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[ロマンポルノ無能助監督日記・第39回]  話がズレて『メイン・テーマ』不真面目助監督日記になりつつあるんですけど・・・ 

「由加の家」からクランクイン

『メイン・テーマ』は、84年2月24日にクランクインした。

ダイアリーには日活撮影所で「由加の家」Setって書いてあるけど・・・あれ?

千葉から大阪に転勤して、更に神戸の須磨に引っ越したらしい御前崎渡(財津和夫)を恋する小笠原しぶき(薬師丸ひろ子)が追いかけて来るので、ここは「渡の家」なんじゃ・・由加(渡辺真知子)は奥さんだから、何故、「渡の家」になっていないのか、と今にして疑問。

翌25日は鎌倉ロケの披露山公園住宅で、「由加の家」の庭。

26日は、またSetに戻って「由加の家」の中。

“須磨の設定を、鎌倉で撮った”というのは良く覚えているんだが・・・

ロープウェイに乗って須磨の山の上まで来たしぶきは、その晩、深夜のドライブデートで渡に連れ出され、妻の由加は不快に思うことになる。

初日のSet撮影は9時開始で、車で夜遅く疲れて帰って来た御前崎渡を迎えるしぶき(由加は寝ている)の、玄関先での、殆どシルエットのように暗い照明の移動ワンカットを撮った後、昼飯前にキッチンに移り、コーヒーを淹れてしぶきに出す御前崎が「これ飲んだら外に出ようか」と言うと、しぶき「えー、いいんですか?」御前崎「お客さまのためなら、夜はいくらでも長くなります」なんてロマンチックな事を言うマデを、クレーンショットの長回しでひろ子ちゃんにクローズアップしてゆくから、財津さんは途中から裏になって表情は分からなくなる。財津さん向けの押さえショットは無い。

その2カットで定時(5時)までかかったと思う。7,8テイクしたが、残業にはならなかったのではないか。

もしかしたら自分がやるかも知れないと思って、ちょっと練習してみたな、このセリフ・・・

ひろ子ちゃんの「えー、いいんですかぁ?」は絶妙に可愛い。

財津さんのセリフ回しも、素人っぽいけれど誠実な味がある。

だが、ポートピアホテルまで来たら、しぶきは助手席で寝てしまっていて、御前崎は微笑んで車を発進させる・・・どうするつもりだったんだろう、この人?

それにしても森田さん、撮影、時間かけるな。

『家族ゲーム』はこんなペースだったら4分の1しか撮れなかったろう、と思った初日。

不倫なのか

しぶきは幼稚園児だった御前崎の息子のカカルに会いに来たという建前だとしても、19歳の女の子を深夜、旦那が車で家から連れ出したら奥さんは当然穏やかじゃ無いはずだ。

翌日のロケでは、しぶきが、泊めてもらったお礼ということで、たまっていた洗濯物を洗ってシーツやタオルを庭先に干すのだが、それを見た買い物帰りの由加は「ここは高級住宅地なのよ、下品でしょ」と、慌てて取り込み、「出てってもらえないかしら、私の家のペースが乱れてしまうから」とイラつきを隠さない。「夜中のドライブ、渡さんと行ったでしょ。私が寝たふりしてたら」
「眠くて良く覚えてません」とおかしな言い訳するしぶき。

しかし、後々、しぶきがいなくなった後のシーンでは由加は自分でもシーツを干し、それを父親の細川隆一郎(保守政治評論家)(細川隆元の甥)(今の人は分からないだろうな「時事放談」なんて)(熊本・細川家の血筋)から「由加ぁ、見苦しいぞ!」と、大ロングから叱責される。(殆ど細川隆一郎だと分からない)

細川隆一郎

・・・そうか、奥さんの実家だったから「由加の家」か。「妻の家なんです」と御前崎も言っているではないか。38年経って理解した(笑)、やはり不真面目な助監督。

両方のシーンを1日で撮らせているのは、当然のスケジュールとして出している助監督。

渡辺真知子さんは、「迷い道」や「カモメが飛んだ日」がカラオケでの愛唱歌で、ちょっとファンだったし、セレブの雰囲気を面白く出すよなと思い、この13年後『学校の怪談3』に、ママ役でワンシーン出演してもらった。

