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人生で初めて救急車を呼んだ話。


初めて救急車を呼んだ。
深夜だった。

寝ていたら、隣の隣の部屋で寝ている父から電話がかかってきた。
何事?と思って出たら、「とにかく来て」と。

急いで駆けつけると、唾が飲み込めず苦しい、体が痺れている、と。
それを伝えてくれている声も掠れていて苦しそう。
救急車を呼んでと言われ、パニック。


iPhoneのキーパッドで電話をかけたことがほとんどない。
キーパッドはどうやって出すんだっけ。
気が動転していて、119番するだけでかなり時間がかかってしまった。


まず消防か救急かを聞かれて、そのあとすぐ住所を聞かれたのに、父が話し出したからそのまま症状の話をしてしまって電話相手を困らせてしまったし、名前や年齢を聞かれたときも、わたしのことなのか父のことなのか咄嗟の判断ができず、何度も受け答えを間違えた。

父は平衡感覚が無く、でもトイレに行きたかったらしく、這って步いてきた。
介護で近所の祖父母宅に泊まっている母に急いで電話した。
その間にももう一度救急隊の方から電話がかかってきて、もうパニックの連続。

聞かれている情報を正しく伝えることがこんなに難しかったのは初めて。

それから10分経たないぐらいで救急車と母がほぼ同時に到着して、父は運ばれて行き、母が同乗した。

取り残されたわたしはとにかく呆然としていた。

一晩中寝られなかった。
ついて行った母がちょくちょく連絡をくれるので、それを待つだけの時間が流れていた。


父は脳梗塞だった。
手術はできないから、これからリハビリ生活が始まるんだと。

父は本当によく動く人だ。
人一倍仕事をして、休みの日も運動に庭仕事、いつ休むの?ってぐらい動き続けている人だ。

そんな父がこれから突然"動"から"静"の生活になるなんて。
日常に戻れるのは、一体いつになるんだろうか。


でも何より、父がわたしに電話してくれて本当によかった。
寝ていたけれど、起きて電話に出れてよかった。
スマホ充電しといてよかった。

実家暮らしでよかった、と心の底から思った瞬間だった。


こういうとき、すぐに連絡を取り合える家族でよかった。
すべてがうまく繋がって、父を最短ルートで救うことができた。


ほかの家族にも連絡を終えた後は、三連休最終日だったけど途方に暮れて何もできなかった。



少し落ち着いたので、彼に伝えようと思い、電話をかけたが、恐らく切られた。
外にいたのかな?


その後折り返しがなく、夜にもう一度かけてみたら、通話中。


一応LINEで伝えてみた。けど翌朝にも返事はなかった。


わたしは連絡がすぐ取り合える家族とずっと暮らしてきたから、どうしても恋人にもそれを求めてしまう。



忙しいって言うから連絡遠慮してたけど、5分も時間取れないもんかな。
もう一ヶ月近くまともに話してない。


その後、「連絡つかなくてごめん、電話で話そう」って返事はきたけど、それから今日に至るまで電話する時間を取ってくれていない。
もう10日ほど経ったのに。

しょっちゅう通話中だし、休日に電話の約束取り付けても「かなり遅くなる」って言っておそらく終電で帰ってそのまま寝て連絡をくれないとか。

どうしてこんなときに約束を破るの。


これがいいきっかけだと思う。
別に、父のことを彼になぐさめてほしいとか支えてほしいとか心配してほしいとか、そういうことじゃない。

電車で10分ぐらいの距離に住んでいるのに、こんなに連絡がつかないことの意味がわからなさすぎる。


日々のほんの数分もわたしに使えない人と、なんでがんばってやっていかないといけないんだろう。

LINEの返事が〜とかっていう次元の話じゃなくて、コミュニケーションが取れないのって致命的では。


入院中の、身体の感覚がまだ麻痺している父でさえ、返事いらないよーと言ってもがんばって反応してくれるのにな。


次上がる記事は、別れたご報告になると思う。
長い執着だったけど、目が覚めた。


これからは家族を第一に生きていこうと思う。
父のリハビリを応援しながら、祖父母にちょくちょく顔も見せ、妹とともに母を支えて生活する。


歳を重ねる前に色々区切りがついた。
もうすぐ誕生日。

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