気持ちは「見えない」
ある日、母と食事に行ったとき。
本当に突然、渡した手紙の話になった。
泣かずに話す自信がなかったけれど、このチャンスを逃したら話せないかもな、と思いガヤガヤした飲食店で二人で話した。
「あれはこういう意味だった」
「こういう経緯があってその言葉を言ったの」
「そんなこと思ってるなんて知らなかった」
私が受け取った形とは全く違う、その時のその言葉を言った母の気持ちを知ることができた。
大人になって、思い図ることが出来ていた部分もあったけれど、自分では全く覚えていなかった経緯もあった。
優しさからうまれた言葉が、そうではない形で相手に伝わってしまうことがある。
親子でもそんなことが起こってしまう。いや、親子だから「分かってくれるだろう」と思ってしまうのかも知れない。私だって「どうして気付いてくれないんだろう」と何度思って泣いただろう。
「私は、こうしないとお母さんに認めてもらえないと思ってた」
「なんで、どうして、ってお母さんを責めたこともあった」
「でも大人になって考えると、そうじゃなかったんじゃないかって」
「受け取り方を間違っただけじゃないかって」
いろんな話をした。
母とあんなに正直に話し合ったのは初めてだった。
そう出来ていることが、本当に嬉しかった。
まだまだ伝えていないこともあるけれど、あえて伝える必要のないことだってあるし、もうそんなことを気にするよりも、自分に正直に、自分を大切にして生きていきたい。
母との向き合いが、これでやっと本当に終わった気がした。
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