渡辺真知子

大阪の何のシーンを編集で切ったか忘れたが、今残っているのは、大阪大丸駐車場で、大東島健(野村宏伸)に送ってもらった車から降りるしぶきに声を重ねて、健が出身地の沖縄に帰ること、もしかしたら夏にでも沖縄に来たら会えるかも知れないと匂わせ、ミニトラック荷台のびっくり箱から大きな手がビヨ〜ンと飛び出し“バイバイ”と振って、去ってゆく可愛いらしい後退移動のワンカットだけで、何故、大阪から神戸に行くことになるのか、説明は全く無い。

大阪でサヨナラ

大阪の御前崎の会社に行っても会えず、須磨の住所を教えて貰った、っていうことだろうか。そんな、電話をしているシーンがあったような気もするが・・・

今残っている紹介やレビューを読み、映画を見直すと、特に神戸・須磨という説明が無くなっており、誰も「すま」と発音しないから、御前崎の家も大阪近辺だろうと思って見るので気にならないかも知れないが、撮っている監督は、大阪と須磨を車で毎日片道1時間半かけて通勤しているという設定?・・・いや、大阪でホテル暮らしをしていた御前崎が須磨に帰る時もある、という設定で撮っていたのか?

それだと、帰って来たらしぶきが迎えるのが、偶然過ぎるのでおかしい。

2日目の鎌倉ロケでは、ひろ子ちゃんのマネージャー木村典代さん(後にサンダンスパニー・プロデューサー)にイキナリ出てもらい、ひろ子ちゃんが「カカルちゃんの家はあそこですか?」と聞くシーンを撮っている。

これなどは、『家族ゲーム』で、松田優作が公団アパートを指して、出勤してゆくおミズの女性に「沼田くんちはアレですか?」と聞く自己オマージュであろう。

映画のメインタイトル前は、御前崎とカカル、しぶきの3人での高級レストランで食事するシーンで3月3日に撮っているが、御前崎から「カカルが、あなたの事を大好きだっていつも言ってるんです」と言われてドキドキしているひろ子ちゃんのアップにタイトルが出る。「カカルのお母さんになってくれませんか」とでも言われそうな雰囲気で・・・
だが、この父子が幼稚園を去って行った次のシーンでは、御前崎は伊勢雅世子(かよこ)(桃井かおり)と海辺のバーで飲んでいて、苦しい不倫関係を続けているので、妻とは破綻していて、大阪への転勤は雅世子からすると「奥さんの近くに行くのね」と受け取るが、「そういうわけじゃない。子供を預けるつもりなんだ」と御前崎は言う。

つまり、由加は、かなり以前にカカルを残して家を出て、須磨の実家に戻っており、たまたま御前崎は大阪に転勤になったら、カカルを須磨に預けて、自分は大阪で一人暮らしになれるから、雅世子に大阪で歌の仕事をすれば、週に一度は会えると持ちかける。一方で、しぶきとレストランにカカルを連れて行ったりして「子供はあなたが好き」と言い、しぶきは、毎日カカルを迎えに来ていたのに大阪に去った御前崎には「奥さんいらっしゃらないのかな」と想像していた、と夜のキッチンのシーンで語っている。

御前崎は、雅世子に会うにためは子供が邪魔で、しぶきと結婚したら雅世子とも続けられる、とでも思っていた?・・・まさか・・・でも、今の編集の流れでは、そうなってしまうのでは・・・

御前崎は既婚者だということが、須磨の家に来た時にか、その前くらいにしぶきには分かった、というところが省かれているから、それをしぶきが知ってショックを受けるとか、どう思ったのかという場面は無く、不真面目助監督も忘れており、それでも恋心は続いているので、妻帯者であっても関係なく真っ直ぐ好きだが、妻・由加に嫌味を言われたら傷つき、御前崎の前から姿を消し、沖縄に向かって健と偶然に再会するというのが、その後の流れである。

御前崎は、妻からは気持ちが離れ、ドロドロの雅世子との関係にも疲れ、カカルとしぶきを見ていると清涼感を感じて「この家族だったらいいな」と空想して、しぶきの前では結婚を隠して、雅世子ともダメになったら若いのを抑えておこうとしていた、という解釈していいのか?メインタイトルのシーンて・・・う〜ん・・・

