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スピーチふたたび
このnoteで何度か話題にしている、「朝礼スピーチ」の日がまた迫っている。
わが職場には持ち回り制の朝礼当番があり、朝礼終わりには「SDGs」についてひと言話さないといけないという謎の習慣がある。私は前回非常に気合いの入ったスピーチをし、自らハードルを高めてしまった。なにせたった一分話すために、本を二冊読んだのである。流石にこれで下手なスピーチになるはずがないが、なにぶんコスパが悪すぎてとてもじゃないが続かない。今度のは、もっと省エネでやるつもりだ。
別の人たちのスピーチを観察していると、その人なりの個性が出ておもしろい。無難にまとめてくる人、言っていることは正しいがおもしろくない人、着想が良い人、ひねった話題から入ってスベる人。みんな「SDGs」のことを話しているのに、その中でもその人の色が出る。
多くの人が玉砕していく中で、珍しく成功のスピーチを遂げた人がこんなことを言っていた。
「いやー、話のオチを見つけるのが好きなんだよね」
個人的には、この言葉にスピーチの極意があると思っている。もちろんオチが全てではないのも確かだが、話がどれだけ紆余曲折しても、とりあえずオチさえすれば納得してしまうのが話し言葉のマジックだと思うのだ。
その人のスピーチは、トイレの進化によって節水の効果が高まっているという内容だったのだが、たまたま前日大きなミスをした人の話題を引き合いに、水に流しましょうという形で締めくくった。トイレの話とミスの話はまったく関係ないが、「水に流す」というオチによってなんとなく上手いことを聞いた気がしてしまうのである。
こうしたおもしろさは、話そのもののおもしろさというよりは大喜利やなぞかけに近い。一見なんの関連もない二つのお題を、一瞬で繋いでしまう思考の柔らかさ。これは、論理的で緻密な話ができる人が、かえって苦手だったりする。
私は前回、SDGsの話をするために『火星に住むつもりです』という本を紹介した。現在構想中のスピーチでは、『ハローキティ』の話をするつもりだ。
一応私の中でオチは見えているのだが、吉と出るか凶と出るか。こういう変わったことをすると、結果は二つに一つだ。上手くいったら、「ハローキティと掛けてSDGsと解くその心」をここに書こうではないか。スベったら何もない。スベったんだなと思って、黙って別の記事に飛んでください。
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