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理想主義的な政治風刺ドラマ『国民の僕』

(この記事は11973文字あります。なお、冒頭に「情報の正確さ」に関する余計な警告が表示されていると思いますが、まともな人文系学位(博士号)を有する研究者である私が、不正確な情報で読者を惑わせることはあり得ません) 

 『国民の僕』(Слуга Народу, 2015~19)は、今や時の人となった感のあるヴォロディミル・ゼレンスキーが、2015年から19年にかけて自分の会社「クヴァルタル95」スタジオで制作・主演したテレビシリーズです。筆者は本稿でこのシリーズを『国民の僕』と訳していますが、「民衆の従僕」「人民の僕」などと訳することも可能です(原題の後半の単語は世界史でお馴染みの“ナロードニキ運動”の“ナロード”です)。
 クレジットによれば、本シリーズの原案はゼレンスキーを含む5名、脚本にはアンドレイ・ヤコブレフ(1971~)、舞台演出家・俳優・監督でもあるオレクシー・キリュシチェンコ(1964~)他、8~10名の名前が挙げられています(ヤコブレフとキリュシチェンコは原案にも名を連ねています)。
 3シーズン全51話から成るこのドラマで、ゼレンスキー演じる高校の歴史教師ワシーリー・ゴロボロチコフは、ひょんなことから国民の支持を得て大統領となり、様々な政治的問題を解決してゆきます。ゼレンスキーはこのシリーズにおける主役のイメージを通じて国民の支持を得、シリーズと同名の党を率いて2019年の大統領選挙に勝利しました。その意味では映画の発明以降、動く映像による政治キャンペーンとしては異例の成功を収めたと言えます。
 しかし本稿で紹介するのは「政治家」ゼレンスキーのメディア戦略でも、政治におけるフィクション映像作品の役割でもありません。筆者に興味があるのは、あくまでもウェルメイドで美学的にユニークな政治風刺ドラマとしての『国民の僕』です。そして、本作はおそらくそのような性格をもつ映像作品として制作されたのです。

 『国民の僕』は全体としてエンターテイメント性が強く、国内外のポピュラーな映像コンテンツ(SWからGOTに至るまで)への言及とそのパロディを含み、それでいて同時代の政治的問題を過不足なく仄めかしており、国際的に高く評価されています(IMDbのユーザーによるレーティングは現在10点中7.4)。全3シーズンから成るシリーズは、第1シーズンの放映直後から国際的注目を浴びました。旧ソ連圏ではエストニア、カザフ、モルドバ等で放映され、2017年11月には韓国でも有料チャンネルで放映されています。アメリカのFOXスタジオはリメイク権を獲得し、Netflixも配信の権利を獲得しました(注1)。その後、ドイツとフランスで2021年11月に配信されています。本稿執筆時点ではイギリスを含む欧米の多くの国で放映予定であり、Netflixではいくつかの国で配信されています。政治風刺ドラマとしては異例の成功を収めてきたと言えるでしょう。

 以下では、ジャンル的に見てヒットが難しいと思われるこのシリーズが制作国だけでなく海外でも高評価されている理由とその限界を、テーマと構成、主人公のキャラクターの分析を通じて考察します。なお、現時点で本作は日本で放映予定がありませんが、筆者は全シリーズをYoutubeの無料公開版で鑑賞しています(シリーズをまとめて観るにはこのチャンネルが便利です。第1シーズンのみ英語字幕も選択可能)。

テーマ1:政治腐敗と偏見との闘い

 2015年放映の第1シーズン(各話24分強で24話)の内容をよく見ると、プロパガンダはおろか政治キャンペーンの性格さえほとんど無いことが分かります。主人公ゴロボロチコフが立ち向かうのは、それまで三人の新興財閥(オリガルヒ)が政界を操ってきたことによる政治腐敗と、政治経験のない彼とその内閣に向けられる偏見です。
 新興財閥たちはシーズンの冒頭、つまり第一話の最初のエピソードから政治腐敗の元凶として登場しています。彼らは大統領として自分の代理人となる人物を指名し、ゲームでも楽しむように国の富をお互いのあいだでやり取りしあうのです。彼らは主人公が大統領になった当初、彼が自分たちの誰かの代理人であると思い込んでいたのがそうでないと分かり、やがて力を合わせて彼を懐柔しようとします。ゴロボロチコフ自身は、大統領になる前はしがない高校教師でしかなく、離婚した妻との間に息子が一人いて、両親、姉そしてその娘と一つ屋根の下に住んでいたという設定です
 作者たちは、新興財閥が政治家達の買収を通じて国富を私物化した結果、経済が停滞し労働者達に何ヵ月も給料が支払われない等の弊害が生じていることを示す一方で、政治腐敗の責任が普通の市民にもあることを示唆しています。主人公の父親は、彼が大統領になった途端に自分達の住む共同住宅を豪華に改装しようとし、姉は政府機関のどこかに空いたポストがないかと奔走して主人公を困らせます。
 彼は家族のそのような行動を諫め、縁故主義を一切断ち切ろうとしますが、組閣に当たってはクリーンな人材を登用しようとして自分の知人や離婚した妻を指名します。コメディなので彼らは腐敗した前任者達よりもましな閣僚として描かれていますが、マスコミの一部が彼らの能力や行動に対して批判的であるというディテールもあり、為政者が国民の支持だけで政治を動かすことの難しさを示しています。

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