だとすると、年齢と見た目の割にはワルで幼稚で、ひろ子ちゃんにとっては危険な財津さん。桃井さんも猛毒を秘めている、という序盤の紹介部分であるが、そこは隠され、透明な映像で語っているから、不真面目な28の助監督は67になるまで意味が分からなかった、のか・・・或いは、監督自身が、そこまで考えてはいなかった・・のか。

時代がちがう

若い女性の不倫恋愛に、今ほど罪悪感が無かった時代ということも言えるか・・19歳のトップアイドル薬師丸ひろ子が、ナイスミドル財津さんに憧れて、唇キスを期待して目を瞑ったらおデコにキスで帰られ、「ああ、思い通りにならない今日この頃」とベッドに横たわる沖縄でのシーンが後にあるが、今なら批判(男の妄想だ!)がおこるかも・・と、書いて26の娘と29の息子に「ナイスミドル」の意味分かる?と聞いたら、二人ともポカン。初めて聞いた言葉だと。

かつては、若い女性が中年の家庭ある男性(ナイスミドル)に惹かれてセックス関係になる映画が多かった。ロマンポルノにも。ロマンポルノは、若い女と年上の男の関係が主流だった。セックス抜きのアイドル映画の主人公でも、「大人の恋に憧れている」という設定にしておくのが「若い女性のリアル」を感じさせると思われていて、余り細かく追求しないで曖昧にしておいて、そこに同年代で経験不足だが純粋な相手役が現れる、という構造の物語が多かった。

この映画、全体的に、そうした大人との恋よりも、爽やかに「ホテル行こうよ」と言っちゃうような野村くんに純愛があり、そっちとセックス初体験しちゃった方がハッピーという、バブル直前の空気感がある。

ひろ子ちゃんは絶対的に処女であり、この映画で20歳になり、大人になる。
そのイメージを伝えるのが、『メイン・テーマ』の役割。
次の『Wの悲劇』は処女喪失の翌朝から始まり、公園で小鳥に「ねえねえ、私変わった?」と聞くひろ子ちゃん・・・という社会的役割が課せられていた。

原作・片岡義男の世界

セックスに至る前のドロドロの部分はあったとしても、見せないように綺麗に軽やかに・・・それが原作・片岡義男の世界に通じてくる。

片岡義男は、森田さんが無名時代、8ミリ映画『ライブイン茅ヶ崎』に感動して、角川春樹社長に紹介した人でもある。

遅まきながら、当時は手にも取ろうとしなかった原作本「メイン・テーマ1」を、Kindleで読んでみた。

映画と共通する登場人物名は無い(映画は、皆、土地や島を人物の姓にしている)。主人公の東北大学二年生・平野健二が休学して、ピックアップトラックで全国を2年で旅する物語であった。沖縄に親戚がいるという設定だ。

付き合ってるか付き合ってないか分からない年上の彼女・三枝恵美子のもとへは2年間帰らないつもりで、一晩ベッドを共にして、北緯38度15分の町から旅立つ。仙台だろう。

旅先でいろいろな人と出会い、その人の人生がフラッシュバックして、出会う前の何年かも描写されるから、短編が幾つも重なっているような重層的な面白い構成で、感情的なセリフは極く少ないかわりに、場面内の位置関係や、日時、道路の名前、天候などは丁寧に「記録」しているように描写される。天候は、天気図のように細かく。

中盤、太平洋側の国道を南下して2人の男子サーファーをトラックに乗せ(この2人にも村上春樹ふうの三角関係の物語がある)、降ろした後、園児三人を引っぱたいて父母の間で問題となり幼稚園を1週間でクビにされた新人保母の高橋圭子・20歳と砂浜で知り合い、トラックの荷台に乗せて風を感じさせたりして、銚子まで送る。

圭子は四国の幼稚園(圭子を理解してくれる園長がいて)に就職が決まっており、健二は2日後に世田谷で、引っ越しの準備が完了した圭子と待ち合わせ、高知まで送る。恋には発展しない。

圭子がしぶき、健二が健の原型であろう。

「仕事をはじめた初日に子供を叩いたの、平手打ちでパッシーンと。2日目にも。3人とも、叩いてしかるべき子供だったから、遠慮なく叩いたの」と言っている。時代ですな〜。

