読書本について考察してみました。

こんにちは。佐々木周です。

※このメールは2020年4月29日に初めて書かれました。

最終変更:5/10 15:00

今回のテーマは読書本についてです。

コロナショックの影響で、読書する時間も増えた(?)のではないでしょうか?


GWにふと読書していてある考えが浮かんだので、思いつくままに書きました。


「読書している本について考えることで、今の自分がより明らかになる」

ということを考えてみました。

そこからさらに、

読書している本を他人と共有することの価値

についても考えてみました。


少し長いですが、真面目に書いたので、読んでいただければ幸いです!


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◆読書している本が明らかにするもの〜読書本とあなた自身〜


これから、私たちが読んでいる本が私たちにとって本当に重要であるか?

そして、本を読んで考えたことを他人と共有することに意味があるか?

という問題について考えてみたいと思います。


まず、一つの本を取り上げてメルマガを書くとか、一つの本を勉強会の題材として選ぶ、などという状況を仮定してみましょう。


まず聞こえてきそうな批判は、

人に向けて発信するというのに、「偶然今現在」読んでいる本を選択するというのは安直ではないか?という批判です。

もっと考え、選び抜いた一冊こそを発信や勉強会の題材にすべきである、という内容です。

偶然の一冊が最高の一冊である可能性は低いだろうという批判ですね。


これは確かにもっともな批判です。
しかし私は、今現在あなたが読んでいる本を「こそ」、そういった題材にして然るべきであると考えます。

その本を題材にして良い、ではなく、するべきだという主張です。

(ここでは、あなたのストーリーが前に進む、ということに価値をおいています。"ストーリー"という言葉がは、新田さんの言葉なので、また今後説明していきますが、簡単にいうと、"あなただけの人生の物語"、ということです。(そのまんまやないか・・・))

それでは始めていきましょう。

まず読書本については、一つの前提があると思います。

それは、「本を読む理由は、あなたがその本を読みたいから読んでいる」ということです。

これは複雑に見えて簡単なことを言っています。

「あなたがその本を読んでいること」が、

その本の中に、今のあなたが求めているものが記されている、とあなたが思っている証明になっているのです。

つまり、その本に求めているものがあるからこそ、あなたはその本を読むという選択をしているのです。

あなたは読みたいからその本を読んでいる。

当たり前のことだけど、大切なことなので、確認させてもらいました。

我々が本に求めるものは多種多様だと思いますが、僕は、大きく分けると、楽しさと変化と言えると思います。

つまり、我々は二つの目的のために読書します。

楽しさのために読書することと、変化のために読書することです。


(注:例えば癒しなども目的に入るかもしれませんが、これは前者に入ると思っていて、例えば、「楽しさ」を「心地よさ」と言い換えれば前者に含まれるのではないでしょうか。

苦悩するために読む人はさすがにいないかな?)

これ以降は、「読みたいからその本を読んでいる」ということを前提としますが、

本を読んでいることが示す、もう一つの前提条件があります。

それは、「あなたがその本を読むことができている」ということです。

読むことができているからその本を読んでいるのです。

読めない本を、読み進めることができていることは多くないでしょう。実際、読みたくても読めない本というのは存在します。


とすると、今あなたが読んでいる本というのは、今の自分が求めているもの(楽しさor変化)を含み、かつ、自分が(余裕を持ってorギリギリ)読むことができるレベルの本であるということです。


ここまで良いでしょうか。


・読みたいからその本を読んでいる

・読むことができているからその本を読んでいる

以上のことを確認しました。

ここで一つ話を進めます。

読んでいる=読むことができている本について真面目に考察することは、

現在のあなたと、直近のあなたの方向性や成長について真面目に考えることであるということである。

と私は言いたい。

上で確認したことと、今書いたことをイコールで結ぶと、

「読めるから読んでいる」=「あなたが読める限界を示している(可能性がある)」

「読みたいから読んでいる」=「求めているものがあるから読んでいる」

上のようになるので、

読んでいる本は現在のあなたの限界点を示しているし、その本の中に今後のあなたが進みたい方向またはそのためのヒントが隠されている、

とあなた自身が考えていることが、上の議論から言えると考えます。

つまり、今私たちが読んでいる本が、私たちの現在地とこれから進みたいと思っている方向を示しているのです。


(注:本は必ずしも限界点を示すわけではないでしょうが、そのような読書をしているかしていないかは自分自身でわかると思っています。)

