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『男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎』(シリーズ第32作)

わたしにとって寅さんシリーズは、(仕事上の)気持ちに余裕があるかないかのバロメーターとなっているのだが、今年はほとんど観る機会がなかった。年末になって、ようやく新しい企画のことなどを考える余裕が出てきたようで、久しぶりに寅さん観賞を復活させた。

数年かけてシリーズを頭から観てきたが、ここにきてそれが停滞していたのは、上記のようなわたしの状況もあるが、それだけではない。(公開が)1980年代に入り完全に量産体制円熟期に入ると、やはり観るほうもマンネリズムが気になり出してしまう。寅さんシリーズでマンネリどうこうをいったって、まったくナンセンスであることは重々承知しているが、それでもやはりハッとするようなシーンやセリフが減っていくのを観るのはさびしいもなのだと身に染みた。

というわけで27作目くらいからは、あまり期待せずに観続けていたが、ここにきてこんな傑作に接するとは思いもしなかった。

70年代のシリーズは、自分や寅さんたちや(おおげさに言えば)日本の、来し方行く末を噛み締めながら観ていたわけだが、物心ついたのが1980年代のわたしにとっては、どうしても世相や風景やマドンナの顔立ちや芝居の古さを感じてしまう。それが悪いわけではなく、わたしにとって「これは古い映画だ」とまず受け止めてから観るしかない。

しかし、1983年(わたしは小学四年生)公開の本作で描かれる風景や世の中や大人や子どもは、わたしにとってどうやら古くはないらしい。つまり作りものの懐かしさではなく、リアルに懐かしい。そのうえ、本作のマドンナである「3択の女王」竹下景子は、クイズダービーのおかげで当時のわたしもさすがに知っていたはずで、二重に懐かしい。説明が難しいが、クイズダービーを観ていた自分も懐かしく振り返ることができ、映画の背景を観て感じる懐かしさの奥に、わたし個人の記憶も焼き付けられている、という意味で二重なのだ。

もともとは「おいちゃん」だった俳優が、寅さんが旅先で出会う坊主として再登場し、寅さんと変わらず息の合った芝居をするのを観るのも楽しい。そしていかにも80年代風の、(70年代を駆け抜けた)リリーのように強気でも跳ねっ返りでもないけれど自分の意思はしっかりあり、またそれをかなり明確に、とはいえ昭和らしい奥ゆかしさで表現することのできるマドンナ像というのも、昭和生まれのわたしには理解しやすい。

マドンナ・竹下景子が、最終盤に「駅まで送ってくれ」と言ったり、最後の最後には寅さんのスソを引っ張ってまでして告白をしているのに、寅さんはそれを冗談と受け流す。いつものパターンではあるのだが、同時に、シリーズでここまでリアルな結婚話が出ることはなかったと思う。それ以前のシリーズの、リリーとの結婚話のくだりは、私にはどこまでいってもファンタジーだった。つまり70年代をかけて、寅さんとリリーは「ごっこ遊び」を続けていたように感じる。それは時代背景もあるし、なによりリリーの個性がそう思わせるのだろう。そして寅さんも若かった。本作でのマドンナとの結婚話は、それとはかなり違う。竹下景子は本気で結婚したがっている、そして寅さんが逃げなければ、お坊さんになる資格や修行の有無など関係なく、いっしょになれたはずだ。

でも、寅さんはやはり逃げ続ける。さくらはそれを見守り続ける。これもおなじみの光景ではあるが、最後の最後も、やはりこれまでとちょっと違う。竹下景子をソデにしたあと、寅さんは「へへへ、というお粗末さ……。さて、商売の旅に出るか」とさくらに告げるのだ。それまでの寅さんなら、そんなことは言わずに無言で柴又を出たはずだ。しかし本作では、自分を俯瞰で見て自嘲し、そこまでを含めて喜劇にしようとしている。たぶん、ロマンスの主役から寅さんは(演出上)すでに降りている。それは、若い2人(竹下景子の弟である中井貴一と杉田かおる)の恋愛との対比でもあるし、初老に差しかかった寅さんが、今後も逃げ続け、後悔こそすれ反省はしないだろうことを予感させるセリフではないだろうか。

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