映画では、はずみで偶然、叩いたことになってしまったように描いているが、今見ると“無理筋”だなぁ、あれは。

雅世子の原型は、演歌が得意なクラブ歌手・宮川恵子で、彼女のステージに通うかつての恋人で今は妻帯者の売れっ子作詞家・根本正彦が御前崎の原型。

この恵子がフェリー乗り場で根本と別れた後、四国に渡り、高松のホテルで、高知の幼稚園近くで圭子を落とした健二と出会う、というところで2に続く構成。

こうした出会いの場面をヒントに、森田さんの創作で、旅先で出会いながら四角関係になってゆくロードムービー的映画の話を作ったのであろう。

恵子が最後に歌うのが「港町ブルース」なんで、この歌の「♪おーまえ〜ざきー」から御前崎を取ったのかな・・・

恵子は健二に御前崎のことを話そうか、と長い回想が入るが、結局話さないで別れ、健二は高知の幼稚園へ行って、圭子と再会、また一年後に会おうと言って、旅に出る。健二の最初の彼女・恵美子への手紙で1は終わる。

全12巻の予定が3までしか無く、4以降は見つからない。多分、書かれていない。(2005年に「4を早く出してくれ」という書き込みを見つけた)

時代が本格バブルになって、このコンセプト(日本全国を貧乏旅行で一人旅するような)の需要が無くなってしまったのではないだろうか。

だが、片岡義男には、健二の旅の2年間のあいだに、恵子との再再会もある大河ドラマのような構想があったのだろうと思われる。

角川映画として

「あとがき」によると、83年の夏の終わりに軽井沢で角川春樹社長から「来年の夏、森田芳光監督、薬師丸ひろ子主演の映画を作りたいから原作を書いてくれ」と言われ、その日の夕方、新幹線で、「ひろ子ちゃんには女子短大を出て幼稚園に就職したばかりの20歳の保母さんがぴったり、でも、動きが少なくならないように、1週間でクビになって、遠く離れた次の就職先へ面接を受けに行く、という設定を考えた」とある。

森田さんなら脚本も書くだろうし、原作をなぞることはないから、なぞりたくてもなぞれないような構成を考え、20歳の青年が全国を旅して様々な人と出会い、フラッシュバックする構成となった、ということだ。

12 のラストシーンは出来上がっていて、それを書くのが楽しみだ、と『メイン・テーマ』のレーザーディスクのライナーにも書いた全文を引用したい、と85年12月に結んでいる。

妻子ある中年男性とひろ子ちゃんを絡ませる、というのは、やはり映画側の発想のようですね。

さて、若い健二と圭子の出会いであるが・・

じぶきと健の出会い

海を見ている傷心の圭子、そこへ、ピックアップトラックの健二がやって来て声をかける・・・

原作ではトラックを降りて近づいて笑いかけると、圭子も微笑むから、健二はしじみ貝の話をし始める。この小説では、ボーイミーツガールの基本は、微笑んで微笑み返され、会話が始まることになっている。

その後、「風に当たるのは気持ちいいんだよ」と彼女と彼女の荷物をトラックの荷台に乗せて、降ろしてからまた自動車修理道具の話をして、やっとお互いの名前を名乗るまで10ページ以上かかっている。

ここを、森田流では、海を見ている傷心のしぶき・・その背後にピックアップトラックが現れる・・までは同じだが、そのトラックは、いきなり砂浜を走って来てしぶきを驚かせ、慌てて逃げるしぶきをトラックは更に追いかけて転ばせ、「なにするの!?」と言われたら、健が降りて来て「こんなところで何してるの」と言う。しぶきは呆気にとらわれるしかない。

健は「車の免許持ってる?今度は僕が逃げてあげるよ、楽しいよ」と言って、しぶきと運転を代わり、走って逃げて自分で転ぶと、しぶきも面白がるが、トラック荷台からケムリが出ている、と警告、焦って降りて来たしぶきに「爆発する!」と覆いかぶさるが、「どうして煙が出て消えたの?」と聞かれると「マジックさ」と笑う・・・という展開にしている。
健は、全国を回っている見習いマジシャン、という設定だ。

撮影4日目からの2月28日、29日、3月1日は、2泊3日の千葉・房総ロケとなり、しぶきと、この大東島健との砂浜での出会いを撮るスケジュールを書いた。

野村宏伸くん、人生初演技の日である。

そこに不安はあるが、天気が良ければ、半日で撮れる分量と思った。

ところが、1日では撮れなかった。

まあ、上記のようなシナリオシーンを、半日で撮れるだろう、と思う助監督は困った奴(読みが甘くて)だと監督は普通思うが・・・車が砂浜を走って、カメラを車輪ナメのひろ子ちゃん、野村くんというような難易度の高い画があるだろう、と少しでも想定出来たら(普通、想定する)、砂浜での作業効率を考えて1日じゃ無理かも分からないから、もう1日とっておこうと、思うのが普通だが・・・

