受け止めていくうちに、依頼が続き、やっぱり、カメラが欲しい、カメラで撮りたい、カメラで、撮ろう、写真を学ぼうとなり、そうして決意して手にした、ミラーレス一眼、そして写心入門講座への参加。

カメラだけじゃなくて、お仕事にしていくための、ビジネスの勉強もされて。

パートで働いて、そのお金も自分で貯めて、そうして進み始めた、カメラとの時間がどうだったか、、、、、は


馬車道のお喋りもそこそこに、街に出た時の恵子さんが

その表情で、カメラを構える全てで、教えてくれたように思います。

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横浜は、わたしにとっては車で通過する場所(高速で木更津から出かけるときに通るところ)で、みなとみらい以外の街を散策したり、歩くことって、実はあまりない街。

そんなことを言ったら、じゃぁ歩いてみようって、二人で歩きながら撮影したのですが、一瞬の表情を撮りたいわたしは、いつでも相手の表情ばかり見てしまう(なので、実は構図にまで意識が向かない)のに対し

恵子さんは、いつも被写体と構図を意識して見ている。

街を歩いているその時

「ここで撮ったら良さそう」

「ここにこんなふうに立つのもいいね、うん、立ってみて♪」

「ここはどう??お店の人に言われちゃうかしら。笑」

「ゆかちゃん、今度こっち。」

「あ、ここもいいよね〜」

撮りながら、歩きながら、そうして

わたしをみながら、いつも「もっといいところあるかな」って

くるくる視線をめぐらせて、探しているんですよね。


なんとも楽しそうに、そして、真剣に。


一 途


そんな言葉が、ぴったりだったかもしれない。


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恵子さんはきっと今、写真に、一途、なのかもしれないなぁ。

一心不乱、とも違う

夢中、でもあるかもしれないけれど、

一途の方が私はしっくりくる気がする。


ふと気になり、手元にある辞書を開いて、調べてみる。


【一心不乱 いっしんふらん】一つのことに集中して、雑念が起こらないこと。

ふむふむ。雑念がないわけではないと思う・・・・ 雑念と本念の区別がなさそう ←

【夢中 むちゅう】夢の中。何かにひどく興奮したりして。普通ではできない思い切ったことをする様子。何か一つのことに心を奪われて、それ以外のことには全く関心を示さない様子。

普通ではない思い切ったこと、、、型破りなことをしているわけではない、し、それ以外のことには全く関心を示してなかったら、あのおしゃべりはできないはず。

【一途 いちず】純真でただ一つのことを追求し、それ以外のことを考えない様子。

(三省堂国語辞典より)


そうそう・・・恵子さんから感じるのは、純真さ。裏表ない感じ。悪意なくて無邪気で、さっぱりとしていて、

だから、すっごくたくさんお喋りするんだけど(何度も言って、しつこい)背脂ちゃっちゃ系をたらふく食べて胃もたれ翌日に持ち越す、ではなくて、京都のおばんざいついあれこれ食べ過ぎちゃったけど、一晩経てば案外消化して、「昨日のおばんざい、いいおだしだったな。」みたいな感じ。

嫌味たらしいものとか、そう言うものが全く、ない。

自分に対しても、他者に対しても。

恵子さんって、こどもみたいに純真だなと、思う。

写真を撮っているときの恵子さんは、まさに、純真さとともに、今目の前の撮影、「撮ること」を楽しみながら、写真の道を追求しているかのよう。


うん。やっぱり、一途、だな。


純真な一途さとともに、撮る時間を思い切り楽しんでいる。

だから、撮られる私も、楽しくなってしまう。

結果。

いい笑顔にならないわけがない。(それも、あの恵子トークとともになのだから!)


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あの日恵子さんが撮ってくれた私の姿。どれも満面の笑みがすぎる。笑 でも、それだけ楽しかった、ってこと。

何を話してたかは、覚えてないけれど(やっぱり失礼)でも、楽しかったことは覚えてる。めっちゃ満腹で、しばらくおかわりはいいやと思うけど、その後味はとってもからりとしている。

あー、また次会ったら、いっぱい滝行受けてびしょ濡れだなこりゃ、とか思いながら、ちょっと、口元がゆるむ私がいる。


束の間の撮影時間の後、私は次の対談予定があったのだけれど、お昼はどうするの、と気にしてくれた彼女と一緒に、ランチを。

パッと見て頼んだ麻婆パスタを注文したら(辛すぎた)、恵子さんはグラスビールも注文。コクコクと軽々飲み干して、もう一杯。笑 


そんな時間の中で話をした時のこと。


結婚して子どもも授かって、子育てもして。親のことも面倒みたり、同居したりして。もう、十分やったと思うから。


うんうん、女性はどうしても、家事や子育てに割く時間もエネルギーも多いもんね、と私が返すと


でもさ、それはそれでよかったと思うのよ。役割っていうかさ、自分のやるべきこと、一生懸命やってさ、十分やって、そうやって、生きてきて、私は、それがよかったと思うんだよね。私たちの年代ってさ、その役割がやっと終わって、時間も、お金も、エネルギーも、やっと自分のことに心置きなく使える時間になったじゃない?だからこれから、そんな自分を楽しみたいし、私と同じように、子育ての時間を終えてゆとりが出てきた人たちに、もっと楽しもうよ!って伝えたいんだよね



