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聖書との出会いを通して

noteの「開催中のコンテスト」の中に、「#ゆたかさって何だろう」というコンテストがあり、高校生の時に読んだ「豊かさとは何か」という本を思い出しました。

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なぜこの本を思い出したかというと、「豊かさとは何か」に対する答えを見つけるようになったのが私にとっては聖書でしたが、その「聖書との出会い」のきっかけの一つになったのがこの本でした。
「聖書との出会い」に至るまでを少し振り返ってみました。

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1:小学生
同じマンションに住む2歳ほど年下の友達がいたのですが、日曜日に遊ぼうと誘っても、用事があるからと言って、
よく聞いてみると教会に行っているとの事でした。
その時に、「どんなところ?行ってみたい」と言っていれば、もっと早くに教会に聖書に出会えていたのになぁ・・・と思いました。
その時のわたしは、友達に失礼な言葉を言った気がします。。。本当に申し訳なかったと思います<m(__)m>
小学生の時に、いくつか聖書に出会えるチャンスがあったのに、自分の考えにより、遠ざかってしまっていました

2:中学生
私の中学が、毎朝の朝礼で、お経を読む学校だったんです。
聖書とちょっと距離ができてしまっていたような気がします。
でも、今から思うと、神様は、ずっと私の心を見守って下さっていたように思います。
仏教というところから四大聖人について関心をもったり、
お経を読んでいる時は心を無にしなさいと、よく言われまして、自分の考えを一旦おいて
心から感じてくる考えを意識してみようと思ったりすることがありました。
(こういう考えが出てくるのが、なかなか自分でしようと思ってもできない事だなぁと思います)

3:高校生
「今を生きる」という映画を見たり、「豊かさとは何か」という本を読んだり、
何一つ不自由なく、高校生活を過ごしていましたが、心の豊かさについて考えるように
なっていました。

4:大学生
何か満たされない心、自分は何をするために生まれてきたんだろう・・・いろいろな疑問がありましたが、聖書を通して、解けるようになり、生きる喜びが溢れるようになりました。
神様は
「どのようにこの子を愛して、育ててあげようか、どのようにこの子を助けてあげようか。」とず~っとご覧になっていたんだなぁという事に気付き、その神様と目があったような感覚があり、感動しました。
聖書を通して、生きる喜び、豊かさを学ぶ事ができていますが、学んだ事の中で、大きな事の一つは感謝する心が溢れるようになったことですね。
そして、神様への感謝、自分を育ててくれた親への感謝ですね。
私を育ててくれた両親には、様々に苦労をかけてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいですが、それでもいつも助けてくれて支えてくれたおかげで、私がここまでこれるようになりました。本当に感謝しかありません。
親に一番感謝したい事は、神様の愛を受け入れる事ができるような心を育んでくれた事です。
親の愛を通して心が育まれ、神様の愛の本質を知る事で、本当の豊かさを得ることができるようになったと確信しています。

小学生の時の持っていた自分の聖書への"偏見"で、聖書との出会いを遠回りしてしまった、自分の偏見によって、一生の宝を得ることができなくなってしまうところだった…と思うとこわいですね。。。
その後も神様は諦めずに、私が聖書に出会えるようにして下さっていたんだなぁ~
偏見が無くなるまで、10年近くも待っていてくださっていたんだという事を感じ、感謝が溢れました。
心からの感謝をすることができるようになった時、人は本当の豊かさを見つけたと言えるかと思います。

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