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会話のような臨場感を、文章で表現できないか

書き言葉と話し言葉の差、というテーマを昔から考えている。

一般に、文章で伝えられることよりも喋りで伝えられることの方が多いと言われているし、体感としてもそうだろう。メールで「愛してる」と言うより、電話で言った方がより良く伝わるはずだ。多分。

なんでも、古代ギリシャの哲学者たちも書き言葉より話し言葉の方が大事だと考えていたとかで、ソクラテスに至っては「書き言葉」をついぞ残さなかった。いま、ここで話していることがすべてなのであって、それを書き留めたら別のものになると考えていたからだ。それだけ、話し言葉と書き言葉の差異を意識していたともいえる。書き言葉は話し言葉に劣後する、と断言できるかは別として、一応なんとなく理解はできるだろう。

その上で、個人的にもうひとつ興味があることがある。それは、どうして話し言葉は脈絡がなくとも「伝わってしまう」のか。言い換えるなら、話言葉であれば論理的でなくとも一貫していなくてもいい、ということ。

普段の会話を思えばわかるが、会話の最初に話している内容と、会話が途切れる迄に話している内容が全然関係ないことはよくある。「なんでこの話になったんだっけ」なんてセリフ、誰しも一度は使ったことがあるはずだ。

問題はここから。例えば二人で会話をしていて、そのすべてを録音したとする。そして、楽しい時間を過ごして家に帰り、この会話を文字に起こしたとしよう。どうなるか。

不思議なことに「違和感がある」のである。その時(会話の時)は納得できていた相手の言葉が、文字に起こすとよくわからなかったりする。あの時「あー、いま自分良いこと言ってる」なんて思いながら喋っていた自分の言葉が、文字に起こすとやはりよくわからなかったりする。この、実はよくわからないのになんとなく伝わる、なんとなくいい気分になる現象は、会話ならではだろう。私は以前からこの現象はなんだろうなんて、ずっと不思議だった。

ところが最近になって、この現象にふさわしい言葉があるではないかと思うに至った。それがライブ感である。臨場感とも言い換えられるだろうか。要するに、その場限りの「何か」だ。具体例を挙げるならコンサート。やはり、iTunesで聴くのとは違う。時に乱れもあり、時にハプニングがあっても、断然生の音楽はいい。録音とライブの間には、越えられない壁があるのだ。

ニコニコ動画にはライブ配信があるが、これだって典型的な「ライブ感」という価値に着目したサービスだろうし、32年続いた『笑っていいとも!』もライブが売りの番組だった。これらには、どれも「ライブ感」という共通の価値があり、言葉では説明しにくいものの、明らかに何かがあったのだ。

そして、会話。ひいては、話し言葉。スピーチでもいい。これらには、多かれ少なかれ「ライブ感」というのが伴う。話達者、口達者な人というのは、単に論理的に、もしくは、整然と話ができるだけではない。もちろん、それありきで、プラスアルファとして、自在に「ライブ感を高める」ことができる。

かのヒトラーは、演説の天才であった。ざわめく聴衆を前に、充分な沈黙をもって場の緊張を極度に高め、やがて静かに、厳かに語り始める。徐々にその話振りには力が入り、だんだんと話すスピードも速くなり。最後は、まるでオペラのような大袈裟な身振りと割れんばかりの叫び声で畳み掛ける。話が終わった時には聴衆は陶酔しきって、拍手喝采の嵐だ。

これぞ話し言葉の持つ「ライブ性」を存分に活かした最たる例ではないか。もはや論理や理性がなくなるほど強力なものになりうるという悪しきものだったとしても。

話し言葉のライブ感というのもなんとなくわかってもらえたと思うが、言いたい話はもう一歩先だ。この「ライブ感」というものを文章では出せないものか。いま、ここで語られているかのような、そんな高揚感、興奮、楽しさ、緊張。出せないものだろうか。

まったく同じものは、はっきり言って無理だろう。良いスピーチを聴いたときの感覚、何だかわからないけど熱く語っている時の感覚。その一瞬の偶然というか、もっと大袈裟に言うならば奇跡というか。それがライブの本質であって、それはどう頑張っても、一瞬ではなく永続する文章にはたち現れない。

でも、仮にその一瞬を書き留めたら。練りに練った文章こそ、本来の文章のあるべき完成形かもしれない。けど、その時その瞬間に思ったこと、起こったことを書き留めた文章は、少なからず「ライブ感のようなもの」を伴うのではないか。そして、それはそれで特殊な文章として、おもしろいものになるのではないか、そう考えるに至ったのである。

ライブ感のある文章、今ここで聞いているかのような文章を。ここまで書いてきて思った。そもそも良い文章とは少なからず、そうした「ライブ感」を伴っているのかもしれない。

余談。演説の天才ヒトラーを皮肉り、あえて同じ手法で平和を訴えたチャップリン。世紀の名スピーチとなっている。


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