ここでまとめてみます。

読書している本は、あなたが現在求めているものを明らかにします。その根拠は、望むものを何かしら見出すからこそ、読書しているのだという前提条件を確認したからです。

一方、この段階では、その求めているものは、楽しさまたは変化であると二分しました。

次に、何かしらの変化を期待して読書している場合における結論ですが、

現在取り組んでいる本は、あなたが少しでもそう思えるのであれば、現在のあなたの限界とあなたが望む方向性を示していると考えてよいということです。


この第二の主張がとても重要だと思っています。


冒頭のテーマに戻ってみましょう。

冒頭では、

現在読んでいる本から得た考えを他の人と共有することに価値があるか?

そしてそれを発信してみたり、勉強会で共有することの価値があるのか?

という問いからスタートしました。

上の議論を踏まえると、

現在読んでいる本の価値について考えるとき、この本は偶然選ばれた矮小な本でしかない、と考える必要はないでしょう。

むしろ、現在読んでいる本を大切にすることは、今のあなたの現在地とあなたのこれからの進みたい方向を大切にすることなのです。

さらに進めると、それは、現在のあなた自身を大切することだとも思います。

ここまで良いでしょうか。

今読んでいる本は、今のあなたの現在地と向いている方向を示す。

今読んでいる本を大切にすることは、今のあなた自身を大切にすることである。

ここからさらに、現在読んでいる本について他人と語り合うことの重要性へと議論を拡張させたいと思います。


個別の本をピックアップして、他者と、考えの共有や会話のネタに使うことは、

現在のあなた自身をさらけ出し、考えを深めるポテンシャルを持つということを私は言いたい。

その根拠は、現在の読書本が、現在のあなたをさらけ出しているからです。

(こういう言い方をすると途端に共有したくなくなりました?笑)

自分の限界を示し、自分の望むものを投影した本との対話を、考えの共有の題材とすることは、自分を深めていくための可能性を秘めていると思うのです。

故に、読んでいる本への考えを共有することが、現在のあなたにとって価値を持つと僕は考えます。

そして、さらにあと一つ。

あなたの現在地と目指す方向を、他者と共有することは、他者にとっても価値を生むと言いたい。

(ここは賛否両論だと思います。僕的には、価値があると言いたい。)

なぜなら、あなたのストーリーは、あなたのことが好きな他者(≒あなたに興味関心を持つ他者)にとっての主観的な価値だろうからです。

あなたのストーリーと他人のストーリーが交差する点として、

読書本の共有があるだろうと僕は思うわけです。

なぜなら、あなたは、他人のストーリーの大切な登場人物なのだから、そのあなたにとって価値があるものは、その他者にとっても価値があるだろうという考えです。

まあ、これは、他者がそういう関わり方を求めていれば、の話ですが。

でも、僕の考えでは、こう言った自分をある意味でさらけだしたようなコミュニケーションを求めていることが多いと思うんです〜〜〜〜。

そこから思わぬものが生まれたり、考えが深まったりしますもんね!?

これは、僕個人の考えです。

とすれば、

あなたの現在をさらけだす読書本、そしてそこから得た考えを共有することは、あなたにとっても、その他者にとっても価値があると言えるのではないでしょうか?

以上です。

最後にまとめ。

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読書本に関する二つの前提

①読みたいからその本を読んでいる

②読むことができているからその本を読んでいる

→読書本は、今のあなたの現在地と向いている方向を示す。

=今のあなたをさらけだすのが読書本である。

→読書本から得た考えを共有することには、自分を深め、自分を知るための潜在能力がある。

+

読書本を他者と共有することは、他者にとっても価値を生むだろう。(←好みの問題あり)

以上です。

以上が読書本への考察(最終変更:2020年5月10日)。

どうでしょうか。

書いてみて、自分は、とことん主観的な価値に重きをおいてるな〜、と思う次第です。

どうでしょうか・・・?

もし良ければ感想や考えを共有していただけると嬉しいです!


最後まで読んでくださってありがとうございました。

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