ロマンポルノ無能助監督日記・第37回[『濡れて打つ』監督日記で完結出来るか? ]

金子修介28歳の映画監督デビュー作『宇能鴻一郎の濡れて打つ』の演出部は、チーフは一期下の池田賢一(27歳)、セカンドは三期下の明石知幸(25歳)、サードのカチンコには新人の川越修(多分25歳)という布陣になった。
山本奈津子は撮影時18歳。

池田とは、小原組でのチーフとセカンドの関係で、良くファンキーさん(小原宏裕監督)に調布のカラオケ店に連れて行かれ、一緒に歌ったりしていたから気心が知れている。
明治大学出身で、百恵ちゃんファンで山口百恵の歌を良く歌っていたが、人の歌の「褒め上手」だったなぁ。体育会系ではないが、先輩を立てる奴。
入社した年の冬撮影だった藤田敏八監督『天使を誘惑』(79 )にカチンコで就いて、常に百恵さんの「セット履き」を胸の内に入れて温めていた、と本人から聞いた。冬のセットは冷える。

雨野夕紀主演『芦屋令嬢いけにえ』(86)で監督デビューし、手堅い感じで、その後何本か撮っているが、88年にロマンポルノが終わると、葬式や日活の集まりでも会えず、近年の消息は分からない。

セカンド明石は早稲田大学出身、『家族ゲーム』など森田組でのチーフとセカンドの関係で、森田さん主宰で監督昇進を祝ってくれた新宿三丁目でのミニパーティにも来てくれた。
彼の期以降は監督になる前にロマンポルノが終わったので撮れてはいないが、それでもしぶとく外部で長編のヒット作『免許が無い!』(94)の前に『バカヤロー!4YOUお前のことだよ』(91)のうちの1本で監督デビュー果たした時に、僕も赤坂プリンスのレストランでミニお祝いしてあげた。
赤プリとは我ながらバブルぽい。時代じゃのぉ。
その後、日活でなんと制作部長になり、SABU監督のデビュー『弾丸ランナー』(94)を手掛けてフリーとなり、最近では中田秀夫監督『終わった人』(18)のプロデューサーであり、『波乗りオフィスへようこそ』(19)の監督。

二人ともダンドリを理解する優秀助監督であった。
(僕は要するに、ダンドリってものが良く理解出来ない奴だったのだ)

しかし、サード川越は、仕事のプレッシャーで無断欠勤してしまう問題児で、『濡れて打つ』撮影中も「今日は川越が来てない」ということが二三回あった。
結構、早くに助監督をやめ、『ガメラ2』(96)ロケハンの時だったと思うが、札幌のバーでバーテンとして働いている彼と再会して思い出話が弾んだ。現場の時よりも生き生きして元気そうであった。

「監督日記」になると、途端に客観性が無くなり自画自賛になりそうだということが自分で分かるので、明石に山本奈津子の現場での様子はどうだったのか聞くと「なんで〜、なんで〜」と言いながらやっていたそうである。口調が思い出されるなぁ、奈津子の。
宇能鴻一郎の「無理矢理エッチ」の理屈が分からないのは、仕方無いことだったろう。

僕が強烈に覚えているのは、
「あんまり下からパンツばっかり撮ってると、なっちゃんだって分からないじゃない!」
という奈津子の言葉と顔・・・
その時、僕は彼女に画コンテを見せ、こうしてこうしてカットを繋げてゆくと、なっちゃんだって良くわかるだろう、と説明していくと、目を潤ませた彼女は、
「わたしは、この映画に賭けてるのよ!」
と拳を握って言った。
僕も、その時、
「僕も、この映画に賭けてるんだよ!」
と言って、お互いの気持ちが通じ合った気がした・・・

これは、まるで『濡れて打つ』の世界そのもの、のようでもある。

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