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きみに逢う以前のぼく

きみに逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり/永田和宏

いまバスに揺られている「ぼく」は、もう「きみ」とは別れてしまっているのだろうか。「きみ」を知ってしまったその影響の大きさが、二度と戻れないあの頃の「ぼく」との距離を余計に感じさせる。

青春の爽やかさと痛みを描き出したこの歌は、初期の新海誠作品のイメージに近い。(おそらく)一人で思い出の海へ向かおうとしているのだろう。しかも、バスだ。これがマイカーだったらつまらない。公共交通機関で必死に乗り継いでいくという無力感が、青少年期ならではである。まさに『秒速5センチメートル』(特に「桜花抄」)の世界観。

逢うと遭うの使い分けもおもしろい。逢うは人を認識するという意味で、遭うは偶然に出くわすこと。もちろんいるはずはないが、もしかしたらあの頃の自分がそこにいるかも、という淡い期待が込められている。

二度と戻らないあの頃を求めて、思い出の地を訪ねる心持ちよ。あっさりした表現の中に強い切なさがある歌である。

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