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普通


組織でいるえのきより、単独でいるしいたけ

というのは、集団ではなく1人で居たい、というキノコを使った比喩表現だ。とあるラッパーのリリックの一部である。

いつしか僕たちは「普通」でなければならないと教育では押し付けられてきた。

それも無意識のうちに。
しかし誰も悪くない。

幼少期から思春期を経て大人になるにつれて、その「普通」がますますエスカレートしていく。

普通は、目が見えて、耳が聞こえて。
普通は、足があって手があって。
普通は、肌が黄色くて、日本語を喋る。
普通は、普通は、、、

だから、小学校の時は、
「普通じゃない人」をジロジロ見てた。
だって他と違うから、普通じゃないから。怖く思うこともあった。
最低だ、と言うあなたも少なからずそうだったはずだ。

今はもう分類せずに、「個人」として人を見られる。

無意識かつ洗脳チックに、
「僕らはこうでなければならない!」と、
教わってきたから、
「これは普通」「これは普通じゃない」
という、
物事を捉える境界線ができてしまった。

「普通」とは一体何なのか。
ということを考えるようになってからは、
みんなが「それは普通じゃない」と言う事をするようにし始めた。

みんなが焼き肉を食べに行きたいと言っている時でも寿司が食べたいと言った。まぁ多数決で焼肉に行ったけどそこは別に問題ない。

雨の日に傘をささない時期もあった。笑

普通は、周りに合わせたほうがいい時があったとしても、

これが飲みたい。
これが食べたい。
これがしたい。

という、「自分の声」には逆らわずに生きてきた。周りのノイズに押し潰されないように。

でも、あまりにもノイズが多いからこの世界を生き抜くのが辛い人が出てきたりするんやろうなぁ。

世の中、「男」-「女」とか、
「日本人」-「アメリカ人」とか、
「健常者」-「障害者」とか、
区別するから、ダメなんや。

「中島秀斗」
っていう個人として捉えればええのに。

男、女、国籍、関係ない。

あいつはあいつ、俺は俺、っていう捉え方。

受け入れてもらう必要も、
受け入れる必要もない。

最近見たnoteで印象的だったのが、
サッカー選手の下山田志帆選手にまつわる記事で、彼女は同性愛者で女性のパートナーがいるんですが、
彼女がドイツでプレーしていたときにドイツ人のチームメイトに、
「しもは男性と女性どっちが好きなの?」
と質問されたそう。

「普通」は男性は女性が好きで、女性は男性が好きだから、
「ちょ、やめてや〜!ゲイじゃあるまいし、女の子が好きに決まっとるやん〜😚」って俺なら言うと思う。前までは。

ダイバーシティとか、
グローバル化とか、
多様性とか、

形だけやな。

だからやっぱり海外に行きたい。
自分の目で、体で、経験したい。

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普通なんて概念なくなればいい。

そんな思いでチャリに乗ってたら100%二度見されていた大学1年生の中島でした。

#普通







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