あぁ、この言葉の意味はとても深くて、そして好きだなぁと、思った。

そして、恵子さんの一途さ、そして真面目さのような言葉たちだとも。


やっぱり彼女は

いろんなことに気を配って、

そして

目の前の誰かや何かに、きっと、

一途に一生懸命になって来たひと、なんだろうなと

思わせるに十分な、言葉の温度。



役割にはまらない私で生きよう

私らしく好きに生きよう


そんな言葉とともに自由奔放に生きている女性はどんどん増えてるし

それはとっても喜ばしいことだし

私もそうなりたいって思うし、

ダメだとは言わない、いいこと


ただ


役割は役割として、やっぱりあるもの、で

母も、妻も

好きに生きたとしても

その役割はあって

その役割を果たすことの喜びや幸せも、

そこにどっぷり浸からないとと体験できない

滋味やギフトだってものすごくたくさんあって。


要は、

ただの私、と、役割の中の私

0−100、白黒、有無の話ではなくて

そのバランスが一人一人にとって心地よいもの

心から自分が望むものであればいい

ということなのだろうけれど


私自身二人娘を子育てしてきて思う。

専業主婦を10年して、子育てに本当に一途だった時間を

もう一度やりたいかと言われたら、即答で「はい」とは言えない私がいるけれど苦笑

でも、もう、十分関わってきた、そう自信を持って言える時間を重ねたからこそ、心起きなく、今この「子どもたちの手が離れてきた時間」を謳歌できる私がいるのだろうな、と。

縁あって結婚して一緒に暮らす羽目になった誰かとの日々も、子育ての日々も、色々、ある。障壁のように感じることだって、決して少なくない。

一番身近で身内である家族だからといって、簡単に分かり合えるはずもなく、一番身近だからこそ分かり合えないこともあって、だからこそ、分かり合えない時の、感じる距離の遠さだって、ある。

でも、それから目を逸らし、逃げ出して、「自分の好き」をもしあの日々の中で選択して今を迎えていたとしたら、どうなんだろう。時々そんなことを考えてみる。やっぱり、それは、好きを選ぶというよりも、「逃避からの自分勝手」になりかねないし、それを選んだ先には「後悔」があったんじゃないか、そんな気持ちになる。

他の誰かから見たらそれは時に犠牲的で、不器用なものだったとしても、「あの時の私」はそうすることしか知らなかったし、そしてまた、そうしたかった。

一生懸命頑張りながら、お母さんと妻、そして、娘としての役割を、不器用でも努めてきた自分を、その過去を、私は否定したくないし、よくやったねとねぎらいたい。丸ごと、それが私なんだって、思いたいし、思ってる。

それは恵子さんもきっと同じなんじゃないかな。

過日SNSで彼女は少しだけ、、、お子さんの不登校や、それからの日々のことを綴られていて、その言葉からは、たくさんの紆余曲折があったことが、想像できて。

いろんなことがあった中、娘、母、妻の時間を、一生懸命、頑張ってきた。

時代の流れの中で、生き方の流行りのようなものもやっぱりあるし、その中で社会へ上がる声や持て囃される言葉も、さまざまに変容する。

アラフィフ世代の子育て時間は、まだまだ「母として妻として」に重きがあって、そんな中を、私たちは、一生懸命、生きてきたんだ。

それは、今のアラサー世代、もっと若い世代からすると、犠牲や我慢に見えたり、もっと自由でいいと言いたくなる、選択し難いものであったとしても


私たちは、その時代、その時間の中で、自分なりに生きてきたんだよね。

そう、一途に、一生懸命。


だからこそ。


生きてきた時間を、否定しない


その時間を生きてきた自分がどうだったかより

その時間を超えてきた自分を丸ごとよしとして

今、そしてこれからをどう生きるかが、きっと大事。


そう、私たちに与えられている希望という名の余白は

過去にあるのではなく、今と未来にしかない


ならば、その未来という希望の余白をどう楽しく、より私らしく埋めるかを

これからは一途に考えたらいい


これまでを、一途に生きたように。

これまでを、丸ごと、受け入れながら。


そしてそれは


過去からの延長線上の選択でなくて、いい、きっと。

今だからこそ描ける未来を

やりたいことを、存分に描いて、手を伸ばしてみたらいい。


結婚して妻となり、出産して母となり、子を育て、

子育ての手が離れ、そして今、もう一度、「私」の時間が始まる、50代。


役割とともに生き、

誰かや何かのために一途だった時を超えて

これからは


「私が私に一途になっていい」


今与えられている

時間や、エネルギーや、お金、さまざまなゆとりは、そのためのもの。


恵子さんは今まさにそこにいて、

ご自身の今この時を楽しむことにまっしぐら、

まさに、一途そのもののようであるし


そんなふうに生きていこうよ、という思いをこめて

これから、たくさんの写真を撮っていかれるのではないかと、思います。


役割の中で頑張ってこられたからこそ、

これから、私時間を楽しみたい人


自分に与えられたゆとりや余白の中で、

自分に一途に楽しんで生きていきたい人の、輝くような表情を。

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自分に、一途。

50代、女の時間は、まさに、これからよ。


そんな声が聞こえてくるようだった、そんな半日、でした。


恵子さん、どうもありがとうございました。

本当に楽しいひとときでした。^^

またぜひ、滝行を・・・冗談です。笑

一緒に、撮りっこしましょう。


恵子さんへの撮影の依頼はこちらからどうぞ。


恵子さんのフォトな日々、ピンポイント撮影のご案内やメニューご紹介はこちらのブログからも。


恵子さんのインスタグラム

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