実際、僕が半日で書いても、プロデューサーの中川さんが修正して予備含めの2日にして、次のシーンの車の走りも1日取って2泊3日の宿泊ロケ日程組んでいて、宿泊ホテルが外部に漏れたら、ひろ子ファンが集まって大変だという事で、宿の出入りを裏からするような段取りを制作・藤田、宮内くんらと相談して気が張っていて、それでも現場が始まるまではワタシは「明日は休みになるだろうが、こんなところで休みになっても退屈だな」とかノホホンと思っているんですからねえ・・・

森田さんも芝居粘っていたし、二人の耳元で、囁くように演技指導しているから、何を粘っているのか分からなかったわけで・・・

野村くんのセリフは、ほぼ棒読みだが、不自然な緊張が感じられず、ふわふしていて状況を面白がっている感じもあり、ダメではない、合格かな。

ひろ子ちゃんとのコンビも、合っているように思える。

実際に撮りきれなかったのは、車関係ではなく、二人の芝居の部分であった。

何がNGなのか、こっちには分からない。

時間をかけて何度もテイクしてオッケーにならないうちに、曇ってしまって回復しなかったのであった。それまでは全カット、ピーカンで撮っているから、二人の芝居だけを粘っているうちに曇ってしまったので、遠巻きに見ながら、「早く撮ってくれよ〜」と思っていたのだが、遂に夕方になってしまい、光量的に続行は無理だということになり、本日撮影終了、残りは明日、となった。

今は「そんなこと無かったのだ」と分かるが、当時の僕は、「これは、森田さんは、わざと時間かけてるんじゃないか。『根岸が6月までで何で俺は春休みまでなんだよ』と言ってたからさ、こりゃあ、わざと春休み過ぎまでかけようとしているんじゃないの、だから必要以上に粘っているんじゃ・・・」と疑った。

ホテルの大広間での食事の後、森田さんの呼びかけで、演出部だけでなく、若手スタッフも集まって、明日の作戦会議をやろう、ということになり、撮り残した二人の芝居のカットをどう能率よく撮ろうか、他にも撮るものがあるし、という観点から皆が意見を出し合った。

これは、本来なら、チーフの僕が、セカンド以下の助監督と話して、方針を決めてから監督に振るのが正しいが、もう森田さんは「みんなで作戦会議やろうぜ」と言い出して、輪が出来たので、本来ならチーフが隣りに座るべきところを、僕は少し離れて座って、お客さんふうな位置に座った・・かも知れない。

かなり意見が出たが、明日の天候が、それほど良くなくて、ピーカンとなる時間が少ないのではないか、という話が出たところで僕は発言した。

「2テイク目だったと思いますがー、芝居は全部やっていて、途中曇ったのが二人がそれぞれ喋っている部分だったのでー、明日、二人のヨリを2カメで狙っておいて、晴れた時にイッキに撮ればいいんじゃないですかねえ」

そうすると、言い出した時は身を乗り出して聞こうとしていた森田さんの周りの空気が、言い終わるとイッキに冷めるのが分かった。

「前田さんがNGにしたカットを、俺に使えって言うのかよ」

いや、NGなのは、曇ったからで、芝居はオッケーじゃないんすか・・・

それは、俺にコンテを変えろという意味かよ・・そういう意味じゃなくて、効率からの提案です・・嫌ならいいんです、別にその通りにしなくても、単なる一つの提案ですから・・という言い合いになったかどうかは記憶の彼方だが、その後、強く言われた言葉だけ覚えている。

「俺は金子を可愛がってやってんじゃないかよ」

これは、それなのに、お前の態度は不真面目だ、ということだったのか・・・不真面目でしたが・・・

自分の言ったのも良く覚えている。

「助監督なんて所詮、プロデューサーの番頭ですから」

これが後々まで語られ、バラエティー誌にも載った「番頭事件」の金子側からの証言である・・・

こんなに長編になると思わなかったな・・続けるのか、これ・・・

・・・to be continued?











この千葉ロケで「番頭事件」が勃発したのである。




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